4.幾億の目、一つの脳
「……へぇ」
魔族の住まう地に広がりつつ有る深緑、その中心にある一際巨大な樹。
城というには余りにも有機的過ぎるその中心部で、アルルーナは小さく声を漏らした。
彼女が観ているのは、自らの分身である植物、花――そして新緑の少女達が見ている光景そのもの。
以前アルルーナの分体であるアルーナが行っていた事を、彼女はより高度に、より広く、正確に行っていた。
この世界に広がる彼女の目は、既に数を数えられるような規模ではなくなっている。
そこから流れ込む情報の全てを彼女は理解し、把握し、同時に処理していく。
それは、正しく怪物としか言えない所業だった。
何千何万、下手をすれば国が複数あっても効かない程の人数分の情報を、彼女はたった一人で賄っているのだ。
故に、彼女にとっては全てが余興でしか無かった。
自分が今いる魔族の誰よりも優れているが故に、最後に勝利するのは自分だと信じて疑わない。
真面目にやったのであれば、アルケミラの従僕達もすぐに殲滅できるが、それをアルルーナは決してしようともしない。
なぜなら、そうしてしまえば退屈だからだ。
彼女にとって勝利は当然、当たり前、普通の出来事であり、退屈極まりないものでしか無く。
故に、彼女はただ、相手に勝機を見せつつ弄ぶのだ。
相手に希望を見せ、時には勝利させ、時には喜びを与えてみせる。
――全ては、最後にそれを踏み潰して愉悦に浸るために。
「前は、途中で接続が切れたけど……へぇ、ふぅん」
そんなアルルーナは今、1つの情報に興味津々といった様子だった。
アルケミラの従僕達ではない。
そちらは既に興味を失い、後で処理すれば良いだろうとさえ思っている。
彼女が興味を引いているのは、先程視界に入った幼い少女とその従僕達。
一人ほどアルケミラの従僕が混じっているが、それは置いておくとして彼女たちは実にアルルーナにとって楽しい存在だった。
魔族ではない、障壁さえ持たない人間たち。
その尽くが、木っ端魔族など相手にならない程の力をもって、自らの端末とまともに渡り合っている。
否、戦いっぷりでいうならアルケミラの従僕達よりも遥かに上だった。
線の細い空色のエルフは、白い魔刀を手にアルルーナの分身を凍てつかせ、斬り刻んでいく。
弓使いのエルフは、風を纏った矢を以て、周囲を囲んでおいた蔦に風穴を開けて破壊していく。
金色の髪をした人間は、高笑いをしながら黄金を操り、分身を包み潰し、切り刻み、鏖殺していく。
アルケミラの従僕であろう魔族も、先程見ていた従僕達よりは格が上なのだろう。
その手に様々な武具を持ち、その全てを使いこなしながら分身達を蹴散らしていって。
その誰もが、分身の攻撃をまともに受けすらしなかった。
受けては致命になる、その事を知っていたとしてもそう出来るのは決して多くはない。
特に――
「……へぇ、そっかぁ。前見た時より大分強くなったのねぇ?」
その中でも、アルルーナの目を引いたのは、一際幼く小さい――しかし胸元は大きな、大きな少女。
いかなる原理か、魔剣を身にまとって戦う彼女は他の連中とは明らかに一線を画していた。
以前見た彼女は、それこそアルルーナの小指の先にさえ匹敵しない程の弱者だったが、今の彼女はそれとは違う。
一体どうやってそんなに強くなったのか?
一体どうやってその小さな身体でそこまでの力を発揮しているのか?
アルルーナは久方ぶりに興味を引かれたその少女に、目を輝かせる。
輝かせる――とは言っても、それは決してアリスやアルケミラのような善意のソレではない。
「ああ、どう料理しようかしら……良いわ、良いわね貴女、凄く良い!貴女みたいな子が無様に泣いて恥ずかしがって悶えて、苦しんで滑稽に成り果てるのか見たいわ――!!」
夢見る少女のように口にしたそれは、汚泥そのもの。
あらゆる苦痛、あらゆる恥辱、あらゆる不幸を望むかのようなその言葉に、善意らしいものは欠片すら存在しない。
「――うん、きっと貴女はアルケミラの前のオードブルとしてピッタリね。それじゃあ早速」
悪意しかない言葉を口にした後、アルルーナは軽く目を閉じる。
あらゆる情報を処理しながら、あらゆる情報に思考しながら――アルルーナは、その上で容易く新しいタスクを増やしてみせた。
「――っと、まあこんなもんか」
いざ戦ってみれば、確かに生まれ落ちたアルルーナの兵隊……或いは分身か。
そいつらは確かに強くはあったけれど、まあ何というか、アバドンとそこまで大差は無かった。
一体一体は強い分、進化はしないアバドンとでも言うべきか。
あいつらは一撃で叩き潰しても勝手に進化してたが、こっちは覚える前に叩き潰しちまえばそこまで問題にはならなかったし。
……と言っても、まあ。
分体との戦いを思えば、多分思いっきり手を抜かれてたんだろうけども。
「道も拓けたな。行こう、アルケミラ様の場所まで後少しだ」
「ああ、そうだな――」
――アシュタールの言葉に答えた瞬間、背筋が冷たくなった。
反射的にその場から飛び退けば、刹那の間にふわり、ふわりと花が咲き乱れていく。
それはまるで、アリスが花畑を作る時のような――それでいて、それよりももっと悍ましい何か。
「――エルトリス様ッ!?」
「気にすんな、ちょっと待ってろ」
その花が俺を囲むように広がったかと思えば迫り上がり、壁を作り上げていく。
花でできた壁は一見すれば綺麗では有るけれど――すぐ近くから湧き上がる、ドス黒い気配のせいで全てが台無しだ。
「こんにちは。面と向かって会うのは初めてね、お嬢さん?」
いつからそこに居たのか。
壁ができた直後か、それともそれより以前か。
その肢体をまるで隠すことのない、深緑の美女は愉しげに、愉しげに笑みを浮かべながら俺の事を少し離れた場所から見下ろしていて。
「……テメェがアルルーナか?」
「ええ、とは言っても本体ではないけれど。貴女があんまり素敵だったから、少しは礼儀を見せようと思ってね?」
『抜かせ。礼儀とは最も縁遠い雰囲気を出しておいて良く言うわ』
身構える。
……本体じゃない、っていうのは本当だろう。
ロアのあの異常なまでの威圧感と比べれば、目の前のアルルーナは格段に劣ってる。
だが、それでも――
「――ねぇ、私のペットにならない?今ペットになるか、後でペットになるか選ばせてあげるわ」
――それでも、やばいと。
こいつ相手に気を抜いてはいけないと、俺の勘が全力で警鐘を鳴らしていた。