28.旧友との別れ
「――は?」
アルルーナ達の動きが、唐突に止まる。
自らを統率していた個体が居なくなった、それ自体は問題ない。
問題は、自らを統合し、支持する新たな個体が産まれていないという事。
如何に死のうと、殺されようと、幾千幾万というアルルーナから繁茂した何れかが新たな統率者となるという、完璧なシステム。
そのどれかが統率者になるかは完全なる無作為で、故に如何なる者であろうとアルルーナを殺す事は敵わない。
それこそ、地表全てを焼き払われたのだとしても、アルルーナは地の底に自らの根を、種を、球根を幾つも潜めていた。
そのシステムが、根本から瓦解する。
如何なるエラーか、不具合か、新たな統率者が産まれない。
「ちょっと、どうなって……ッ!?」
「――きゃはっ。やぁっと舌のコレが取れたぁ♪」
混乱の渦中にあるアルルーナ達に、エルトリスがにんまりと笑みを浮かべる。
額にしっかりと青筋を浮かべたまま、ようやく自らを散々苦しめた枷から開放されたエルトリスは、晴れやかな表情を見せて――
「く……ッ、一度、立て直さなきゃ――」
「鈍いよ?どうしたの、急に動きが鈍くなったけど」
――一瞬躊躇したアルルーナに、瞬く間に拳打を叩き込んだ。
力関係は変わっていない。
変わらずアルルーナは、エルトリスよりも上の膂力を、速度を持っている。
だが、それを今まで使用していた統率者が居ない。
今この場において、アルルーナは統率者無しで戦わなければいけなくなった。
それは、今まで得ていた感覚全てを喪うに等しい事態。
目を、耳を――それどころか全身を黒い泥に覆われ、何も感じられない状況で戦わされるに等しい状況に、アルルーナは憔悴する。
有り得ない。
有り得ない、有り得ない、有り得ない――私は、私達は全ての上に立つ存在なのに――こんな、こんな事――!!!
「こ、の――塵芥の、単細胞生物の分際で――ッ!!!!」
「きゃはっ、あははははっ!当たらない、当たらないね? じゃあ次は私の番、だよ――!!!」
当たらない。
文字通り、視えないモノ以外ならば汎ゆる物を捉える筈の目を失い。
相手の先を演算する統率者を失ったアルルーナの攻撃は、余りにも雑が過ぎた。
「あ、ぐ――っ!?嘘、嘘、こんな――……ッ」
エルトリスの振るった拳が、アルルーナの腕を砕く。
一度既に受けたソレを、再び受けるなど本来なら有り得ない。
だが、今のアルルーナはその判断さえもできない程に混乱しきっており――同時に、そのまま何の対処もできないままに、再起ができない程に身体は微塵に砕かれた。
今まで幾億の情報を得ながら戦っていた彼女にとって、ただ目の前の情報だけを元に戦う事など、出来る筈もなかったのだ。
「……あれ?え、もうお終い……?」
『大方、さっきの轟音が原因じゃろ。アミラがやったんじゃろうな』
「そ、っか。アミラお姉ちゃんには、後でお礼を言わなきゃ……ね」
余りにも、余りにも呆気ない終わり。
拍子抜けしたようにエルトリスはその場で尻もちを付けば、小さく息を漏らす。
――その身体は、所々が赤黒く濡れており。
エルトリス自身も既に満身創痍だったことを示していた。
自身を取り戻してからのアルルーナの猛攻は文字通り凄まじく、それと相対して生きていただけでも神憑りと言える。
「――ちょっと、休む……ね」
『ああ、休んでおれ。その間は私がしっかり守るからのう』
事実、エルトリスが一人でアルルーナを抑えなければ、今頃はリリエル達も全滅していただろうし、そうなれば大樹の頂上に向かっていたアミラ達も屠られていただろう。
そんな困難を無事成し遂げた少女は、ごろんと仰向けに寝転がれば、くう、くう、と可愛らしい寝息を立てながら眠りに落ちて。
