21.この世全ての捕食者②
女帝の体から黒鎖が暴風の如く吹き荒れる。
放たれた黒鎖は床を、壁を、柱を貫きながらエルトリスに殺到し……その尽くを、エルトリスは火花を散らしながら拳で弾いた。
エルトリスの視線が向かうのは唯一つ、先程から赤熱するように赤く輝いている女帝の両手。
女帝は黒鎖を弾かれてもそれが当然というかのように動じることさえなく、エルトリスへと間合いを詰めれば――
「――っ」
「ははっ、そう嫌がるな――っ!!」
――その赤熱した両手をエルトリスへと、おもむろに伸ばした。
まるで掴もうとするかのようなその動きは、決して隙がない訳ではない。
拳で弾けば攻撃する機会も産まれるであろう程度には好機だった――が、エルトリスは背筋に凍りつくような物を感じて、即座に身を翻し。
それを女帝は嗤いながら、エルトリスにその手を振るっていく。
何が不味いのかは判らないが、しかしエルトリスはその手に掴まれる事は致命的だと理解していた。
ルシエラと瓜二つ。
ルシエラと酷似した黒鎖を使い。
そして、その赤熱する様子さえもルシエラと同じだというのであれば――
「……やっぱり、ね」
――女帝の空を切った手が触れた柱を見れば、エルトリスは取り繕う事さえなく小さく呟いた。
そこに出来上がったのは、まるでチーズか何かのように綺麗に、女帝の手の形に欠けた柱の姿。
女帝はくすくすと可笑しそうに嗤いながら、指を軽く鳴らしつつエルトリスを見る。
「つくづく良いな。私とよく似たモノを使っている事といい、お前には運命にも似たものを感じる」
『……ほざけ。エルトリスは私のモノじゃ、毛先一つとて渡さぬわ』
「くく、貴様も良い。私とよく似た劣化品め、お前も壊した後に飾ってやるとしよう」
あくまでも優位は自分にあると疑わない女帝のその言葉に、エルトリスはぴくりと肩を揺らした。
力の上下でどうこう言われることは、別に構わない。
自分が人間だと侮られることも、別にどうという事はない。
「……ルシエラを馬鹿に、するんだ」
――ただ、自らの相棒を侮蔑するその言葉だけは、どうしようもなく彼女の逆鱗を掻きむしった。
床を踏み割るほどの勢いで踏み込めば、突然の加速に女帝はエルトリスを見失い――
「――っ、が……っ!?」
「どうしたの?まだ一発だよ……!!」
腹部に深々と突き刺さった拳を見る間もなく、女帝は壁に叩きつけられる。
口からは血が溢れることさえも無いが、明らかのその表情は苦悶に歪んでおり。
それを見ながら、エルトリスはまるで獣のように駆け出した。
一発、二発、三発。
叩き込まれていく拳に女帝は声を上げながら、壁にめり込み――壁を破壊されても尚、エルトリスの拳は止まる事は無く。
『――エルトリス、下がれッ!!!』
……その優勢を遮るように、ルシエラの声がエルトリスの脳裏に響いた。
「っ、ち……っ!?」
「――惜しい。もう少しでこの両腕で抱きとめられたのだがな」
ルシエラの言葉に従うように後ろへと飛べば、その腕を微かに女帝の指先が掠める。
焼けるような熱を感じながらもエルトリスは距離を取れば、左腕を抑え込み。
そんな彼女の様子を見ながら、女性はクク、と喉を鳴らしながら――口元を軽く拭いながら、ふらりと立ち上がった。
左腕を見れば、特に痣も火傷も無く、エルトリスは小さく息を漏らし……
「まあ、良い。先ずは一つだ」
「――……っ?」
……そして、女帝のその言葉に異常に気づく。
左腕が、上がらない。
傷やダメージで上げられない訳ではない。
ただ、まるで動く機能自体が――或いは、そうするための筋力が失われてしまったかのように、エルトリスはどうやっても左腕を上げられず。
「さて、次は腕か足か――」
「……っ、こ、の……っ!!」
女帝は嗤いながら再びエルトリスへと間合いを詰めれば、悠々と両腕を振るい始めた。
それを身を翻して躱しながら、エルトリスは思考する。
何をされたのか。
どうして左腕が突然動かなくなったのか。
感覚も有る、動かそうとする事もできる、ただ――そう、ただ左腕が異常な程に重く感じてしまって、動かせない。
考えられる事は、ただ一つ。
ルシエラがあらゆる物を喰らうように、女帝もまたあらゆる物を喰らう事ができるというのであれば。
「力を、食べるなんて――ッ」
「ほう、気づいたか。まあ気づいた所でどうしようもあるまい?」
「そうでも、無い……よッ!!」
――つまりは、そういう事なのだろう。
左腕を動かす一切の筋力を失ったエルトリスは、唇を軽く噛みながらも女帝に向き直れば、その動くはずも無い左腕を動かした。
「ふむ、これは……器用だな、ますます気に入ったぞ」
「く、うぅ……っ!!」
十全な頃のルシエラならば、たとえ全身の力を失おうとも戦うことが出来たが、今のルシエラは良くて6割、下手をすれば5割程度までしか戻っていない。
故に、動かない部位を無理に動かすとその分だけエルトリスの動きに微かな歪みが起こる。
普段ならばもっと疾く、もっと思うように動けるというのに――そのもどかしさにエルトリスは表情を顰め、女帝は嗤い。
「む」
女帝のその僅かな隙を突くように、エルトリスは女帝のその腕を、肘を思い切り蹴り上げた。
腕を跳ね上げられれば、再び女帝は無防備を晒し――
「――ああ、成程。済まんな、誤解させた」
――刹那。
女帝のその言葉が口から出るよりも早く、エルトリスは目を見開いた。
両腕のガードがかち上げられた女帝の、その下半身。
妖艶で女性的なその両脚の膝から下が、赤く、赤く赤熱していたのだ。
「きゃ……っ!?」
『エルトリス!?』
ヒュパンッ、と風を切るような音と共に、女帝の足がエルトリスのその両足を軽く払う。
体勢を崩しているとは思えないその動きに、エルトリスは完全に不意を打たれ、声を上げながら転び。
――そして、立ち上がろうとして、ぺたん、と尻もちをついた。
「寵愛だからな。抱擁してやりたかったのだが……まあ、それは今からでも出来るか」
「……っ、く……!?」
下半身に、まるで力が入らない。
女帝を眼前にして、いわゆるアヒル座りをしているその姿はまるで怯えきった少女のようで。
エルトリスは足にも鎖を巻き付ければ、何とか立ち上がろうとする、が――
「うい奴だ。やはりお前はつくづく面白い」
『……っ、エルトリス!私を前に――』
「――さて、これでもまだそうしていられるかな?」
――そうするよりも早く、エルトリスに合わせるように屈み込んだ女帝の赤熱した手が、エルトリスの頭に触れた。