16.与えられた力
「……ふむ、あれが魔族の頂点とやらの実力ですか」
――アルケミラとエスメラルダとの戦いを見ていたオフェリアは、ポツリと呟く。
その表情には一切の恐怖も焦燥も無く、ただ少しだけ何かを考えるようにして。
「判った?貴女がどれだけ無謀な事をしようとしてたのか☆」
そんな彼女の横から、メガデスが無邪気に笑みを浮かべながら――しかし、目だけは真剣に――ひょっこりと、その顔を覗き込んだ。
表情こそ笑っていても、そこに込められている感情は断じて親愛ではなく、寧ろその正逆。
オフェリアはそんな笑顔を受けながらも、クス、と笑みを零し。
「そうですね、アレを倒すのは骨が折れそうです」
「――本気で言ってる?」
「ええ、勿論」
メガデスの言葉に、難しくとも不可能ではないと、事も無げに口にした。
メガデスの笑みは消え、呆れか、或いは哀れみにも似たものへと代わり――言葉を交わしても無駄か、と彼女の元を去った。
エスメラルダが舞台から降ろされれば、オフェリアは彼女の身体を軽く労りながら舞台へと上がる。
メガデス、アルカン――そして、気を失っているエスメラルダは、既に心を決めていた。
おそらくこの戦いでは勝てない。
ならば、ここはアルケミラと手を組む事になろうとも、バルバロイを倒す事を優先すべきだ、と。
故に、万に一つ勝とうとも、三人は相手の生命を奪うつもりはなかった。
バルバロイに負けてしまえば、馬鹿らしい話だが自分たちだけでは無く壁の向こうの人間達まで危険にさらされるというのだ。
有る種、当然の考えと言えるだろう。
「――ええ、ええ。判っています、女神様。私が負けようハズが有りません」
――だが、オフェリアは違った。
自身が負ける事など、最初から勘定に入っては居ない。
負けた時の事など、想像さえもしていない。
故に、メガデスは最後に一度だけ彼女に言葉を告げた後に、諦めたのだ。
この狂信は、恐らくどうあっても崩せはしないだろう、と。
「……一度こっぴどくやられちまえば、考えも変わるだろ」
そんな言葉をつぶやきながら、あーあー、と呆れたような、疲れたような声を上げながら、メガデスはアルカンの隣に腰掛けた。
メガデスは、万に一つもオフェリアの相手――リリエルが負けるとは、思っていない。
それは、彼女の長年の経験則からするオフェリアの強さを見ての事。
オフェリアは、実際に戦った経験など殆どない。
身のこなしは素人に毛が生えた程度、持っているのは少々不可思議な程度の力だけ。
自分なら文字通り、一瞬で地に伏せさせる事も出来るであろう程度――メガデスはそう、オフェリアを測っていた。
「――判らんぞ」
「あん?」
そんなメガデスの言葉を、アルカンは軽く制する。
凡その部分では、メガデスの意見にアルカンも同意していた。
だが、ただ一つ。
自らを一度は完全に停止させた、あの奇怪な力だけは侮れないと、アルカンは感じていたのだ。
強靭な武器と防具を作る力。
如何なる負傷も一瞬で癒やす力。
毒沼の上であっても、何事もなかったかのように渡れる力。
その特殊な力の一点のみを見れば、オフェリアは明らかに逸脱した存在で。
「さて、と。貴女は人間ですよね?」
「そうですね」
そんなオフェリアと、リリエルは舞台の中央で向き合っていた。
リリエルは既に臨戦態勢に入っているのだろう、ワタツミを引き抜いていて。
そんな彼女を見れば、オフェリアはクス、と笑みを零しながら――構える事無く、カツン、と一歩、足を踏み出した。
「止めませんか?私は魔族を滅ぼしたいだけなのです。人間のために、そうしたいだけなのですよ」
『はぁ?アンタなんかがアルケミラやバルバロイに勝てるわけ無いでしょ、バッカじゃないの?』
「……ワタツミ……失礼しました。ですが、私も退くつもりは有りません」
ワタツミの呆れ返った言葉に、口の悪さにリリエルは少しだけ眉を顰めつつ。
しかし、はっきりとした拒絶の言葉を口にすれば――オフェリアは酷く悲しそうに、目を伏せた。
カツン、とまた一歩、オフェリアが近づく。
その動きはとても緩慢で、これから戦おうとしているとは思えない程に隙だらけ。
「残念です。では、女神様の神託の邪魔をする敵と見做しましょう」
リリエルはその言葉に白刃を構え――……
「――はい、終わりました」
……瞬きの後。
刹那、という言葉でさえ追いつかない程の間の後、リリエルは全身から血を噴き出した。
「……ッ!?」
「おや、まだ意識が有りましたか。刈り取ったつもりでしたが」
リリエルは声をあげる事無く、目の前のオフェリアを睨む。
動いていない。
オフェリアは、その場から全くもって動いていない、はずなのだ。
「……今のは何だ?」
「判らない。私の眼でも追えなかった――いや、そもそもあれは疾さだとかでは、無いと思う」
困惑した様子のアシュタールに、アミラは眉を顰めながら応える。
疾さではない。
アミラのその言葉は、自らの目に対する自負のようなものだった。
先の戦いで、身体は追いつかずともメガデスの放つ雷光を幾度となく視たアミラだからこそ、そう感じる事が出来たのだろう。
「だからといって、アルカンさんのような技量でも、断じて無い。彼女にそんなものを培った跡は、見えない」
「そうですね。まるで、ある日突然それが出来るようになったかのようなチグハグさを感じます」
アミラの言葉に、アルケミラはそう答えると眉を顰めた。
――本来ならば、オフェリアのそれはアルケミラにとっても喜ばしいものの筈だった。
彼女は人間が築き上げたモノが、培ったモノが愛おしくてたまらない、そんな存在であるが故に。
しかしそんな彼女でさえ、オフェリアの今の動きだけは何か違うと、そう感じていた。
「実力の差が判ったでしょう?敗北を宣言して下さい、そうすれば命は取りませんから」
「……、……す」
全身から血を吹き出し、倒れそうになった身体を支えながら。
オフェリアの優しい、しかし侮辱とも取れるその言葉に、リリエルは小さく声を漏らす。
「どうかなさいましたか?ああ、声が出せないのでしょうか。喉も、殴りましたからね」
そんなリリエルの様子に、オフェリアは少し申し訳無さそうに目を伏せた。
彼女には、一切の悪意がない。
自らの行いは女神の神託であるが故に、全てが善であると思い込んでいるからだ。
「……エルトリス様が、居なくて、良かったです」
「エルトリス……?ああ、あの小さな子供ですか。もしや、あの子の姉だったり――」
「こんな無様、あの方に見られていたら――私は、耐えられませんから」
そんなオフェリアを、リリエルは氷のように冷たい視線で射抜く。
ピク、とオフェリアは肩を少しだけ揺らしつつも、直ぐに小さく息を漏らせば――
「……そうですか。まだやる気ならば、今度こそ終わらせましょう」
――オフェリアは、再びその能力で、リリエルに襲いかかった。