21.死闘①
少しの時間が過ぎた後。
暫くの間は静かだった筈のその場所に、多くの魔族が再び集まっていた。
理由は唯一つ、今日ここで起こるであろう事を見届けるためである。
広い広い舞台に鎮座しているのは、青白い甲殻を持った巨躯。
そして、その前に立つ人間と魔族達だった。
文字通りの老若男女が揃った面々を見下ろしつつ、バルバロイはその双眸を細める。
「……一人、姿が見えんな」
その声は、何処か残念そうな――或いは意外そうな響きが含まれていた。
一人。
本来ならば、バルバロイの正面に立っているであろう気性をした少女が、舞台の上に上がっておらず。
「エルトリス様は、少し遅れるようです。ですが、必ず来るとは思いますので」
「そうか。願わくば、終わる前に来て欲しいものだ」
リリエルがそう返せば、バルバロイは小さく息を漏らしながら軽く身構えた。
交わす言葉は、もう無い。
愚かな一人の女の――或いは女神の――責任とは言えど、バルバロイは最早振り上げた爪を降ろす事は無いだろう。
バルバロイに打ち勝たなければ、不条理の内に人間は蹂躙される。
それは、この場にいる人間にとって決して望ましい事ではなく――同時に、人間の内にも光るものを感じているアルケミラにとっても、望まぬ結末だった。
故に、人間と魔族は巨躯の前に並び立つ。
人間側の最高峰の面々と、魔族の頂点の一つに立つ者と、その配下。
開始の合図のような物は、無い。
先手を打ったのは、人間の内の二人――魔弓を携えた弓手達だった。
「初っ端からぶっ放すぞ――!!」
「ああ、全力だ!!」
放たれたのは、暴風と雷鳴。
眩く光り、同時に身を裂くように吹き荒れた一矢は、まるでブレる事も無くバルバロイの双眸へと向かい――そして、バルバロイはその腕でそれらを弾き飛ばした。
何の特別な事もなく、ただ軽く、腕を振るっただけ。
甲殻を微かに焦がし、傷を付けた矢を意に解することさえなく、しかしバルバロイはその口元を歪めてみせた。
――ああ、良い。
この者たちは良く研ぎ澄まされた刃だ。
その刃が自らの喉元に突き付けられているという事の、何と心地いい事か。
今この者たちは、明確に自らの敵として前にいるのだ。
であれば――そう、かつて我がそうされたように、我もそうで在らねばなるまい。
「カアァ――ッ!!!」
「――……ッ!?」
バルバロイが、吠える。
その咆哮は、ただそれだけで空気を、舞台を――否、周囲一体を震わせた。
その気迫と音量に、観戦していた魔族は気を失い、失禁し。正気で居る魔族の方が少ないであろう程に、衝撃を受けていて。
そんな咆哮と共に、バルバロイの巨躯が消えた。
「チ、ィ――ッ!!」
「八重奏、星壁!!!」
即座に反応したのは、二人。
一人は跳躍し、一人は周囲に居た人間、魔族全てに防壁を張り巡らせる。
刹那の後、その防壁は強い衝撃に襲われ――相殺するかのように、砕け散った。
払われたのは、バルバロイの長大な下半身。
ただそれを振るっただけで、エスメラルダが創り上げた防壁はただの一度で破砕された。
否、防いだだけでも偉業と言って良いのかも知れない。
少なくとも、バルバロイの初撃をエスメラルダは確かに凌いだのだ。
そして、それと同時に跳躍していたアルカンは気炎を纏いながら、バルバロイの姿を捉え――それとほぼ同時に、無数の斬撃を放ってみせた。
一瞬で、幾十、或いは百にも届く数の斬撃を放てば、バルバロイの後方にあった壁は斬り刻まれ、砕けていく。
「……少し、痺れたか」
だが。
バルバロイはその斬撃の全てを、掌で受けきっていた。
その手には無数の斬撃の痕こそあれど、血は滲んですら居ない。
『――アルカン、避けて!!』
「判っておる――ッ」
そして、その掌が拳に変われば、直様に空中に居たアルカンに向けて、鋭く振り抜かれた。
アルカンはそれを辛うじて体を捻り、花弁の反動を以て回避して見せたが――躱したのは、その拳だけ。
それに伴った暴風に、衝撃に弾き飛ばされれば、アルカンは地上へと叩き落されて。
「ワタツミ、動きを」
『判ってる……!!』
「む……?」
その巨躯の一部。
身体が白く染まっていくのを見れば、バルバロイは小さく声を漏らした。
刹那の攻防の隙をついてバルバロイに接近したリリエルは、即座に極低温を展開したのだ。
巨躯は徐々に徐々に白く凍てつき、バルバロイはそれを少しだけ興味深そうに眺め――
「……その程度の冷気では、我は凍らぬ」
――そして、至極残念そうにそう言葉にすれば、身体を軽く震わせただけでその冷気を振り払ってみせた。
そのまま振り払われた鞭の如き半身は、舞台を薙ぎ払い――
正しく、規格外。
ここに至るまで、バルバロイは能力のような物は一切使っていない。
強靭な肉体。
圧倒的な膂力。
風の如き俊敏さ。
それをこの場の誰よりも巨大な身体で成している、ただそれだけ。
だが、それこそがバルバロイが戦いにおいて最強と称される理由そのものだった。
誰よりも力強く、誰よりも強靭で、誰よりも疾い。
単純な理屈ではあるものの、能力を抜きにそれを成し得ている以上それを打ち破るのは決して容易い事ではなく。
「……さて。戦いになれば良いのですが」
――それを重々に承知した上で、アルケミラはその尾撃を創生の水を以て防いだ。
創生の水を展開し、八本の巨きな触手を創り上げたアルケミラはその八本全てを使ってバルバロイの一撃を受け止めると、掴み。
「応用の効く、良き能力だ」
そうされて尚、バルバロイの声色には焦りは無く。
有るのはただ、少しだけ――どこか嬉しそうな響きだけ。
「私がバルバロイを抑えます。貴方方は攻撃に全力を回して下さい――!!」
「ああ、判っている!」
「ここまでお膳立てされてんだ、やってやるさ……!!」
「私の射線には絶対に立たないで下さいね、危ないんだから――!」
触手に抑えられた下半身に、バルバロイは目を細めつつ。
自らとの力量差を理解しつつも果敢に挑みかかる人間と魔族達に、笑みを零した。
ああ、戦いとはこうでなくてはならない。
如何に相手が強大であれど、恐れずに立ち向かう者がいなければ、それは成り立たない。
「――だが」
――だが、それでも。
それがどんなに尊いものであり、眩いものであったとしても。
それでは覆せないものもあるのだ、と――バルバロイは、軽く目を伏せた。