2.光の壁の向こう側へ
「――本当に良いのか、アルカン」
「うむ、行きたいのは山々だがのう」
光の壁の間際。
眩く、しかし目が眩まない不思議な光の袂で、俺達はアルカン達に見送られていた。
アルカンは心底名残惜しそうにしていたが、それでもどうやら行けない事情があるらしく。
「全く、嫌になるのう。こんな時に人間側も小競り合いとは」
「……別にお前が顔を出さなくても良いんじゃねぇか?」
「これでも元三英傑だからの。まあ、今回だけはお嬢ちゃんに任せておくわい」
そう言うと、アルカンは苦笑しながら髭を撫で、俺達に軽く手を振って。
オルカとメネスも俺たちにまたね、と頭を下げるとそのまま立ち去っていった。
……ちょっとだけ残念だ。
きっとこれから結構な戦いがあるから、アルカン達にも楽しんで欲しかったんだが。
「お別れは終わった?それじゃあ行くわよ」
『うむ……そう言えばクラリッサ、どうやって光の壁を超えるつもりじゃ?』
「そう言えば、光の壁は魔族を遮るんでしたね。私は……平気ですけど」
リリエルが光の壁に触れれば、特に抵抗もなく腕は光の壁に入り込んでいく。
まあ、当たり前といえば当たり前だが光の壁は人には作用しないらしい。
俺も軽く触れてみる……が、そもそも触っている感触さえ無く光の壁は俺の手を飲み込んで。
クラリッサはああ、と小さく呟くとゆっくり、ゆっくりと光の壁に手を伸ばし――
「……んん?」
『……どういう事?』
――その腕は、リリエル達と同じく弾かれる事さえ無く、するりと光の壁に入っていった。
魔族を遮る、という名目がある筈の光の壁が魔族であるクラリッサを遮れてない……?
不思議そうにしている俺たちを見れば、クラリッサは少しだけおかしそうに笑って。
「どういう理屈かは判らないけど、こっちからの通行は自由なのよ。向こうからは力を抑えないと駄目なんだけどね」
「ほう、それはまた不思議な話だな」
クラリッサのその言葉に、アミラはふむ、と小さく声を漏らした。
……入るものは拒むけれど、出るものは拒まない、という事なんだろうか?
向こう側とこちら側で光の壁の構造が違う、という事なのかも知れないが……
「……まあ、別にどうでも良いことだろ。さっさと行くぞ」
「そうだな、時間が惜しい。アルケミラ様が何かあるとは思えんが、戦っているであろう仲間達が心配だ」
「そうね、じゃあ行きましょう――ああ、光の中で逸れないようにね?迷子になったら大変よ?」
からかうようなクラリッサの言葉に苦笑しつつ、俺達は各々光の壁の中に足を踏み入れる。
――壁にどの程度の厚みがあるのかは判らないが、壁の中は何とも不思議な空間だった。
地面は有る。だが見えない。
周囲に誰かが居る。でも見えない。
前に道はある。だが何も、見えない。
ひたすらに眩いというのに、しかし目を開いていてもまるで苦ではない矛盾した空間の中を真っ直ぐに歩き、歩き。
「――ちょっと。本当にこれで合ってますの?もう随分歩いていますけれど」
「黙って付いてきなさい。結構広いのよ、壁の中は」
「……仕方ありませんわね。ノエル、バウム、手をちゃんと繋いでなさい」
「はい、エルドラド様」
「……ハ、イ」
まあ、それでも周りからそんな会話が聞こえてくるからそんなに不安はなく。
そうして歩くこと10分か、30分か。
結構な時間を歩けば、ようやく俺たちの目の前から光が消えて――……
「……わ、ぷっ」
「あ、ごめんなさい。立ち止まったらそりゃあそうなるわよね」
……目の前にあったクラリッサのお尻に、思いっきりぶつかってしまい。
鼻頭を抑える俺にクラリッサは苦笑しながら俺の前から退くと……今度こそ、目の前には魔族達の住まう世界が広がった。
草木は少ない。
土が露出した地面が多く、木々も人間側のものと比べれば明らかに別物だ。
捻れていたり、葉っぱの形がそもそもおかしかったり、色が青――青々しいじゃなく、本当に――だったり、毒々しい木の実が成っていたり。
それだけじゃなくきっと、住んでいる生物そのものも人間側とはまるで別物なのだろう。
ただ、空の色だけは変わることはなく。
その御蔭で、この場所はさっきまで居た人間側の世界と地続きなんだと理解することができた。
「――ああ、帰ってきたって感じがするわ……っ」
「そうだな、やっと気兼ねなく元の姿に戻れる」
クラリッサ達も久方ぶりの故郷で気分も一入なんだろう。
ゴキ、ゴキン、と身体を鳴らせば――人の姿から、もとの魔族の姿へと戻っていく。
クラリッサは以前よりも大きな翼を羽ばたかせ、羽毛の生え揃った猛禽を思わせる、しかし艶めかしい下半身を晒し。
アシュタールも腕を以前のように元の数へと戻せば、人の形をしていた頭も獅子の形へと変貌させて。
「……そういえば二人共魔族だったな」
「そう言えばって何よ、そう言えばって……生まれも育ちもこちらの生粋の魔族よ私達は」
「ですが確かに、ずっと人の姿で見慣れていましたからね。少し新鮮です」
「でも私はこちらの姿のほうが好みですわね。人とは違う美というか、逞しさがあって少し見惚れますわ」
「……彫像にしてくれるなよ」
まあ、そんな姿も今更だ。
多くの魔族や異形と戦ってきた俺たちにとっては、その姿も特徴程度としてしか感じられない。
リリエルやアミラの言葉にクラリッサは苦笑し、エルドラドの言葉にアシュタールはじりじりと後ずさりをする。
そんな姿を見ていると、つい俺は口元を緩めてしまった。
『さて、では案内してもらおうかの。先ずはあのアルケミラの元へと行くのじゃろう?』
「……と、そうだったわね。アシュタール、案内は頼める?私は一足先にアルケミラ様の元に行くわ」
「任された」
クラリッサは申し訳無さそうにアシュタールにそういうと、大きな翼を羽ばたかせて飛んでいく。
……疾い。
竜車など目ではない疾さで、クラリッサは空を駆けていき――
「では、自分に付いてきてくれ。そう遠くはない」
「ああ、判った」
――そして、アシュタールも竜車と然程変わらない疾さで走り出した。
今回は竜車もアルカン達に預けてあるから、基本は徒歩だ。
俺はルシエラを纏いつつ走れば、苦もなくアシュタールについていけたが……そう言えば、他の奴らは大丈夫だろうか?
「……?どうかなさいましたか、エルトリス様」
「あー……いや、いらない心配だったな、悪い」
……そんな考えは、すぐに消えてしまった。
苦もなく着いてくるリリエルに、警戒にアシュタールの隣を走り、軽く話しているアミラ。
それに――
「あら、乗りたいんですの?構いませんわよ、私の膝の上でなら」
『やかましい!何じゃその悪趣味な乗り物は!?』
「悪趣味とは失礼な。竜車の荷台に逞しい足を生やした美術品ですのよ?」
「……遠慮しとく」
――何とも形容し難いモノを作って、それに乗っているエルドラド。
ノエルとバウムもエルドラドの隣に腰掛けているし、まああれならそう問題もないか。
そうやって、俺たちはアシュタールの後を付いていきつつ。
暫くの間、見慣れぬ異郷の地の景色を軽く楽しんだ。




