22.死闘②
――正直に言うのであれば。
私はまだ、この段階でバルバロイと戦うつもりは毛頭無かった。
アルルーナとの戦いでの消耗もあるけれど、それ以前にバルバロイに対して如何様な策を練ろうとも勝機を作り出すことが出来なかったのだ。
物量、毒物、地形、天候。
汎ゆる手立てを用いたのだとしても、私が――私達がバルバロイに勝利出来る可能性は、万に一つにさえ満たない。
それこそ那由多の果てに有るかさえも怪しい、敗北しか見えない相手。
それが、私が――そしてアルルーナが、六魔将最強と目していたバルバロイその人だった。
その圧倒的な力を前にしては、物量など如何なる意味も持たない。
その強靭な肉体を前にしては、生半可な攻撃は須らく意味を失う。
そんな怪物を相手にするには、それ相応の準備が必要で――その準備をする時間を、機を、私は逸してしまった。
「――……ッ」
全力を以て抑え込んでいたバルバロイの半身が、動き出す。
冗談じゃない。
私は文字通り、全ての力をバルバロイを抑え込む事にだけ費やしているというのに、それさえ届かないのか――……!!
……だが、今更後悔などしても意味はない。
唯一幸いといえるのは、この戦いに素晴らしい人間達が参戦してくれた事だ。
技の極地、魔の極地、そしてその両方を極めた者。
リリエルにアミラもそうだ――何なら、エルドラド達にも来てほしかったが、仕方ない。
私に出来るのは、その者たちが存分に動ける環境を作り出す事。
彼らが全力を出せれば、或いはその那由多に一つの勝機を掴むことが出来るかも知れない。
雷鳴が、暴風が、冷気が――無双の剣戟が、魔力の奔流が、無数の武器が動きを鈍らせたバルバロイに叩き込まれていく。
一撃では効果がなくとも、二度、三度と叩き込まれていけば、バルバロイは僅かに体を揺らした。
「……ほう」
――その甲殻に、亀裂が入る。
それがどれだけの偉業か、奇跡か私はよく理解していた。
「良くやるものだ。我が怪我らしい物を負ったのは、何時ぶりか」
「――攻撃の手を緩めないで下さい!!」
感心するような言葉を口にしたバルバロイに、私が言うまでもなく彼らはありったけの火力を叩き込み続ける。
受け続けたのであれば私でさえ危ういそれを叩き込まれ続ければ、バルバロイの巨躯は徐々に圧されるように下がって――
「故に、敬意を示そう」
――刹那。
バルバロイの纏っていた甲殻が、色を変えた。
青白い、美しくさえあった甲殻が正逆に、赤黒く禍々しいものへと変わっていく。
抑え込んでいた半身も禍々しく色を変えれば、同時に辛うじて抑え込んでいた筈の均衡が、崩れて――……!?
「これは――いかん、下がれッ!!」
「私の後ろへ!!エスメラルダ、私に補助を!!」
「言われなくても判ってる!十重奏、星壁――!!」
全員が、即座にその異変に背筋を凍らせた。
今までバルバロイは、その能力を一切行使せずにただ肉体の強さだけで私達を圧倒していた。
そして、目の前で起きている変化は恐らくは、肉体の強さに拠るものではない。
今、バルバロイは初めて自らの能力を行使しようとしているのだ……!
私は創生の水の殆どを用い、壁を作り上げる。
エスメラルダのかけた補助は間違いなく一級さえも越えた、最高峰の守りだ。
これなら、如何なる攻撃を受けたとしても一撃は、必ず持ちこたえられる筈――
「――竜王の咆哮」
――刹那、周囲から一切の音が消える。
それは、バルバロイの口から放たれた吐息。
エスメラルダの創り上げた守りは1秒さえ保たずに割れて朽ちた。
創り上げた壁は一瞬毎に焼失していく。
「~~~~ッ、ま、だ――!!」
即座に私は全ての自身を守りへと注ぎ込んだ。
凌いだ後の守りを考える余裕はない。
今、この瞬間に汎ゆる全てを尽くさなければ、諸共に私達が消えてなくなってしまう――!!
「十重奏、星壁――っ、星壁、星壁、星壁……!!!」
焼ける。
壁で防いだ力の余波が、観客側に立っていた内で力のない魔族達を焼き払っていく。
舞台は私とエスメラルダが全力で防いでいる部分を除いて焼失し、私達が防いでいるその内部ですら空気が揺らめくほどの熱で侵されていく。
エスメラルダが必死に防壁を幾度となくかけ直していなければ、恐らくは私達も焼失していただろう。
それほどまでの圧倒的な熱量の吐息は長く、永く――実際は1分にも満たなかったのかもしれないが――続き。
「――大したものだ。賞賛しよう、アルケミラ」
「……っ、ぁ……っ、づ、ぁ――」
そして、その熱量が収まった頃。
私は、矮小と言える程に小さくなった身体以外の殆どを焼失させていた。
もう、何をする力も残っていない。
バルバロイを抑える事は元より、攻撃する余力も、守る余力も、その自身のすべてを今の一瞬で使い果たした。
――そうしなければ、きっと私は彼らを守れなかった。
私を見下ろすバルバロイの視線に、一切の侮蔑はなく。
肩で息をしながら、私の傍で立ち、戦おうとする者たちにさえ、彼は敬意を評しているように見えた。
でも、それは決して情けを、容赦をかけるという意味合いではない。
「アレと戦う前に、良き思いが出来た。感謝するぞ」
「ち……ッ、アミラ、アレが来る前にありったけを打ち込むぞ!!」
「判っている……っ」
「参ったのう、ここまで打つ手が無いのはアレ以来か……!」
「まだ……まだ、やれる……!エルトリスちゃんが、戻るまでは――」
赤黒く染まった甲殻が、熱を帯びる。
その口に膨大な熱量が集まるのと同時に、周囲の大気が一斉に揺らめいた。
灼熱の太陽の元にいるかのような感覚の中、私は最後の力を振り絞る。
――嫌だ。
私は、こんな輝く者たちを、半ばで死なせる事など、許容出来ない――ッ。
「――ぁ」
だが。
そんな思いなど、圧倒的な力の前には、如何なる意味も為しはしないことを、私はよく理解していた。
だって、それは私が六魔将になってから、幾度となく逆の立場で行ってきた事。
ただ、それをされる順番が回ってきたのだ。
私は、最早少女というのさえ烏滸がましい程に縮んだ身体で立ち上がりながら、太陽の如き光を見上げ――……
……その太陽は、突然に欠けた。
「間に合ったみたいだね、ルシエラ」
『ひぃ、ふぅ、みぃ――よし、誰も欠けておらんな』
消耗しきった私達の耳に届いたのは、可愛らしい、聞き慣れた声。
宙を舞うその姿は小さく、可憐で――
「……我の吐息を喰らうか。面白い」
「お待たせ。じゃあ私も混ぜて貰おうか――!!!」
――ばるんっ、と胸元を弾ませながら。
歓びに満ちた表情で、エルトリスは手にしたルシエラを振るい、バルバロイへと跳躍した。