20.歪み行く心
――二日目。
眠り、目が覚めたのを一日と考えるなら、俺はこの悪夢の中で二日目を迎えていた。
意識はまだ微睡んだまま、目を開けるのも億劫で――そうしていると、俺の近くに歩いてくる気配を感じた。
「……ん、ゅ……」
「む、起こしてしまったか。おはようじゃな、エルトリス」
「ん……ふあぁぁぁ……ぅ」
大きく欠伸をしながら、身体を起こす。
目を開けば、そこに居たのはルシエラ――の姿をした、何か。
どうやらアルルーナが俺の母親か何かとして置いているらしいそれは、俺の様子に笑みをこぼせば、頭を優しく撫でてきた。
「今日は……ふふ、流石に連日お漏らしはしなかったようだの?」
「え、えるちゃん、おもらしなんてぇ、しないもん……」
「そうじゃな、良い子じゃ」
下半身に手を当てられれば、顔を赤く染めてしまう。
優しく言葉をかけられれば、頭はどうしても熱くなってしまって。
そのまま、ルシエラのようなそれは俺を抱きかかえようと――……
「……っ、ひ、ひとりでいけるもん!」
「そうか?ふふ、じゃあ一人で頑張るんじゃぞ、エルトリス」
……その手を拒否しても、ルシエラのようなそれは嫌な顔ひとつせずに、俺をベッドの下に下ろした。
見上げれば、見えるのはそれの大きな胸ばかりで、顔を伺う事さえ出来ない。
俺は、奇妙な感覚を覚えながら……その感覚をすぐに頭を振って、振り払った。
……しっかりしなければ。
あとどれだけ続くのかは判らないけれど、目が覚めるまで、耐えればいいだけなんだから。
そんな事を考えながら歩くと、だぽんっ、ぶるんっ、と重たく胸元が揺れて、弾む。
ルシエラの補助がある時はまるで気にならないそれも、補助が一切ないこの夢の中では、嫌なくらいに重く、激しく感じてしまって。
何より、胸のせいで足元が見えないのが、いつも以上に俺を不安にさせた。
昨日の二の舞にならないように、慎重に、慎重に。
階段を一歩一歩、手すりにしがみつきながら降りれば……ルシエラの姿をしたそれに、ぽんぽん、と優しく頭を撫でられる。
「よしよし、よく出来たのう」
「……えへ、えへへぇ」
それだけで、俺は口から声を溢れさせてしまった。
うれしい。たまらなくうれしくて、口元を緩んでしまう。
……違う、こんな事で喜んでどうするんだ。
俺はすぐさま頭を振れば、朝食を取ろうと椅子によじ登り――よじ、登ろうとして……
「ん……っ、んうぅ……っ」
……登れなかった。
おかしい、いくらルシエラの補助がないからって、これくらいなら登れる筈なのに――!?
何度か頑張ってはみたものの、どうしても腕が身体の重みを支える事が出来ず、だんだんと疲れてくれば、ぺたんと座り込んでしまって。
「エルトリス、そちらはアミラお姉さんの椅子ですよ。エルトリスの椅子はこちらです」
「こぉ、ちぃ……?」
リリエルの姿をしたそれの声に視線を向ければ……そこに有ったのは、小さな、小さな椅子だった。
大人が使う椅子よりもずっとずっと低くて小さい、頼りない椅子。
……おかしい、昨日は確かに俺は、普通の椅子に座らされていた、筈なのに……いや、考えるな。
考えれば考えるだけアルルーナを悦ばせる事になるんだから、そんな事をしてやる必要もない。
恥ずかしい事は恥ずかしいけれど、俺は小さく息を漏らしながらその小さな椅子に腰掛ければ――
「……ごちそうさまでした」
――あ、れ?
おかしい、何か一瞬、記憶が飛んだ気がする。
見れば、リリエル達はもう食事を片付けていて、俺の前にあった朝食も綺麗に無くなっていた。
「け、ぷっ」
「ふふ、ほらエルトリス、見せてみろ」
「ん……みゅぅ」
口から漏れた吐息に、アミラの姿をしたそれは笑うと、口元を拭ってくる。
アミラが手にしていた布巾は、べっとりとソースや食べかす、それに涎で濡れて、いて……っ!?
