20.この世全ての捕食者①
黒い鎖が、まるで嵐のごとく吹き荒れる。
ルシエラを名乗る女帝の身体から生えるように伸びた鎖は、瞬く間にエルトリス達の元へと殺到した。
「――エルドラド!お前は部屋の外に行ってろ!!」
「そうですわね、そうさせていただきますわ――っ」
エルトリスのその言葉に、エルドラドは迷わず部屋の外へと離脱する。
それを逃さず黒い鎖はエルドラドはもとより、共に逃げようとするノエルとバウムを捉えようとする、が――
「おっと、お前さんの相手は違うじゃろう」
「ああ、テメェには色々聞きたいことも有るしな」
――その尽くを、煌めくような剣閃と荒々しい拳打が弾き飛ばした。
まるで髪を伸ばしで蠢かせるように、無数の鎖を操りながら女帝はふむ、と小さく息を漏らす。
まるで品定めをするかのように目を細めながら、既に先程逃したエルドラド達には興味がないとでも言うかのように、女帝は笑みを零せば。
「――ふむ、まあ良い。どうせ鏖殺するのだ、後でも先でも変わるまい」
二人を前にして、その妖艶な肢体を軽く揺らすようにするとそう口にして、両手の先を軽く開いた。
そこから生み出されたのは、一対の剣。
……否、剣と言って良いのかもわからない、歯車と鎖の集合体だった。
『ここまで似ておるとはのう。曲がりなりにも私というわけか』
「さっきから妙に納得してるみてぇだが俺はさっぱりだぞ!」
納得するように言葉を紡ぐルシエラに、エルトリスは困惑する。
今エルトリスが相対しているのは、存在しているのは紛れもなくルシエラそのものだった。
円盤ではなく歯車であったり、その服装には多少の差異こそあれど、先程放った黒い鎖は当然として、その容貌は声色に至るまで、女帝はルシエラと余りにも酷似していて。
それこそ、エルトリスが目の前にいるのもルシエラだと認識してしまう程のそれに、エルトリスは珍しく戸惑いを隠せずに居た。
ルシエラは少しだけ悩む素振りを見せはするものの、その言葉に何かを返すことはなく。
「……ったく、仕方ねぇな。コイツを倒したらどうあっても教えてもらうからな!?アルカン、手ぇ出すなよ!!」
『ああ、判っておるさ。全く、笑えぬ話だがのう』
「話は終わったか?興味は尽きんが、まあ……そうさな、その使い手を八つ裂いた後にでも、聞かせてもらおう」
――二人のやり取りを面白そうに、興味深そうに眺めていた女帝は、そう口にすると妖艶に微笑んで。
刹那、まだ互いの武器の届かない場所に居た女帝とエルトリスが、丁度その広い部屋の中央で激突した。
部屋どころか構造物ごと揺るがすような衝撃を周囲に響かせながら、エルトリスと女帝は互いに嗤う。
女帝の手にした双剣をエルトリスは黒鎖で受け止めつつ、左右にいなせばその顔面に蹴りを叩き込み――それを、女帝はひらりと交わせば、即座に黒鎖を周囲に展開した。
前後左右、上下さえも絡めるように展開した黒鎖は、エルトリスの動きを瞬く間に封じ――
「――あはっ、しゃらくさいよぉっ!!」
『はっ、その程度か――!?』
――そんな使い方もあるのかと、エルトリスは心底楽しそうに、嬉しそうに笑みを零しながら、周囲にある黒鎖を円盤一つで断ち切った。
散らばる黒鎖をルシエラは喰らいつつ、エルトリスと共に気焔を上げて女帝へと襲いかかる。
嵐の如き拳打を前にして、女帝は興味深そうにそれを眺めつつ、双剣を以て弾いていって。
「ふ、む……面白い、人間というのは皆ここまでやるものなのか?」
「さあ、ね――っ」
「これはアレらでは勝てぬのも当然だな。ふむ――良い」
しかし、女帝はまるで焦る様子もなく。
汗一つすらかかずに、薄っすらと目を細めると、手にした双剣を強く振るってエルトリスを弾き飛ばした。
