29.祝いの夜、その下で
――その日、六魔将の一人であるアルルーナは姿を消した。
無限とも言える軍勢は一夜にして瓦解し、抵抗こそあったもののアルケミラの軍勢はその尽くを駆逐して。
膨大な数を持つアルルーナの全てを消し去る事は困難を極めたが、それでもおおよそ半月程かけて駆除し続けた結果、残るのは自律して動けない植物のみとなれば、アルルーナの軍勢はほぼほぼ地上から消失したといっても過言では無いだろう。
そうして、アルケミラとアルルーナの――六魔将同士の決戦は、終結した。
決して何も失われなかったわけではない。
アルケミラの部下の内3割は死亡ないし、再起不能。
そうでなかった7割は何れも深く傷ついており、直ぐには戦えない程に疲弊していた。
だが、それでも問題はない事をアルケミラは知っている。
残る六魔将であるアリスは戦いは好まず、もう一人――バルバロイは、戦闘狂ではあれど弱ったものを潰す事を好まない。
故に、アルケミラ達は戦いが終わってから長く、ゆっくりと休息を取ることが出来た。
途中、下剋上を狙う魔族が何度か攻めては来たものの、その程度であれば物の数ではない。
その尽くを片手まで潰しつつ、潰しつつ。
アルケミラの配下達は、深手を負って動くことさえままならないクラリッサ達……そして今回の勝利に大きく貢献したエルトリス達に告げる事もなく、準備を進め――
「――で、何の騒ぎだこりゃあ」
――ようやく身体の痛みも引いた頃。
エルトリスが部屋の外の騒ぎに気づいて身体を起こせば、城内はにわかに沸き立っていた。
何か問題が起きたのではなく、問題が解決したことに対する喜びの声。
アルルーナとの長い戦いで傷つき倒れた者たちへの弔いと、生き延びた者たちへの労いの宴である。
そんな宴の様子を眺めながら、ルシエラは目を少し輝かせ――そして、エルトリスは小さく息を吐きだした。
『ほー、見た事のない食べ物も並んでおるのう』
「あー、行って来い行って来い。俺はここで見てるから」
『む?エルトリスは主賓じゃろう、行かんのか?』
エルトリスの言葉に、ルシエラは軽く首をひねる。
エルトリスは別段、宴会が嫌いという訳ではない……筈だ。
特に今回の勝利は、アルルーナの内一人を単独で押し留めたエルトリスによる所が大きい。
それこそ、今あの宴に混ざったなら歓声とともに迎え入れられるだろう。
「……だからだよ。まだ治り切ってもいねぇのにもみくちゃにされるのはゴメンだ」
『……ああ、確かにその辺加減は出来無さそうな連中ばっかりだからのう。それでは行ってくるぞ』
「ああ、楽しんできてくれ」
ルシエラを見送りつつ、エルトリスは適当な所に腰掛けると眼下に広がる宴の様子を眺めた。
中にはエルトリスもよく見知っている姿も居る。
クラリッサは宴の中で歌声をあげながら、場を盛り上げて。
アシュタールは六本の腕それぞれに酒と料理を手にしながら、暴飲暴食を繰り返し。
イルミナスは……そんな二人の様子を、隅の方からどこか微笑ましげに眺めていた。
「ったく、すっかり馴染みやがって」
「そうですね。エルドラドさん辺りは特に、ですが」
――そんなエルトリスに、茶を差し出す影が一つ。
全身に痛々しく包帯を巻いたリリエルは、しかし涼し気な笑みを見せながら、いつの間にかエルトリスの傍らに立っていた。
「まああいつは何ていうか、楽しければそれで良いって節があるしな」
「ええ、その辺りは少しエルトリス様に似ているような気がします」
「……あいつに似てるって言われるのは、ちょっとゾッとしないんだが」
エルトリスはそんなリリエルを当然のように受け入れながら、苦笑する。
眼下の宴に混ざっているエルドラドは――酒にでも酔っているのか、服をはだけながら芸術家らしい魔族と意気投合していた。
小脇にノエルとバウムが抱えられているのを見れば、エルドラドは少しだけ同情しつつ。
「――アミラは、どうだ?」
エルトリスは小さく、そう呟く。
眼下の宴の何処を探しても、アミラの姿はなかった。
重傷を負っている訳ではない。
アミラは確かに多少の傷こそ負っては居たが、それでもエルトリス達の中では真っ先に動ける程度だった。
「アミラ様は、屋上に。夜風を浴びたいと」
「そっか」
「……様子を見てきましょうか?」
「止めとけ。あいつの気持ちはちょっとだけ判るから」
アミラの様子を見に行こうとしたリリエルを、エルトリスは片手で制する。
――アミラが傷を負ったのは、身体ではなく心の方。
長年連れ添ってきた相棒を、アルルーナに一矢報いる形で失ってしまったアミラの胸中はエルトリスにも伺い知れなかった。
想像はできる。
エルトリスとて、もしルシエラを喪ったならそれがどれだけの空虚を生むか、想像に難くない。
だが、その連れ添ってきた時間はアミラだけのものだ。
故に、同情はできてもそれを理解できると口にして、傍に寄り添おうとはエルトリスは思えなかった。
……そんな同情に、何の価値もない事は分かりきっていたから。
結局の所、その喪失からは自力で立ち上がるしかないのだと、エルトリスはリリエルの差し出した茶を口にしつつ、小さく息を漏らした。
「……ふ、ぅ」
――その当人は、夜空を見上げながら小さく息を吐き出しながら、宴から持ってきた料理を軽く摘んでいた。
宴に交じる気には当然なれず、それを無視して眠る気にもなれず。
何時も背負っていた重みを、手に馴染む感触を永久に喪ってしまった虚無感だけが、アミラの心を苛んでいた。
後悔があるわけではない。
あの時アミラがマロウトを犠牲にする判断を下せなければ、今頃全員アルルーナの養分ないし、玩具に成り果てていただろう。
ただ、寂しい。
寂しさを埋める物など思い当たらず、アミラはただぼんやりと空を眺めながら、軽く弓を引く素振りをして。
「……お前とは、結局一度も言葉を交わせなかったな」
自嘲的に笑いながら、アミラはその引き絞った弦を力なく離した。
……それは、アミラの咎ではない。
マロウトは魔性の武器として未熟で幼く、まだ力が足りていなかった。
ただ、それだけの事。
それでも、アミラは一度でも良いからマロウトと語らってみたかった。
私の弓の腕はどうだった?
私はお前の使い手としてどうだった?
「お前は、私に使われていて、幸せだったか――?」
ポツリと、アミラは呟く。
受け手の居ない言葉は返らない。返ってくる筈もない。
アミラはふふ、と小さく笑みを零せば、いつまでもこうしては居られないかと立ち上がり、軽く伸びをした。
明日には急拵えでも良いから弓を探すとしようと、無理矢理にでも気分を切り替えようとして――
『――ぼ、ぼく、捨てられちゃうんですかぁ……??』
「……え」
――屋上の入り口。
そこから微かに顔を出している、小さな姿。
頭に若葉のような髪飾りを付けた、褐色肌の少年を見れば、アミラは硬直した。