26.強者を屠る牙②
「――どういう事?」
三人のアルルーナが、頭上を見上げる。
その最中も、アルルーナは目の前の相手から注意を切ってはいない。
視線を切った所で、意識を斬る事はない。
他所を向いていてもアルルーナは寸分たがわずリリエル達の、エルトリスの相手をし続ける。
「……貴女の差し金かしらぁ、アルケミラちゃん?」
「ひぐっ、ぁ……く、ふ、ぅぅ……っ」
アルルーナの言葉に、アルケミラは膝の上で涙をボロボロと流しながら――赤く腫れ上がった尻を、アルルーナの手のひらから逃れさせようと揺らす。
そうする事以外、最早アルケミラに出来る事はなく、アルルーナは小さく舌打ちをしながらその尻を一際強く叩いた。
「きゃ、ぅっ!?」
「チッ。まあ良いわぁ、こんな悪あがき直ぐに終わらせてあげる」
その言葉と同時に、アルルーナは大樹の中の全てを視る。
文字通り、大樹の隅々――僅かな亀裂から隙間に至るまで、全てに視野を作り出して、死角など一切なく視て。
――しかし、その視界が異変の原因を捉える事はなかった。
全ての視界を共有しても、アルルーナの目にはただ枯れていく大樹が映るのみ。
それが、アルルーナの持つ唯一の欠点とも言えない欠点だった。
アルルーナの動体視力は常軌を逸しているが故に、例え音の速さで動く物であったとしても捉える事ができる。
それどころか視覚を総動員したのであれば、光の速さでさえ知覚し得るだけの実力がアルルーナにはあった。
だが、見えない物は視えない。
そこに映る景色に存在しないものは、アルルーナは視る事ができない。
そんな当然の事象こそが、アルルーナの持つ明確な欠点だった。
「おかしい、居ない……!?」
故に、アルルーナは困惑する。
じわりじわりと枯れていく大樹を感じつつも、その原因を察知することができない。
……そして、もう一つ。
アルルーナはその口ぶりとは反して非常に高い知性を併せ持っている。
相手の行動予測もその一環だが、その知識の殆どは魔族側の世界で培われたもので。
魔性の武器が持つその性質までは、殆ど無知に等しかった。
それでもアルルーナは問題ないと思っていたのだ。
如何なる性質を持っていたのだとしても、それを扱うのが人間であるのならば取るに足らない。
人間は脆く、弱く、ただの塵芥に過ぎないのだから――そう、思っていた。
その中に、自らにとって致命的な物を抱えている者が居るなどとは、考えてもいなかったのだ。
「――まあ、良いわ。視えなくても関係はないのだし」
――その上で、アルルーナは余裕を崩さない。
大樹がミシリ、ミシリと音をたててうごめいたかと思えば、大樹が枯死していくその中心に向けて、無数の蔦を伸ばしていく。
それは、エルトリスやアルケミラに向けたものと同等の速度を以て、大樹の頂上を無造作に、幾度となく打ち据えた。
そこに何がいようと関係はない。
丸ごとすり潰してしまえば、それで事足りる――それだけの力の差が、自分と塵芥との間にはあるのだと、アルルーナは確信していた。
「――ッ、ぐ……っ!?」
「左、次は後ろ、ええと、右に――!!」
「エエイ、視界ヲ寄越セ!!言葉ニサレテカラデハ間ニ合ワン!!」
「コンナノ、チョクゲキシタラ防ゲナイ――ッ」
――事実。
その無造作で雑な攻撃一つで、頂上に居たアミラ達は瞬く間に窮地へと追いやられていた。
ノエルの千里眼で辛うじて攻撃を回避しつつも、音の速ささえも置き去りにしかねない程の蔦の乱舞は、それだけでアミラ達の身を削っていく。
イルミナスはノエル達を抱えつつ、視界を共有する事で辛うじて回避を続けていたが、それも長くは続かない。
それだけの力の差が、アミラ達とアルルーナの間にはあった。
このまま続けば、瞬く間に全滅する――そう自覚すれば、アミラは唇を噛みながら、言葉を吐いた。
「……ッ、済まない、マロウト」
それは、惜別の言葉。
アミラはルシエラやワタツミと違い、言葉を発する事ができる程の力がない相棒へ、別れを告げる。
――同時に、大樹が枯死する速度が段違いに上がった。
見る見る内に大樹が頂上から枯れていく。
生命力に満ちていた幹はヒビ割れ、砕け、生い茂る新緑は見る影もなく褐色に染まっていく。
それと同時に、バキン、とアミラが手にしていたマロウトが悲鳴を上げた。
亀裂が走る。
形が歪み、捻じれ、今にも壊れそうになる。
元より、アルルーナの魔力を吸い上げるなどという事は、マロウトには余りにも荷が重すぎたのだ。
アミラはそれでもマロウトが壊れないギリギリのラインを見極めていたが、それを止めてしまった。
故に、マロウトは見る見る内に自壊していく。
アミラとて、平気なわけがない。
先祖から受け継いだ大事な魔弓を――これまで歩みを共にしてきた魔弓を、こんな風にするなど耐え難い苦痛でしか無い。
「――そう。まあ、塵芥にしては頑張ったわねぇ」
――その努力を苦痛を、アルルーナはため息まじりに切り捨てた。
「ナ――ッ!?馬鹿ナ、大樹ヲ――」
「切断、した……!?そんな、これじゃあ――」
大樹の枯れた部分を、アルルーナは切除し、切り離す。
切り離された部分は蔦に弾かれ、宙を舞い、アルルーナから離されて。
それは有る種、アルルーナが視えざる何かを脅威として認めた瞬間でもあり――
「……マロウト、最期にもう一仕事だ」
――同時に。
アルルーナが、決定的なミスを犯した瞬間でもあった。
大樹が切り離され、イルミナスが、ノエルが、バウムが――そして、アミラが空中へと投げ出される。
最早、当初にアルケミラに提案されたように、外側からアルルーナを枯死させる事は叶わない。
アルルーナは知らなかった。
視えざる何かが持つ力を、アルルーナは植物を枯死させる力を持つ何かだと考えていたのだ。
故に切り離してしまえばそれで終わりだと、そう確信していて。
そうすることで、アルルーナは視えざる何かから、完全に意識を切ってしまった。
だが、事実は違う。
アミラの、マロウトの持つ力は植物から力を束ね、放つモノ。
植物が枯死するのは、飽くまでもその過程に過ぎず――
「見せてやろう。弱者の牙という物を――!!!」
――刹那。
大樹の上空から、極大の光芒が放たれた。
光芒は大樹を穿ち、砕いていく。
射線の先にあるものは、アルルーナの本体。
根本へ向かって、光芒は大樹を破砕して――
――同時に、アミラが手にしていた魔弓は、音を立てながら砕け散った。




