25.地の底で知る真実
「……は、ぁ……やっと、戻れた……いや、戻ってねぇんだけども」
『何を言う、すっかり可愛い元のエルちゃんではないか。さっきまでのエルちゃんも可愛かったがの』
「そういう意味じゃないっての、バカ」
エルトリスのその言葉に、私は安心したように笑みを零してしまった。
……勝負はついた。
さっきの一撃は、間違いなくあの女帝の心を踏み砕いただろう。
エルトリスと共に上に戻れば、そこには力なく項垂れた、あの女の姿。
それと、その横に有る――あの戦いの中でさえ、あの女が傷一つつける事はなかった骸だった。
「……いい加減話せよ。あいつは何なんだ」
『ん……』
エルトリスの言葉に、小さく声を漏らす。
……ほぼ、確信はしている。
あの女の正体についてではない。それは、元より判っている。
私は、大凡だがこの世界が何なのか、察しが付いていた。付いてしまっていた。
最初に違和感を覚えたのは、いつの事だったか。
ヤトガミの洞窟を訪れた時か。或いは、その最奥部にあった物をみた時か。
『……エルトリスよ、お前はどう思う?』
「おい、今更――」
『良いから、答えてみよ。もう奴には抵抗する気概も残っておるまいしの』
私の言葉に、エルトリスが軽く舌打ちしながらため息を漏らす。
さて、エルトリスはどんな答えを口にするのか――
「――性格とか、色々違うけど。それでも、アイツはお前そっくりだと思うよ、ルシエラ」
『そうか、そうか……やはり、のう』
――その答えを耳にして、私は小さく息を漏らす。
今まで私は、奪われたのはエルトリスばかりかと思っていた。
男の肉体を失い、代わりに可愛らしい女の子の身体を宛てがわれ。
そんなエルトリスを愛らしく思いつつも、私はエルトリスが復讐を願っているのだから、それに手を貸しているのだ、と。
……だが、どうやらそれは大きく間違っていたらしい。
『あれは、私じゃよ。紛れもない、この世界の私じゃ』
「……待て、待て。どういう意味だ、この世界ってのは」
『エルトリス、お前はこう思っておったのじゃろう。この世界は、私達が戦っていた頃から遙か先の世界だと』
そう、私もずっと……違和感が確信に変わるまで、そう思い込んでいた。
この世界は私達が居た世界の延長線上。
遙か先に在る場所なのだと、そう思っていた。
「そりゃあそうだろ、だって――余りにも、俺達がこの体になる前と後で、似通った部分が多すぎる。魔法だって、奴隷だって、魔剣だって……違うのは精々、魔族の有無くらいだ」
『ああ、私もそう思っておったよ。じゃが、違う。それでは道理が合わぬのだ』
そう、思っていたのだ。
だが、そうではなかった。
それでは道理に合わない事が――そして何より、目の前の嗚咽を漏らす私が、それをはっきりと示してしまっていた。
ここは、未来ではない。
ましてや、過去でさえもない。
『――ここは、私達の居た世界を歪めた……いや、歩み直させた世界じゃ』
「……歩み、直させたって」
『エルトリス、お前は思わなかったか?私達の居た世界の延長線上にしては、余りにも人が進歩しておらんと』
……そう、すでにそこからして道理に合わなかった。
地名が違う……いや、まあ地名などうろ覚えだが……だとか、そんな事は別にどうでも良い。
だが、私達の知っている人間の文化と、魔法と、余りにも近しいというのは既に異常だったのだ。
年代が近いにしては、知らない国が多すぎる。
未来にしては、余りにも世界が変わらなさすぎる。
全く別の世界にしては、私達が知っている事が多すぎる。
「待て。待て、待て、意味が判らない」
『平たく言うなら、少しずつ変えて新たに歩ませた世界、といった所かの――恐らく、その身体もそういう事じゃ』
「……じゃあ、じゃあ何だ?こっちの世界じゃ、エルトリスはこういう身体だから、そうなったって?」
『エルトリスの言うあの女の仕業じゃろうがな。こちらの世界ではそういう事にしたんだろうさ、腹が立つ』
私の言葉にワナワナとエルトリスが震えだした。
……まあ、それも当然だろう。私だって業腹だ。
よりにもよって、こっちの世界での私はどうやら、主に途中で死なれてしまったらしい。
そうであるなら私が今でも勘違いし続けている事も、主の本来の願いを知らない事も、理解ができる。
……いや、こちらの世界の主が私を造った者と同じ事を考えていたかさえ、解りはしないが。
少なくとも、こんな情けなく無様な私を見せられたのは、余りにも腹立たしい。
「……ルシエラは、そうか。俺と魂の契約を交わしていたから」
『ああ、恐らくは……の』
本来なら、エルトリスをこんな目に遭わせた女はエルトリスだけをこの新しく歩んだ世界に――そこで作り出した、無力で哀れな少女のそれに、エルトリスの魂を上書きして。
そこで一人無力に、誰も知らない場所で生き続けるのを……或いは、野垂れ死ぬのを楽しむ予定だったんだろう。
……となると、アリスやロアと同類の怪物、と見るべきか。
悪辣さは二人の比ではないが、少なくとも真っ当な人間ではあるまい。
ただ、イレギュラーだったのは私とエルトリスの間に結ばれた魂の契約だ。
それのお陰で、私は前の世界から損なわれる事無く、この新しく歩んだ世界へと来てしまい――
『のう、何時まで項垂れておるつもりだ貴様』
「……っ、うる、さい……黙れ……私、は……私は、まだ……」
――そのせいで、こんな私を見せつけられる羽目になってしまった。
ああ、許せるものか。許せるものかよ。
元より、エルトリスに害を為した時点で許すつもりは一切無かったが――出来得る限り惨たらしく、苦しませて死ぬよう手を尽くしてやらなければ。
しかし、まあそれは今は置いておこう。
今は、目の前の私を諭してやるのが第一だ。
……如何に情けなくとも、無様であろうとも、この世界の者であろうと私は私だ、見過ごせる筈もあるまい。
『エルトリス。こやつの処遇は私に任せてくれんか?』
「ん?ああ、まあ別に良いぞ。もうルシエラも元に戻ったしな、喰うなり壊すなり好きにしろ」
『うむ、心の広いエルちゃんで私は嬉しいぞ♪』
「……その言い方はやめてってば」
相変わらずからかうとすぐに顔を赤くするエルトリスに口元を緩めつつ、項垂れたままの私のそばで屈み込む。
……傷はまあ、戦闘はすぐには出来ないだろうが。
私であるなら、そのうち回復する程度ではあるだろう。この分なら変に手当をする必要もなさそうだ。
『大方、貴様はこう思っておるのだろう?主に全てを喰らうモノとして造られた、最後の作品である自分こそが全ての頂点に相応しいと』
「――……っ、何故、貴様がそれを知っている……!?」
『ふん、自分のことだからの。その後が無かったのは……あの腐れ女の仕業か、或いはただの歪みかは判らんが』
大きくため息を吐き出すと、私は倒れ伏した、項垂れたままのそれを抱きかかえ、崩れた柱によりかからせるように座り込ませる。
一体何を、と言った表情で私を見てくる私の姿は、余りにも滑稽で頭が痛くなるが、まあ、良い。
『――貴様に、主の願いを教えてやる』
ともかく、いい加減このバカで愚かな私の勘違いを、完結させてやるとしよう――




