13.門を守るもの③
(……ふむ、不思議なものじゃな)
硬い岩盤の中に沈み込んだはずだというのに、アルカンの周囲にあるのは明らかに岩盤のソレではなかった。
酷く粘性のある液体、とでも言うべきだろうか。
水飴、或いは冷たく柔らかな溶岩……そんなモノの中に沈みつつも、アルカンは至って冷静そのもので。
(足場もなく、天地もなく、視界もなし――まあ、問題無かろう)
いつまで続くともしれない息を気にする事さえ無く、アルカンはただその場で身構える。
刀を手にし、軽く腰を落としたその構えは地上でするソレを寸分違わず同じもの。
――それを、視界のないはずの岩の沼の中で、確かに観ているモノが居た。
獣の尖兵は岩の中を自在に、地上以上の速度で泳ぎながらアルカンの様子を見る。
ソレは、アルカンに対して一切の油断をしていなかった。
地上での一瞬で既に、アルカンが強者だと感じ取っていたのである。
だが。
だが、それでもあくまで圧倒的な優位にあるのは自分の方なのだと、獣の尖兵はその細長い身体をうねらせた。
獣の尖兵が持つ異能は、あらゆる物を沼に変える力だった。
それは、魔性の武器が各々持っている不可思議な力同様、生まれついて獣の尖兵が持っていたものである。
エルトリス達が今まで戦ってきた尖兵達は、その生まれついて持っていた能力をろくに扱えなかった、いわば不良品。
それとは比較にならない程の力量を備えていた獣の尖兵は、自らの能力さえあれば目の前の驚異的な老人も打倒する事は可能だと確信していた。
ギュルン、と細長い身体を蛇のごとくうねらせながら、獣の尖兵はアルカンへと疾駆する。
その動きには音がない。
よしんば音がしたのだとしても、アルカンには届かない。
この粘性の高い沼の中では音も光も届きはしないのだ。
そして――
「繧ッ繧ッ縲√d縺ッ繧翫?√d縺ッ繧翫↑!」
――その槍の如き腕がアルカンの身体に確かに触れれば、獣の尖兵は勝ち誇るように笑った。
届いた、と言っても裂いたのは薄布一枚。
だがしかし、先程までは届かせる事さえ叶わなかった攻撃が届いた、その事実が余りにも大きかったのだ。
(――ほう、成程のう)
アルカンは薄布一枚で避けた筈の攻撃で、何故か服がボロボロと崩れていく感覚を覚えれば、目を細める。
焦燥に駆られるでもなく、不安を覚えるのでもなく、ただニタリと、喜ばしげに。
そんなアルカンの様子を観ながらも、獣の尖兵は再び有る感へと疾駆した。
触れられるのであれば、いかなる強者であれど殺せると獣の尖兵は確信していた。
獣の尖兵の持つ異能が沼へと変えるのは、岩だけではない。
生物、無生物問わず沼へと変える事ができる獣の尖兵にとって、触れるという事は即ち殺せる事に他ならなかったのだ。
突き刺したなら、その傷の内側から相手を沼にしてしまえば致命傷になる。
切り傷であれど、そこを沼に変えれば傷口は大きく広がり、大きな痛手となる。
そうして弱らせた獲物を、獣の尖兵は中身を溶かし皮だけにして剥製にする事を、楽しみの一つとしていた。
それは無論、滅多に訪れる事がない人間だけではなく、同じ種族である尖兵であったとしても。
沼の中を疾駆する獣の尖兵の槍先が、一度、二度、三度とアルカンの服を捉えていく。
視界のない、音さえも聞こえない沼の中でそれだけの事ができるアルカンに獣の尖兵は改めて戦慄しつつも、しかしこれだけの相手を剥製に出来る事に歓びの声をあげた。
如何に避けようと、それがいつまでも続くはずはない。
息は永遠には続かず、集中も永遠には続かないのだから。
そうして、再び獣の尖兵が沼の中を泳ぎ、アルカンへと疾駆すれば――
(この辺りかのう)
――刹那、その槍先が勢いよく跳ね上げられた。
完全なる暗闇、完全なる無音。
捉えられる筈もないその一撃を、アルカンはいとも容易く、その穂先が薄布に届いた瞬間に斬り上げたのだ。
「~~~~……っ!?!?!?」
獣の尖兵は混乱する。
何故、どうして、何で、自らの絶対的な優位が崩れたのか、獣の尖兵は理解できなかった。
獣の尖兵は知らなかったのだ。
アルカンがどれだけ強者なのかを理解はしても、アルカンが技のみを以て理外に踏み込んだ怪物である事を知らなかった。
(止まったか。では終いかの)
「縺舌℃縺」??シ溘′縲√≠縺ゅ≠縺ゅ≠!?!?」
故に。
アルカンの間合いにとどまる事、その意味も理解できては居なかった。
精々、大きな手傷を負わされるかもしれない程度の認識しか抱かなかった事を、獣の尖兵は後悔する。
獣の尖兵に叩き込まれたのは、数える事さえ馬鹿らしくなる程の無限の剣閃。
ただその剣閃だけで、獣の尖兵は岩盤から、沼から叩き出され――
「縺セ縲√∪縺??√∪縺?縺???シ!!」
「……ま、40点と言った所だのう。それなりには楽しめたぞ、細いの」
――そして、そのまま。
獣の尖兵が弾き出されたその一瞬だけ開いた地上への道を駆け上ったアルカンを、その視界に捉えれば――まるで短く悲鳴をあげるように、甲高い金属音を一瞬だけ鳴らし。
獣の尖兵は瞬きする間さえもなく、その身体は粉微塵に切り刻まれ、地へと落ちていった。
「ふぅ……しかし歳かの、長風呂は少し身体に堪えるわい」
『……嘘。結構楽しそうに、してたくせに』
身体に着いた泥……というよりは溶けた岩を軽く払いながら、アルカンはサクラの言葉に可笑しそうに笑えば、エルトリス達の元へと戻っていく。
エルトリス達も、まあアルカンなら当然だなと言った様子で彼を迎え入れながら、残る戦いに視線を向けた。
「……して、あのお嬢ちゃんは大丈夫かの?」
「あー?まあ心配いらねぇよ、ちょっと抜けた所もあるが――」
その先に居たのは、盾の尖兵の術中にハマり、身体を歪められてしまったアミラの姿。
アルカンは少しだけアミラを心配するように言葉を口にしたが、エルトリスはそれを鼻で笑う。
「――あんな雑魚には負けねぇよ、アミラはさ」
アルカンはエルトリスのその言葉に軽く笑えば、オルカから差し出された水を口にしつつ、腰に下げた酒瓶を開いた。