俺は顔を熱くすれば、慌てて口元を腕で拭った。
「大丈夫、もう綺麗にしたからな。ほら、お絵かきの時間だぞ」
「え、ぅ……おえかきぃ?」
「ああ。エルトリスはお絵かきが大好きだものな」
アミラの言葉に顔を熱くしつつも、目の前に紙と色とりどりの絵の具を置かれれば、俺はどくん、と嫌な動悸を感じてしまう。
……最初に見た悪夢の、最後。
自分の名前もかけず、絵を書くことに夢中になってしまった、あのおぞましいユメ。
「……っ」
俺はそれを振り払うようにすれば、絵筆を手にとって、自分の名前を書いた。
エルトリス、エルトリス、エルトリス――大丈夫、ちゃんと書ける。
そんな下らない事に心底安堵しつつ、俺は――
「おお、上手じゃなエルトリス!将来は教師にでもなれるかもしれんのう」
「ん、ゅ……えるちゃん、せんせぇに、なれる?」
「うむ、とっても綺麗な字じゃ。エルトリスは天才じゃな」
「……えへ、えへへぇ……♪」
――ルシエラの声に、俺は表情を緩ませながら、心をふにゃり、と緩めてしまった。
嬉しい、うれしい、うれしい……ルシエラに褒めてもらえるのが、うれしくて、うれしくて――……
――七日目。
この夢に落とされてから、七回目の朝。
もうすっかり慣れてしまった目覚めに、おれは頭を振りながら、体を起こす。
……大丈夫、おもらしは、してない。
「おお、今日は早起きだの、エルトリス」
「うん……ふああぁぁぁ……っ」
ルシエラの言葉に答えながら、おれはこしこしと目をこすると、ぺたん、とベッドから降りた。
もうここでの生活にもなれたものだ。
大丈夫、おれはちっともおかしくなんかなってない。
だぷんっ、だぷんっ、と重たく揺れるおっぱいが、相変わらず邪魔だけど、それでもちゃんと歩けるし――
――そんな事をかんがえていると、すかっ、と唐突に、足が空をきった。
「ひゃ……っ、きゃ、ううぅぅっ!?」
「と……っ、大丈夫か、エルトリス!?」
ぎゅっとルシエラに手を握ってもらえば、ばくんっ、ばくんっ、と心臓がうるさく脈打つ。
階段から転げ落ちるすんでの所で、おれはなんとか踏みとどまって――あ、あっ、まて、まって、何で、急に……っ。
「あ……う、うぅ……っ」
「……エルトリス?」
ルシエラに手を握ってもらった安心感と、落ちそうになった緊張で、じわり、じわりと下半身が、しめっていく。
じょおぉぉ……って、ルシエラの目の前で、おれ、おもらし、しちゃ……っ。
「……っ、ひぐっ、えぐ……っ、ふえええぇぇぇ~~……っ!!」
「おお、よしよし。怖かった、怖かったのう」
階段の上で、おもらししちゃえば……おれは、涙をこらえられなかった。
なさけなくて、なさけなくて……下着も、寝間着も、きもちわるくて。
でもルシエラはそんな俺を優しく抱き上げれば、なでてくれて……そのおかげで、おれはすぐになきやむことが、できた。
【その後エルトリスちゃんは可愛い下着にお着替えして、ご飯を食べさせてもらって、大好きなお絵かきして♥大好きなお姉ちゃん達に絵本を読んでもらったのよねぇ?】
――頭に響いてきた声に、おれは、頭をふる。
ちがう……ちがう、ちがう……でも、おもらししたら、きがえなきゃ、だし……お絵かきも……
【あら違うの?くふっ、くふふふ……っ♥じゃあお姉ちゃん達の真似をしようとして、みっともなくおっぱいを揺らしながら遊んでたのかしら?】
ちがう……っ、おれは、おれはそんなこと……っ。
【くふふっ、くふふふふ……っ、きゃははははは――……♥】
――何日め、だっけ。
もう、何回めかわからない、あさ。
「お早う、エルトリス。もう朝じゃぞ?」
「ん、ゅ……っ」
おかあさんの声に、目をさます。
おかあさんはわたしを見ると、くす、ってわらって。
「……るしえりゃ、おかあさん……だっこぉ……」
「ふふ、仕方のない甘えん坊じゃな、エルトリスは」
わたしは、おかあさんにだっこしてもらうと、ぎゅうって、だきついた。
しかたない、よね?
だって、かいだんとか、ひとりであるいたら、あぶないもん。
だいじょうぶ、だいじょうぶ。
めさえ覚めたら、わたし、あるるーなをやっつけちゃうんだから。
わたしは、ちゅうちゅう、おやゆびをしゃぶりながら……おかあさんたちといっしょに、あさごはんをたべる。
「はい、エルトリス」
「んぁ……ん、む……えへへぇ、ありがとぉ、おねえたん」
やさしいおかあさんと、おねえちゃんたち。
だいじょうぶ、めがさめるまでだって、さびしくなんてないんだから。
「おねえたん、えほんよんでぇっ」
「こら、まだご飯を食べ終えていないだろう?全部終わったら、な」
「んぅ……えるちゃん、えほん……」
「ふふっ。ほら、私が食べさせてあげますから――」
そのあとは、おねえちゃんにごはんをたべさせてもらって、えほんを読んでもらって。
わたしは、いっぱいおえかきをしてから……
【くふふっ、くふふふふ……っ♥エルトリスちゃんはおっぱいばっかりに栄養が行ってる知恵遅れなんだから、そんな難しい事考えないでいいのよ?】
……う、うるさいっ!
わたし、わたしは、えっと……ちえ、おくれ……?
【あらあら、もうそんな事も判らなくなっちゃったのねぇ♥くふふっ、ばぁか♪】
わ、わたし、ばかじゃない!ばかじゃ、ないもん!!
めがさめたら、ぜったいにあるるーなのこと、やっつけるんだから――!!!