そして、再び間合いを詰めようとするエルトリスを前にして、女帝は何を思ったのか、その手にしていた双剣を体内に戻したかと思えば――
「……っ!?」
「――気に入ったぞ、人間。気が変わった、手懐けるのはお前が一番良さそうだ」
――ガキン、と。
硬い音を鳴らしながら、女帝はその両手でエルトリスの拳を受け止めてみせた。
決して軽く撃った一撃ではない。
エルトリスの拳にある黒鎖は今なお赤熱し、女帝の手の平を赤く灼いている。
だが女帝はそれを一切気にすること無く、ぐん、とエルトリスの体を持ち上げれば――
「軽いな、人間。そら、受けてみせろ」
「チッ――!!」
――先程の意趣返しとでも言うかのように、女帝はその長く艶めかしい足で、エルトリスの顔面を容赦なく蹴り上げた。
バキン、と砕け散るような音を鳴らしながら、エルトリスの体は宙を舞って、舞って――そして、着地する。
『大丈夫かエルトリス!?』
「大丈夫、ちゃんと受けたから」
鼻から垂れた血を拭いつつ、エルトリスは息を漏らす。
先程の女帝の蹴りには、一切の容赦はなかった。仮に直撃を受けていたならば、顎の骨を砕かれて昏倒――否、最悪首の骨が圧し折れて死んでいただろう。
そうならなかったのは、受ける寸前に両腕の間に黒鎖を作り、蹴りを妨害したからにほかならない。
それでも女帝の蹴りは黒鎖を砕いて、エルトリスの鼻先を掠めたのだが――そんなエルトリスの様子を見れば、女帝は面白いものでも見たかのように手を鳴らしてみせた。
「良い、良い。そうでなくてはな。何せまだ権能すら使っておらんのだ、この程度で果ててもらっては困る」
「……随分と余裕だね」
まるで道化師を嗤うかのようにする女帝に、エルトリスは眉をひそめながら再び拳を構える。
……強い。
少なくとも、尖兵達とはまるで比較にならない程、並の魔族など比較に値しない程に、女帝は強く、そして傲慢だった。
「余裕?ふむ、それは当然だ。何せ私とお前達では土台が違う」
カツン、カツン、と音を鳴らしながら、その妖艶な肢体を見せつけるようにしながら、女帝は悠々とエルトリスへと歩み寄る。
その女帝へとエルトリスは再び拳打を放つ――が、女帝は再び素手でそれと打ち合ってみせた。
火花が散り、衝撃が迸るそれは、決して軽いものではなく。
間に尖兵が巻き込まれたならば、即座に塵になるであろう程の激しい打ち合いで――それを、女帝は素手で悠々と行いつつ、笑みを零す。
「私は、全てを殺戮する種として主様に造られた、謂わばお前達の捕食者だ。下々の出来損ないとはそもそもが違うのさ」
「捕食者……っ!?」
「魔族を、人を、あらゆる物を鏖殺する――お前達全ての上位互換。ああ、だが安心するが良い、お前だけは殺さぬ」
互いの間で火花を散らした拳打が弾けたかと思えば、エルトリスと女帝は互いに弾き飛ばされ、身構えた。
完全な互角。
少なくとも一方が負けているようには見えないその戦いにおいて、しかし女帝はまるで表情を変える事はなく。
「お前には私の寵愛をくれてやろう。唯一の人間として、私が全てを鏖殺する様を隣で見せてやる」
「は……っ、まるでもう勝ったみたいな言い方をするのね」
「ああ、勝負は最早見えた。判らんか?」
女帝は、そう言うと、エルトリスにそっと手を翳し――
「――私はまだ権能を使っておらん。そして無論、私に疲労などは存在しない」
――その手が、赤く、赤く赤熱する。
まるでルシエラが何かを捕食する時のように、女帝の瞳は喜悦に歪み。
「さて、お前はどの程度まで自己を保っていられるかな――?」
『……気を付けよエルトリス、あれは不味い』
「うん、何となくだけど解る……!」
権能を解き放った女帝は、荒れ狂う嵐の如く少女へと襲いかかった。




