25.強者を屠る牙①
「……はぁ。こっちは本当に退屈ねぇ」
アルルーナは小さく息を漏らしながら、欠伸をした。
その身体には傷の一つも付いてはおらず、彼女は最初に居た位置から殆ど動いてさえ居なかった。
――一方で、彼女の前に立っている面々は正しく対照的。
リリエルはワタツミの力を使い、体を白く染め上げながら戦っていたが、その身体は赤黒く濡れており。
クラリッサは片翼を痛々しい程に圧し折られ、空を飛べなくされていて。
アシュタールはその腕の内四本を戯れに圧し折られれば、残った二本の腕を震わせながら何とか武器を構え。
「唯一興味を持てそうなのはそこの塵くらいだけど……まあ、別に要らないし」
「……ハ、ァ……ッ、随分と、舐め腐ってくれますわね……!!」
唯一大きな負傷を負っていないであろうエルドラドでさえ、その呼吸を大きく乱したまま、一度たりともアルルーナに有効打を入れることが出来ずに居た。
身体に幾つも出来た痣に舌打ちしつつ、刃を構えれば周囲の植物が黄金へと変じていく。
ぐにゃりと形を歪めながら、黄金は質量と速度を伴いながら、まるで弾丸か何かのようにアルルーナへと放たれて――そのことごとくを、アルルーナは指先で弾き飛ばした。
――決して、リリエル達が弱い訳ではない。
魔族達が住まう世界では――人間の住まう世界まで込みにしたとしても、彼女達は屈指の実力者だと言っても過言ではない。
広い世界を探したとしても、彼女たちを上回る程の実力者などそれこそ数えられる程度しか居ないだろう。
だが、それをもってしても尚、アルルーナには遠く、遠く及ばないというだけ。
アルルーナは愚か、他の六魔将にも当然及ぶことはないだろう。
それが、現実。
強者とそうではないものの、隔絶した差。
過去がどうであったかはさておいて、最弱に等しい身体を持ちながらもそれに喰らいつけるエルトリスこそが異常なのだ。
「ッ、ら、あああぁァァァ――ッ!!!!」
「そうよねぇ。同時攻撃しか無いでしょうね、ああつまらない」
黄金の弾丸を片手で弾き飛ばしつつ、同時に鋭く踏み込んできたリリエルを、アルルーナは一瞥する。
その表情には焦りはない。
ただただ呆れと退屈だけがありありと浮かんだ表情のまま、彼女はもう片方の指先でリリエルの振るったワタツミを摘み――
『――凍り、付きなさい!!!』
「ふぅん。で?」
――その指先が凍りつき、砕ける。
だがそれでもアルルーナは構うこと無く、虫でも払うかのように手を振るえば――パァン、と空気を叩くような大きな音を鳴らしながら、リリエルは無惨に壁に叩きつけられた。
声も上がらない。
鮮血を撒き散らしながら、口から赤黒い血を吐き出して――傷を凍らせる事で止血し、何とか動いていたリリエルも、動けなくなる。
片手が砕けはしたものの、それでも何も変わる事はない。
アルルーナにとってこの程度のダメージは痛痒にさえなりえない。
「その隙、貰った――ッ!!!」
「アアアアァァァァ――ッ!!!」
ただ、それでも再生するまでも僅か一瞬。
その刹那だけは確かな隙になる、そう信じて。
「だから、無駄よ。貴方達、鈍すぎるもの」
……その決死の覚悟が、踏みにじられる。
アシュタールが放った一撃を腕の一振りで砕きつつ、クラリッサの鋭い爪を受け止めれば、地面に叩きつけ。
「――ああ、片方だけだとバランスが悪いわね?」
「――っ、い、あ――ああァァァァァ――ッ!!?」
バキン、と残っていた翼の骨を、アルルーナは無慈悲に踏み砕いた。
グリ、グリ、と踏みにじれば、パキ、ボキ、ゴキン、と痛々しい音が鳴り響き、クラリッサは悶絶する。
絶叫を、悲鳴を耳にすれば、アルルーナは僅かに頬を緩めて、息を漏らした。
「ああ、やっぱり塵芥はこうするのが一番よね。自分の愚かさを思い知ってあげる、絶望と後悔の声だけには価値があるわぁ」
「貴様……ッ、ぐ、あぁっ!?」
「げ、ぅ……っ!!」
そして、激昂したアシュタールとクラリッサを文字通り一蹴すれば、二人の絶叫を聞いて頬を赤く染める。
その間も攻撃を続けていたエルドラドに視線を戻すと、アルルーナは傍らに花を一つ咲かせて――
「それにしても、あの二人は賢いわねぇ。勝てないと分かるや否や、逃げ出したでしょう?」
「……ッ」
――その一輪の花から放たれる、無数の種が黄金の弾丸を圧倒する。
圧倒されつつも、エルドラドは器用に盾を作り出せば種から身を守り。
「ええ、そうするべきなのよ。塵芥は震え、怯えながら私の視界に映らないように戦々恐々としてればいいの。貴方達はそうしなかったからぁ、こうして死ぬだけ」
くふっ、と笑みを僅かに零しつつ、アルルーナはその盾ごとエルドラドを砕けば、愉しげに嘲笑った。
「まあ、どっちにしても変わらないのだけどね?直に私の目に映らない場所なんてなくなるんだから」
今度こそ身体を抉られたエルドラドを見て、アルルーナは玉座らしい物を創り上げると腰掛ける。
もう終わったと判断したのか、そうした所で問題がないと判断したのか。
文字通りの満身創痍である面々を見ながら、さてどうしようかしら、と小さくつぶやいた。
このまま殺すのだけは良くない。
そんな事をしては、あっという間にこの塵どもが楽になってしまう。そんなのはつまらない。
玩具にしてもいい。
エルトリスと違って一瞬で壊れるだろうけれど、それでも少しは楽しめるだろう。
やはり虫のような哀れな生き物と魂を移し替えるべきだろうか?
