13.少女、友達と――
――アルカンとの戦いが終わり、舞台から降りた後。
余りに舞台の破損が著しいと、バルバロイは替えの舞台を取ってくると言って戦いの中断を口にした。
酷く楽しげな声色だった辺り、バルバロイ本人も舞台が戦いの妨げになるような事態は避けたかったのだろう。
まあ、当の本人はあれだけ戦いの余波を受けるような場所に鎮座しておいて、掠り傷一つさえも負っていなかったのだが。
「……やっぱり、足りねぇな」
『あの竜……いや竜と言って良いのかも判らんが、バルバロイの事か』
「ああ。ありったけ叩き込んでも、多分傷つける程度しか行かないと思う」
ルシエラにそう答えれば、俺は小さく息を吐き出した。
アルカンとの戦いは、久々に凄い楽しかった。
アルルーナみたいに余計な事に煩わされず、純粋に戦いだけに没頭できて幸せですらあったと思う。
俺は、アルカンに思う存分全力を叩きつけられたし――アルカンもまた、きっと全力を俺にぶつけてくれた筈なのだ。
その上で、無傷。
無論、実際はバルバロイに向けて力をぶつけるわけだから、多少の傷くらいは与えられるだろう。
だがそれだけだ。
俺が全力を出して、アルカン達が全力を出して――そこまでやっても、多分バルバロイには届かない。
アルケミラが若干未知数ではあるけれど、それでもバルバロイを倒すことは出来ないんじゃなかろうか。
「……参ったな。強いのと戦うのは大好きなんだが、それで困ったのは初めてだ」
自分より強い敵と戦うのは、至上の喜びだ。
それにどうやって勝つか、どうやって戦うかを考えるだけで胸が躍るし、口元も自然と緩んでくる。
だが、バルバロイを相手にした時――その二つのどちらもが、答えを見いだせなかった。
どう戦っても、どう勝とうとしても、その先には敗北しか見えない。
それは、俺にとっては生まれて始めてといっても良い感覚だった。
嬉しいような、悔しいような。バルバロイに申し訳ないような、何とも言えない複雑な感覚。
俺は軽く頭を掻きながら、何度目かも判らないため息を吐き出して――
「――エルちゃん、エルちゃん。ちょっと時間、良いかな?」
「ん?ああ、アリスか。悪いな、最近遊んでやれなくて」
「ふふっ、今はエルトリスちゃんが忙しいのは知ってるから」
――アリスのそんな言葉に、俺は顔を上げると苦笑しつつ、立ち上がった。
丁度いい気分転換だ。
このまま考え続けても多分答えは出ないだろうし、アリスとも最近相手をしてやれてなかったし、今は休憩時間だし。
俺は周りに軽く断ってから、アリスの後をついていく。
アリスは珍しく、俺に特に何かを話し掛けるわけでもなく、他愛のない話をするわけでもなく、通路の一角。
人気のない所まで歩いて行けば、向き直って――
「ねえ、エルちゃん。エルちゃんは、バルバロイに勝てると思う?」
「……ん」
――そして、唐突にそんな言葉を口にした。
俺はそれについては既に考えていたし、わざわざアリスに嘘を吐く必要もないか、と頭を振れば、アリスは僅かに微笑んで。
「エルちゃんは、バルバロイに勝ちたい?」
「そりゃあ、まあ」
「そ、っか。ね、エルちゃん」
カツン、カツン、とアリスがゆっくり、ゆっくりと俺に近づいてくる。
その表情は、かつて俺を見極めたであろう時と同じ、無表情。
久方ぶりに見たその表情に、俺は背筋を軽く震わせて――アリスはそんな俺の頬を、左右から軽く挟み込んだ。
「――命を、かけられる?」
「命、を?」
「もしバルバロイに届かせる為なら、エルちゃんの命が――ううん、心が壊れちゃっても、良い?」
『……待てアリス、貴様何を言っておる。エルトリスを害するつもりなら許さんぞ!?』
アリスの言葉に、ルシエラは声を荒げた。
……命を、心を賭けられるか。
アリスのその言葉は、きっと文字通りの意味だ。
その言葉を肯定すれば、俺は下手をすれば命を失い、或いは心を壊されるのだろう。
――そして同時に、バルバロイを攻略する足掛かりを得られるのだろう。何せアリスの言う事なのだから、偽りが有る訳がない。
「――ああ。もしそれで勝ち目が生まれるんなら、な」
「そ、っか」
だから、俺は迷うこと無く頷いて、言葉を口にした。
アリスの両手が微かに震えたかと思うと、少しだけ残念そうに、しかしどこか嬉しそうに彼女は表情を緩めて。
――刹那、通路だったはずの場所が一変する。
空は青く、果てしなく。
地平線まで続く花畑へと世界が変貌すれば、ルシエラは俺のそばに寄り添いつつ、アリスを睨んだ。
「エルちゃんは、覚えてるかな。おままごとの時に、ちょっとだけ話した事」
「おままごと、って……」
……思い出すと、顔が熱く、熱くなる。
子供の役割を与えられて、本当に子供のように振る舞いながら、心まで子供に還っていたあの瞬間は、思い出すに恥ずかしい。
