17.決戦/永眠への誘い
ルシエラとエルトリスの放つ拳打が幾度となく、火花を散らす。
アルルーナが距離を離そうとしても付かず離れず、二人はアルルーナに回復する暇を与えようとしなかった。
事実、手を砕かれて以降アルルーナはその脚だけでエルトリス達の拳打に対応しており、傍目から見れば二人が押していると見えない事も無いだろう。
だが――事実は違う。
「くふふっ、きゃははははっ♥良いわ、良いわエルトリスちゃん!お手々が上手、あんよが上手♥」
『舐めた口を――!!!』
「あら、素直に褒めてるのよ?塵芥だったらもうとっくに粉微塵なんだから!」
アルルーナに、追い詰められていると言った様子はまるで無い。
それもその筈、エルトリスと相対したアルルーナはその特性を殆ど使用していなかった。
無論、エルトリス達がそれを使う暇を与えていないというのはある。
だがそれ以前に、アルルーナはまるで自らの能力を扱うつもりが無かったのだ。
使っているのは、己の身体能力のみ。
アルケミラと対峙している本体とは違って、こちらのアルルーナは外見通り――否、内面もアルルーナ自身だが――エルトリスを文字通り玩弄しているという感覚しか無く。
その最中に多少の手傷を負ったとしても、アルルーナは一切余裕を崩すことも無ければ、表情を歪める事も無かった。
(――だが、それならいっそ好都合だ)
しかし、そんな侮辱にも等しい行為を目にしながらもエルトリスは冷静だった。
言葉を口にすることはなくとも、その目は常に勝機を求めており。
戦いを楽しむ事は勿論だけれども、以前ロアと全力でぶつかった際の経験から、自分が勝つにはそれをさせてはいけないという事実を、はっきりと理解していたのだ。
アルルーナの全力が、ロアの全力と同等だとしたら。
――例えそれにぶつかり合って、なお勝てる可能性があるのだとしても、それがルシエラを大きく傷つける事になるのなら。
ならば、今のアルルーナを倒すことに全力を尽くそう。
故に、今のエルトリスは慢心は愚か油断さえも一切なく、アルルーナを倒すために動いていた。
アルルーナが慢心しているのであれば、慢心している内に。
拮抗できているのであれば、その内に。
ルシエラの放つ白く眩く輝いた拳は、脚は、その殆どを弾き飛ばされつつも、確かにアルルーナの身体を捉えていて。
「ん、くふふ……っ、本当に面白いわぁ?貴女のその力はどこから来てるのかしら」
しかし、体の所々を食いちぎられつつも、アルルーナは心底楽しそうに嘲笑っていた。
アリスが遊んでいる時の笑みとは、まるで違う。
“虫の手足をちぎったらどのくらい生きられるのかしら”、“動物に餌をあげなかったらどれくらい苦しんで死ぬのかしら”――そういった残酷さを、ありありとその表情に浮かばせていて。
「私を食べた後は貴女のエネルギーにしているの?そういう意味だと私やアルルーナと似ているのかしらぁ……くふっ、やっぱり似通うのかしら、きゃははっ」
『余裕面もそこまでじゃ――ッ!!』
観察するように、褒めるように、貶すように言葉を口にするアルルーナに、ルシエラは声をあげた。
強烈な、叩きつけるような一撃が、アルルーナの体勢を僅かに崩す。
その瞬間を見逃す事無く、エルトリスは腕を掲げれば、ルシエラの力を腕に集中させて――
「あら……それはちょっと凄いわね。そういう事もできるんだ?」
「――やっちゃええぇぇっ!!!」
――ロアの一撃を砕き、その腕を破砕した一撃。
それを、体勢を崩したアルルーナに向けて放てば、アルルーナは珍しく本気で感心したように、言葉を漏らす。
即座に両腕で体を守るようにすれば、エルトリスの一撃はアルルーナの両腕ごと、身体を砕き――……そして、アルルーナの小さな体は、破片を撒き散らしながら壁に叩きつけられた。
『……ふん、余裕など見せておるからじゃ』
「や……った、のかなぁ……?」
樹液を床に撒き散らしながら吹き飛ばされたアルルーナを見て、エルトリスは幼気に言葉を口にしながら、息を漏らす。
……ここに居るのは、おそらく本体ではない。
本体は今頃アルケミラが戦っているだろうと、エルトリスは戻らない口調に特に動揺する事も無く。
「――くふっ。くふふふふっ。きゃふっ、きゃははははっ」
――ただ、吹き飛ばされたその残骸から聞こえてきたその言葉に、エルトリス達は身構える。
ダメージを与えられなかったわけではない。
事実、アルルーナの本体と何ら遜色ないその身体に、エルトリスの渾身の一撃は大きなダメージを与えていた。
ふらりと立ち上がったその姿に、両腕はない。
腹もえぐれ、脚は片方は辛うじてつながっている程度。
その幼気な顔すらも、三分の一は削れてしまっており、無惨なもので。
「ああ、痛かった!やっぱり貴女は玩具だわ、エルトリスちゃん♥」