そうすれば、無様に蠢く塵を見てエルトリスが面白い反応を見せてくれるかも知れない。
「くふっ、決まりねぇ。それじゃあ――」
「……ふっ、ふふ……ふふふっ」
――そうして、アルルーナがリリエル達に残酷過ぎる処刑を行おうとした刹那。
全身を赤黒く染め、最早立ち上がる事さえ叶わない筈のリリエルの、心底可笑しそうな笑い声が、周囲に響いた。
アルルーナは、壊すより先に壊れたかしら?とリリエルに視線を向ければ、彼女は地面にワタツミを突き立てて、杖代わりにしてなんとか立ち上がっており。
「……何がおかしいのかしらぁ?それとももう壊れちゃた?」
「げ、ぽ……っ、これ、が……笑わずに、いられましょうか」
口から赤黒い血を吐き散らしながら、リリエルは嘲笑う。
その怪我はどう見ても、これ以上動いていい怪我ではない。
戦うことは愚か、まともに動くことさえ危ぶまれる怪我を負いつつも嘲笑うリリエルに、アルルーナは少しだけ不愉快そうに眉をひそめた。
――どうせ、いつもと変わらない。
残されたエルトリスとアルケミラがどうにかしてくれるとでも思っているのだろう。
そんな事などありえない。
エルトリスは確かに大したものだったが、それも直に動けなくなる。
アルケミラは既に詰ませたのだから、何一つ脅威になりはしない。
ああ、なんて塵芥は下らないのだろう。
そう、アルルーナは呆れと同時に不快感を覚え――
「貴女は、見えるものしか、見ていない」
「……?」
「さっきから……的はずれな事ばかり、言うものですから。嘲笑ってしまいました」
「訳のわからない事を言うわねぇ。もうとっくに貴方達は詰んでるのよぉ?覆しようのない状況だって事が、まだ判らないのかしらぁ――っ?」
――不快感を隠そうともせずに、その言葉を口にした瞬間。
アルルーナは、突然の脱力感に言葉を途切れさせた。
「――モット、モット早ク出来ナイノカ!?」
「無茶を言ってくれるな……っ、これでもかなり無茶をしているというのに……!!それより、ノエル……まだ、見つかっては居ないな?」
「は、はい!大丈夫です、アルルーナの視界に僕たちは、映ってません!」
「イチオウ見ツカッテモ、マモルツモリダケド……期待ハシナイデ、ホシイナ」
――大樹の、頂上。
そこに、小さく声を上げる四人の姿があった。
イルミナス、アミラ、ノエル、バウム。
イルミナスの力によって姿を隠蔽し、ノエルの力によって死角を探りつつようやく大樹の最上部に辿り着いた彼らは――アミラは、マロウトを手に、ただただ力を束ね続けていた。
マロウトは自然から力を徴収し、自らの力へと変える力を持つ。
森林の木々を枯らしながら放つその一撃は非常に強力で――だが、しかし。
事この場面においては、放たれる一撃以上に木々を枯らす程の力の吸い上げにこそ、意味があった。
大樹が、頂上から枯れていく。
並の木々とは違う、それこそアルルーナそのものの生命力の象徴といっても過言ではないそれは、ゆっくり、ゆっくりとだが確実にその力を吸われていて。
アミラは、まるで濁流に飲み込まれているかのような錯覚さえ覚えながらも、その力を懸命に、懸命に適度に霧散させながら、束ね続けていた。