いやまあ、全く楽しくなかったかと言われたらそんな事はないんだけど、その、やっぱり……うん。
「ふふっ、エルちゃんったら可愛いんだから♪」
「う、うるさいなぁ!おままごとがどうしたっていうんだ!?」
「……あの時、ルシエラちゃんが読んでくれた絵本があったでしょう?」
『私が……そう言えば、確かに何か、読んだ……ような』
アリスは可笑しそうに笑いながら、花畑の真ん中でくるり、くるりと回りながらスカートを、髪の毛を翻す。
「大きな、大きな力だけの怪物。人間達に、弱い者に憧れて、その牙を、身体を、何もかもを捨てた怪物のお話――」
――ぞくりと、背筋が冷える。
アリスが一つ回る度に、俺の身体がこわばっていく。
アリスが一つ回る度に、花は舞い散り、周囲に花吹雪を巻き起こしていく。
アリスがくるり、と回る度にその身体は大きく、巨きく。
全身を黒く滑らかな体毛で覆い尽くしながら、バルバロイと同等の巨躯へと変貌すれば、額に赤黒い宝石を輝かせて――そして、永い尻尾で花畑を薙ぎ払う。
そこに居たのは、一体の黒い、黒い竜だった。
雄々しい尻尾、艶めかしい黒い毛並み、一対の青い瞳に額に光る宝石。
その両腕には、人と手を取り合うことなど出来ないような、鋭い爪。
その顎には、汎ゆる物を容易く噛み砕くような牙が生え揃っており。
「――これが、私の本当の姿。さあエルちゃん、始めましょう?」
漆黒の竜は――アリスは、少し寂しげな視線を俺に向けながら、何時もと変わらぬ声をその顎から口にして。
……その変わりようにはまあ、確かに驚いたけども。
「何度でも殺して、何度でも生き返らせてあげる。私と戦えるようになるまで、何度でも、何度でも、何度でも」
「……何で、そんな顔してるんだ」
「これが、本当の私の顔だから。さあ、始めましょう?」
「違う。何でそんな辛そうな顔してるんだって聞いてんだよ」
でも、それ以上に俺は、アリスの今の表情が気に食わなかった。
人じゃなくて竜になってるから、表情はちょっと読み取りづらいが、それでも悲しんでるというか、辛そうにしてることくらいは見て取れる。
「もしそれが、今の姿を見られたからってんならふざけんな」
「……エルちゃん?」
「俺は、アリスの姿がどんなだろうが別に変わらねぇよ。元々テメェは六魔将で、今は俺の友達なんだろうが!もっとシャンとしろ、シャンと!」
「わ、私のことが怖くないの?怖いでしょう?」
……まだそんなバカな事言ってやがるのか、頭に来る。
大体、怖いってんなら最初に出会った頃の方がよほど得体が知れなくて怖かったってのに。
今じゃもうどういう奴か判ってるんだから、姿形が変わった所で怖いも何も無いってのが、判らないのか、この友達は。
『見かけが変わった所で、のう。私なぞしょっちゅう姿を変えておるし』
「本気でやってくれるってのは嬉しいが、そんだけだ。良いから何時もみたいに笑ってろ、その方がずっと良い」
「……そ、っか。ふふ、そうなんだ……エルちゃんは、本当に私と友達になってくれてたんだ。嬉しいな」
そんな当たり前の言葉を、噛みしめるように口にすれば、アリスは視線を軽く伏せて――そして、笑った。
笑ったかどうかも、竜の頭じゃあ分かりにくいが……まあ、きっと笑ってるんだろう。
だって、目の輝きが全然違う。
「――それじゃあ壊れないでね、私の大事な友達。思い切り時間は引き伸ばしてあげるから、何百回でも何千回でも、何万回でも挑ませてあげるから――♪」
「よし、じゃあいく、じょ……っ?」
アリスの言葉に、俺はルシエラを構え――構えようとして、ぺたん、と尻もちをついた。
身体が、服の中に埋もれていく。
声も、どんどん出しづらく、なって――
『んなっ!?エルトリス、早く私を構え――』
「おそーい。はい、先ずは一回♪」
――次の瞬間、俺は為すすべもなくアリスの尻尾に叩き潰された。
身体が拉げ、潰れ、文字通り死に至る感覚。
羽虫のように叩き潰され、絶命する苦痛を味わいながら――……
「それじゃあもう一回ね、エルちゃん?」
「――っ、ぁ、あっ!?」
……それでも、意識が消失しかけたその刹那、俺は元の姿に戻されていた。
立っている位置も、来ていた服も、何も変わらずそのままに。
「時間なら心配しないでね、まだまだたっぷり有るから♪エルちゃんならきっと、私とも戦えるようになるって信じてるわ――♥」
「っ、上等だ、やってやりゅ――っ!?」
『い、いかん構えろエルトリス!!また――』
アリスの言葉に応えるまもなく、俺は再び小さく、小さく縮められ、潰される。
文字通りの秒殺を何度も、何度も、何度も繰り返し味わいながら。
――しかし、心が折れる事は決してなかった。
友達が協力してくれているってのに、心なんて折れていられるか――……!!