23.竜虎相搏つ①
――それは、奇跡のような光景だった。
あれ程の強者達が、為すすべもなく敗北寸前まで押し込まれたバルバロイの前に降り立ったのは、金糸のような髪をした一人の幼い少女。
吹けば飛ぶような、頼りない身体の少女はしかしながら、バルバロイの吐息を一刀の元に断ち切り――否、断ち、喰らい。
それだけでも奇跡としか言いようが無かったのに、それで少女が終わる事もなく。
振るわれたバルバロイの爪を、少女は紙一重で躱してみせれば、その刃を腕に向けて振り下ろした。
「良き刃だ」
『――チッ、歯が通らぬか』
火花を散らしながら、甲殻を軽く削りはしたものの、少女の一撃はバルバロイの血肉には届かない。
だが、それは紛れもない攻防だった。
互角かはわからない。
いつまで続くかも判らない。
それでも、今少女は間違いなく、バルバロイと戦闘を行っていて――
「……くっ」
「アシュ、タール。今は、控えなさい」
「アルケミラ様、しかし――エルトリスに全てを任せる訳には」
「今は、私達は……少しでも身体を休めるべきです」
その光景の下。
バルバロイの猛攻に晒され、満身創痍といった様相の面々は、膝を付きながら一刻でも早く立ち上がれるようにと回復に努めていた。
まだ、私達の出番が終わったわけではない。
その時が来たならば、即座に私達も刃を振るう――その覚悟を持ちつつ、アルケミラ達は呼吸を整え、身体を休め……
「……流石です、エルトリス様」
……ただ一人。
リリエルは、エルトリスに羨望の眼差しを向けていた。
彼女とて無事というわけではない。
先程の吐息の余波で軽い火傷を負い、まだ立ち上がる事さえ難しい程に疲弊しきっている。
だがそれでも、きっと――自らが仕える主のその姿は、あまりにも眩しかったのだろう。
彼女は体を休めつつも、エルトリスから視線を外そうとはしなかった。
一撃、二撃、三撃。
その尽くを躱しつつ、エルトリスは額を伝う汗を拭う事もなく舞い、刃を振るい続ける。
ルシエラは火花を散らし、唸りを上げながらバルバロイの甲殻を削りつつも、決定打を与えることは出来ず。
同時に、バルバロイもまた自らの攻撃の予兆、その尽くを読まれているかのような錯覚を覚えていた。
――否、錯覚などではない。
事実、エルトリスはバルバロイの攻撃のその尽くを読み、そしてその起こりと同時に攻撃を躱していた。
それは、長い長い――本当に長い、アリスとの特訓の成果である。
最早万ですら効かない程に死にながら、しかしようやく体得したその領域。
脆弱な肉体で、自らを上回る相手とどう戦うか――それを突き詰めた結果辿り着いた、予知に近い予見。
本来は躱し得ない攻撃を躱し、当たり得ない攻撃を当てる。
バルバロイでさえ持ち得ないその技術……否、能力にはバルバロイも舌を巻いた。
どう考えても脆弱な、自らと打ち合える筈もない存在が、自らと互角に戦っている。
爪を振るい、尾を叩きつけ、牙をむき出しにしながらバルバロイは攻撃を続けて――そして、エルトリスもまた幾度となく刃を振るい、振るい、振るい――
「……ふ、む」
「さて、と」
――そうして、動くこと数分。
二人は唐突に動きを止めれば、小さく声を漏らした。
「そろそろ征くか」
「じゃあ、本気で行くね」
その言葉と同時に、エルトリスは武器の形を成していたルシエラを、いつものように自らに纏わせ――そして、その背後に人の姿を象った。
バルバロイもまた、赤黒く染まっていた甲殻を鮮やかな朱色に染め上げれば、ゆらりと大気を揺らめかせる。
――刹那、空気が揺れた。
音がしたのは一瞬後。
エルトリスのいた場所は深々と爪痕を刻み込まれ、しかしそこに少女の姿は既に無く。
「――はは、やる物だな……!!」
「そうこなくっちゃあ、ね――ッ!!!」
少女の姿はバルバロイの眼前。
振るわれた拳を、バルバロイは腕の甲殻で受け止めつつ――その腕が圧されるのを感じながら、楽しげに笑った。
闘いは、加速する。
打ち合う度に空気は震え、轟音が鳴り響き、舞台に亀裂が走る。
バルバロイは、笑っていた。
自らと互角に打ち合える、そんな存在と出会えた歓びで胸がいっぱいだった。
エルトリスも、笑っていた。
これほど強い相手とただ殺し合う、そんな悦びに浸りながら、こんな時間がいつまでも続けばいいと思っていた。
「……楽しそうだね、エルちゃんは」
そんな二人を見ながら、観客側でアリスは小さく苦笑する。
さすがのアリスも幾十年――現実時間では数日にも満たないが――能力を行使すれば、疲労の一つも覚えたのだろう。
空いていた席に腰掛ければ、自らの従者であるハッターの入れた紅いお茶に口をつけながら、息を漏らす。
「お疲れ様でした、アリス様」
「ううん、私はとっても楽しかったわ♪あんなに誰かと遊べたのは、初めてだもの」
すっかり少女の姿に戻っているアリスはそう言って笑みを零した。
それでも疲労が見えているのは、エルトリスとの特訓が原因か、或いは――その姿に戻ったが故か。
「無理を為さらず。文字通り身を削られたのですから」
「大丈夫大丈夫、少し休めば良くなるもの」
「……アリス様」
いつもの調子で言葉を口にするアリスに、ハッターは無い眉を潜めつつ。
アリスも流石にこれ以上は悪いと思ったのか、はぁい、と小さく声を漏らすと、軽く身体から力を抜いた。
――じわり、と胸のあたりから滲むのは、赤黒い血。
「怪我をするなんて、本当に久しぶりだわ」
「手当を致します。暫しの間、動かずに」
ハッターの手当を軽く受けながら、アリスは舞台の上で戦うエルトリスとバルバロイに目を向ける。
さて、果たして勝つのは何方なのか。
種族的な、そして個としての力で言うのであれば、バルバロイの方が圧倒的に上だろう。
だが、エルトリスにはそれを埋める事ができる経験と、そして頼れる相棒が居る。
「……バルバロイくんももう、自分のために戦っていいのに」
――初めは楽しそうにしていたバルバロイの表情から、次第に笑みが失われていくのを見れば、アリスは少しだけ悲しげにそんな言葉を口にした。