3.軽いご挨拶
「――っ、止まれ」
前を駆けていたアシュタールが、突然足を止める。
俺たちは特に疑問を挟む事も無く、その言葉に立ち止まれば、それを見上げた。
「これは……植物、か?」
「だとは思いますけれど……」
アミラとエルドラドは目の前のそれを見上げつつ、小さく息を漏らす。
……そこにあったのは、植物の根っこ――或いは蔓、だろうか。
ただそれだけなら何のことはないのだが、問題はその大きさだろう。
まるで建造物かなにかのように、大きく、太い。
見上げなければ全長を見渡すことができない程のソレには、絡むように色とりどりの花が咲き乱れており。
そして、俺とリリエル、それにアミラにはその花に見覚えが有った。
――以前、一つの国を滅ぼした妖花。
アルルーナの分体が国を沈めた、あの時に国中に絡みついていた植物と雰囲気がよく似ていたのだ。
「……にしても、ちょっと」
『うむ……これは』
そう、よく似てはいる。
似てはいるが……その大きさが、あの時の比ではない。
倍どころじゃきかないほどに異常生育した植物に、俺もルシエラも軽く呆気にとられ。
「どうしましょうか、アシュタール。切り拓きますか?」
「……いや、迂回しよう」
「あら、大きいとは言えど植物ですわよ?そう時間はかからないと思いますけれど」
「今はアルケミラ様の元に行くのが優先だ。自分も除去してしまいたいとは思うがな」
アシュタールはリリエルとエルドラドにそう返すと、こちらだ、と口にして来た道を引き返す。
実際、それが正しいのだろう。
アルルーナ本体とは戦ったことは無いが、分体でさえあの悪辣さだったのだ。
下手に手を出そうものなら、何が起こるか判ったものじゃない。
まだアルケミラにも会えていない内からそんな事をするのもな、と俺達も納得して――
「――あらぁ?あらあらあら、何処かで見た顔だと思えば」
――ずるり、とその退路を塞ぐかのように、その巨大な植物は蠢いた。
その巨体の一体何処からそんな声を発しているのか、周囲に響くような可憐な声でそんな言葉を口にしつつ、植物に咲き乱れていた花が一斉にこちらを向く。
「……チッ」
アシュタールが露骨に悪態を吐いたのを見て、まあそうなるよな、と俺も小さく息を漏らした。
……言うまでもない、これはアルルーナの一部だ。
以前は国1つを覆う植物だったが、流石は本体というべきか、規模がアレとは段違いらしい。
「そう、アバドンをけしかけた後は特に興味も無かったけれど生き延びてたのね。ふふ、うふふ、随分頑張ったみたいだけれど――」
「くすくす」
「ふふふっ」
「あははっ、きゃはっ」
周囲から……と言うよりは、蔦からこちらを嗤うような声が次々に湧いて出る。
アルルーナの声には敵意らしいものがない。
分体の時はまだ遊んでいるとは言えど、敵意の1つでも見せたものだが、今回はまるで違う。
「――そうね、ええ。通行を許可してあげても良いわ?」
『ほー、それは有り難い事じゃな』
『どうせ碌でもない事を口走るんじゃないの?』
「……まあ十中八九そうですわね」
ルシエラが、ワタツミが、エルドラドが息を合わせるようにそう口にすれば、アシュタールもリリエルも、アミラも軽く身構えた。
エルドラドはノエル達を軽く抱き寄せつつ、身を守ろうとして――そんな俺達を見ながら、アルルーナはくすくすとおかしそうに笑い。
「服を全て脱いで、その場で平伏しなさいな。そうしたら通してあげる」
「……ハッ」
そして、そんな言葉を平然と口にした。
その言葉は、決して敵に対するものではない。
足元を通る虫けらに対する、単なる遊び――或いは、慈悲ですらあるのか。
「ほら」
「ほら早く土下座しなさいな」
「ゆるしてくださ~い♥って言えたら通してあげる」
「無様に言えた子から先に行っていいわ?」
「簡単よね、それだけで命が拾えるんだから」
「く、く……ははっ、はっ」
「あら……怖くて笑うしか無いの?」
「あ、泣いてお漏らししながら懇願もポイント高いわよ」
蔦のどこからか溢れ出てくるたくさんの声に、俺が嗤えばアルルーナは可笑しそうに笑いながら、言葉を囁きかける。
馬鹿馬鹿しい。
怖くて笑っている訳がないだろう、これは喜びの笑いだ。
強いのは判っていた。以前分体と戦った時ですら、一度は敗北寸前まで行ったのだから。
ただ、あれから俺も多少なりと強くはなっていたから、どんなものか測りかねていたんだが――末端でさえこれか、良い。実に良い。
『答えはまあ、言うまでもなかろうや。のう、エルトリス?』
「ああ」
「そうですね、エルトリス様にするならまだしも」
「そうするくらいなら、この場には……リリエル?」
俺の言葉に、アミラもリリエルも続く。
……何だか今さらっとリリエルが少し妙な事を言った気がするが、気にしないことにしよう。
エルドラドも当然屈するつもりはないらしく、そんな俺達の様子を見ればアシュタールは獅子の如き口元を喜びに歪め。
「くすっ」
「ふふふっ」
「あはっ、きゃふっ」
「あははっ」
「馬鹿」
「バァーカ」
「おっかしい」
「くすくす」
「それじゃあ決まりね、あなた達はみぃんな玩具よ」
――それと同時に、こちらを小馬鹿にするような嘲笑が、一斉に湧き上がった。
ずるり、ずるりと蔦が蠢いたかと思えば内側からずる、ずると人型の何かが這い出してくる。
それは、先程から俺たちへと向けられた笑い声の、その源だった。
ある者は俺より幼く、ある者はルシエラよりも成熟した、無数の人型。
頭に髪飾りのごとく、色とりどりの花を付けた新緑の人型は、クスクスと妖艶に、無邪気に、嘲笑うように笑いながら、次々と生み出されていく。
「……さて、それじゃあ軽く肩慣らしと行こうか」
『そうだの。遅れをとるでないぞ』
「無論です」
『ルシエラこそ足元を掬われないようにしなさいよ』
「軽く蹴散らして、アルケミラと合流するとしよう」
「私は優雅に観戦を……と言いたいですけれど、無理そうですわね。ノエル、バウム、私にしがみついてなさい」
「は、はいっ」
「ワカリ、マシタ」
うん、皆もやる気十分で大変宜しい。
さあ、それじゃあ――俺たちを敵とすら見做していないアルルーナに、以前とはまるで違う、俺達の力を見せつけてやるとしよう。
――次々湧いてくる新緑の群れに、俺たちは一斉に飛び込んだ。