『……っ、もう一撃じゃ!』
「う、うん!!」
ただ、そんなダメージさえも無意味と言わんばかりにアルルーナは嘲笑っていた。
エルトリス達は再びアルルーナとの間合いを詰め、今度こそトドメを刺さんとする。
アリスやロアのように、ダメージが通っていない訳ではない。
その身体は明らかに致命的なダメージを負っているのだから、後一押し。
後一押しさえすれば、今度こそ目の前のアルルーナは倒れるのだと、エルトリスは培ってきた直感で悟っていて。
「――ところでちょっと寝不足よねぇ、あなた」
「……っ」
――飛びかかったエルトリスのその周囲に、一斉に花が咲き乱れた。
甘ったるい蜜のような香りのする花に、まるで極上のベッドのように柔らかな綿毛を持つ植物。
既にアルルーナに標的を定めていたエルトリスは、空中だったこともあって止まることも出来ずにその草花に、思い切り突っ込んでしまった。
ふわふわとした暖かく柔らかな感触に、甘い甘い、脳まで蕩けるような蜜の香り。
思考を溶かすようなその感触を、必死になって振り払うようにしながら、エルトリスは霞む頭を軽く振って。
「ほぉら、遠慮しないで寝ちゃえ♥子供は早く寝るものなんでしょう、きゃはっ、きゃはははははっ」
「うる……しゃ、いぃ……っ」
ぐらぐらと重たくなってくる頭を必死になって支えながら、エルトリスは血がにじむほどに唇を噛む。
だが、それでも意識は覚めるどころか益々重たく、鈍るばかりで。
『どうしたエルトリス!?まさか毒――いや、そんな訳がない!毒など効かぬ筈――』
「おねむよねぇ、エルトリスちゃん?昨日は一睡もしてないんでしょう。ほぉら、極上のベッドと甘い香りで眠っちゃえ――」
「……っ、るしえらぁ、ちゃん……ねむ、っちゃった、ら……おこし……」
毒ではない。
昨晩、アルルーナの悪夢を嫌って眠らなかったが故の、生理的な反応。
如何様に抑えようとしても堪えきれないだろうそれに、エルトリスは振り絞るように声をあげながらアルルーナを睨み。
――その眼前を、綿毛が、花々が埋め尽くす。
全身を覆う柔らかな感触を振り払い、振り払い――甘ったるい香りが誘ってくる眠気を堪え、堪え――……
「――くすっ、くふふふっ、ふふふふ……っ♥ばぁか。眠りを堪えるなんてこと、できるわけないじゃない♪」
「……っ」
……次の瞬間には、エルトリスの世界は切り替わっていた。
天も地もない、自分とアルルーナ以外には誰も居ない、真っ暗な眠りの世界。
眠ってしまったのか、とエルトリスは一瞬だけ悔やみつつも、直様に頭を振ってみせた。
「……あの時とは違う。俺にはルシエラが居る、アイツがすぐに俺の目を覚まして、それでお前はお終いだ」
「きゃははっ、仮にそうなったとしても死ぬのは私の一部だけよ?それに、そんな事にはならないもの、ばぁーか♥」
意地の悪い子供が口にするように、エルトリスを小馬鹿にするような言葉を吐き連ねながら、アルルーナは嘲笑う。
そんな事にはならないとは、何を言っているのか。
ルシエラは愚鈍ではない、俺が眠ってしまったのを悟れば直ぐに起こす筈。
――そう考えいていたエルトリスは、いつまで経っても訪れない目覚めにぞくり、と背筋を冷やした。
何故、どうして、何で――いつまで経っても、目が覚めない?
そもそも、わざわざ自分を眠らせた目の前のアルルーナは、何故こんなにも余裕ぶっているのか、と。
「まだ判らない?仕方ないわよねぇ、エルトリスちゃんはおっぱいにばっかり栄養が行った知恵遅れさんだものねぇ♥」
「……っ、黙れ!!一体、何を……!!」
「簡単よ。まだエルトリスちゃんが眠りに落ちてから、瞬きの間も過ぎていないだけ」
「――な」
その言葉に顔を青ざめさせたエルトリスに、アルルーナは心底愉しそうに嗤った。
「きゃふっ、ふふふ……っ、勘違いしてた?夢と現実が同じ時間の流れだとでも思ってた?ざぁんねん♥この間ので勘違いしちゃったのねぇ、くふっ、ふふふふ……っ!!」
エルトリスと変わらない姿の、幼子のアルルーナがゲラゲラと、その姿にはまるで似合わない醜悪な笑い声をあげながら、手を叩き、足を叩き、笑い転げる。
エルトリスはそんなアルルーナに掴みかかろうとする……が、幾ら走ってもアルルーナの元にたどり着くことはない。
そもそもここは深い深い意識の底。
その中にある断片を掴む事など、できる筈もなく。
「さあ、今度はたぁっぷりと楽しみましょう?目が覚めた時、エルトリスちゃんがどうなっちゃってるのか、とぉっても楽しみだわぁ♥」
「く……っ、舐めるな!目を覚ましたら、その瞬間目の前のテメェを粉々にしてやるからな……!!」
――そして、エルトリスにとっては二度目の……今度は一切の手心がない悪夢が、始まった。