ルシエラはそんな主の姿を微笑ましく眺めながら、しばしの間優しく、赤子でも抱くかのように抱き上げるとリリエル達の元へと向かった。
――アルルーナ達の全ては、悲鳴を上げ、恐慌状態に陥っていた。
視えていたはずのモノが視えず、わかっていた筈のモノが判らず、できていた筈の事ができなくなる異常事態の中、冷静であれた個体はただの一つもない。
満身創痍だったリリエル達も、そんなアルルーナを討ち果たせば、戦いの趨勢は決した。
その状況をアルケミラは、戦場や各所に残してきた創生の水から察すると、小さく息を漏らす。
「――出せ、出しなさい!!私をここから出せって言ってるのよ、アルケミラ――!!」
彼女の傍らにあるのは、創生の水で出来た牢獄――否、水球と言うべきだろうか。
如何なる事をしても縁にたどり着くことは出来ず、天も地もなく、ただ生きるには何一つ困ることがない、そんな一人用の牢獄に浮かぶのは一人の小さな幼い少女。
頭から可憐な花を咲かせている――遠い昔の――アルルーナが、その内部からは脱出不能な牢獄の内で叫び声をあげていた。
「こんな――こんなモノで私をいつまでも封じておけるなんて思わない事ね!私は必ずここから出て、貴女を同じ目に――ううん、もっと残酷な目に合わせてやるわ……!!」
「出来もしない事は言わない方が良いですよ、アルルーナ。貴女なら既に理解しているでしょう?そこから出る事は愚か、死ぬことさえ叶わないと」
怨嗟の籠ったアルルーナの声に、アルケミラは静かにそう返す。
――事実、アルケミラの創り出したアルルーナの身体には牢獄から脱するだけの力など存在しなかった。
如何なる権能もなく、外見相応の力しか無い今のアルルーナでは外部の自らと連絡を取り合う事さえ敵わない。
それは、有る種アルルーナがアルケミラに行った行為と同一のモノで――唯一つだけ異なるのは、その管理の仕方のみ。
アルルーナはアルケミラを恥辱に震わせ、その内面まで砕こうとしたがアルケミラはその逆。
何もしない。
アルケミラはアルルーナに恥辱は愚か、痛痒さえも与えない。
アルケミラがアルルーナに与えたのは唯一つ。
どうあがいても内部からは脱出すら敵わない一人用の牢獄と、その内側を満たす創生の水で造られた液体。
アルルーナが何をしようとも死ぬ事さえ出来ないように、如何なる傷も病も癒やすそれは、アルルーナに擬似的な不老不死を与えていた。
「……ッ、アルケミラァ……!!後悔させてやるわ、私をこんな形で生かした事を、必ず、必ず――……ひっ!?」
ごぽり、と音を立てて牢獄が、牢獄に入ったアルルーナが、創生の水に沈んでいく。
これからアルルーナはアルケミラの一部として、その内で何も視えない、何も聞こえない牢獄で永久を過ごすのだ。
それこそ、文字通りアルケミラが死ぬまでは。
「あ、あぁ、あ……ッ、許さない、許さない許さない許さない!!!アルケミラ……ッ、アルケミラァァァァ――ッ!!!!」
「……さようなら、私の旧友。出来る事なら、このような結末は迎えたくはありませんでしたよ」
――怨嗟の声とともに、アルルーナは創生の水に沈んだ。
最早その声も、その気配もそこにはない。
創生の水の内に沈み込んだそれを、心の底から惜しむように――微かに、泣きそうな声でそう呟けば、アルケミラは小さく息を漏らした。
「さて、では皆を労うとしましょうか。特にエルトリス達には、格別の報奨を与えなければなりませんね――」
ふらり、と身体を少しだけ蹌踉めかせつつ。
まだ軽く霞のかかった頭を軽く揺らしながら、アルケミラは風穴が空いたままになっている大樹の中を歩き始めた。