20.1章エピローグ 彼方の地にて
――人の住まう大地から、隔絶された場所。
魔族が通ることの叶わない光の壁の向こうに、彼女たちは居た。
魔族が人とは隔絶した力を持ちながらも、一方的に蹂躙できない理由がそれである。
力の強い魔族ほど、より強い力をもって浄化するその光の壁は、魔王の力をもってしても――否、魔王であるからこそ突破は容易ではなく、それ故に人は長きに渡る安寧を享受していた。
ただ、魔族達も決して為すすべもなくその状況に甘んじている訳ではない。
自らの力量を光の壁に誤認させる、といった手段をもってそれを突破する魔族も、極少数だが出始めており。
それは力量の高い魔族程難しく、今までは光の壁の先へと抜けて、魔王達を出し抜いて人の世界を征服、蹂躙しようとするような木っ端ばかりだったが――……
「――どういう事よ!?」
そんな隔絶した大地の一角。
人の住まう大地とは異なる摂理、異なる生態系を築いているその地にそびえ立つ白亜の城の中から、女性の声が響き渡る。
白亜の城の奥、円卓を囲むようにしていた者たちはその声に眉をひそめ、或いは小さく息を漏らし――そして、声を荒げていた女性は悔しげに円卓に拳を叩きつければ、椅子に腰掛けた。
「……ドウイウ事モコウイウ事モナイダロウ。言葉通リダ」
「それがどういう事だって言ってるのよ!ファルパスがやられる!?あり得ないわ!」
人の形をした光体のあげた無機質な声に、女性は再び声を荒げる。
響き渡る声は、ただそれだけで城を揺らし、城外にまで影響を与えていき――そんな彼女の様子に、六本腕の男性は再び溜息を漏らした。
「落ち着け、クラリッサ。イルミナスとて何も感じていない訳ではない」
「……っ、それは……解って、いるけど」
「元より、ファルパスは戦闘向きではなかった。この中で唯一偽装が出来る程度だったからな、負ける事もあるだろう」
「……本気で言ってるの、アシュタール?英傑ならまだ判るわ、でもアイツは今回大国になんて近づいてない!きっと何かあったのよ、それこそアルルーナのクソ女にハメられて――」
「――クラリッサ」
六本腕の男性――アシュタールに、再び感情的になりかけたクラリッサを、静かな声が制する。
決して大きな声ではなく、その声に怒りが載せられている訳でもない。
……だが、その静かな声を聞いた瞬間、クラリッサは感情を抑え込み、唇を噛み締めながらもその声の主に申し訳無さそうに頭を下げた。
「……申し訳、ありません。アルケミラ様」
「いえ、良いのです……貴女の言わんとする事も、判らなくは有りません」
蒼い髪に白い、血の気を全く感じさせない肌をした、長身の美女――アルケミラは、優しくクラリッサにそう告げると、もう二度と誰かが座る事は無いであろう席に視線を向けて。
そして、何かを懐かしむように、しかし悲しげに軽く瞼を閉じれば、気持ちを整えるように軽く息を漏らした。
「ですが、恐らくはアルルーナの手の者ではないでしょう。少なくとも、まだあちら側へ抜ける手段が限られている今は争う理由が有りません。彼女にとっても不利益でしか無いですから」
「……デスガ、トナルトアノ場ニ英傑クラスガ居タ事ニナリマスガ」
「稀に、そういう奴も居るとは聞いている。元より英傑は人間だからな、野生にも居るんだろう」
「……っ、私も、着いていくんだったわ」
「ソレガ無理ナノハ、解ッテイルダロウ。ファルパスハ……タダ、運ガナカッタノダ」
無機質ながらも、今度は言葉を選ぶようにイルミナスが呟けば、クラリッサは視線を落とし。
目が有るかも判らないが、イルミナスとアシュタールは顔を合わせると、二人もファルパスが死亡した事がショックだったのだろう、軽く肩を落としてしまった。
――彼らは魔族の中でも魔王に次ぐ実力者である六魔将が一人、アルケミラの元に集った同士である。
アルケミラの配下の中でも特に上位の四人であり、羅刹のアシュタール、破光のイルミナス、歌姫のクラリッサ――そして、楽士のファルパスと言えば、アルケミラ配下の四天王として名も知れていて。
その四人の中ではファルパスは実力で大きく劣っていたものの、他者を強化するという事に非常に長けており、三人は決してファルパスを見下したりといった事はしておらず。
……そして、アルケミラにとってもまた、ファルパスはとても大事な配下の一人だった。
「もうあの音色を聞けないのは、残念でなりません」
「……っ、アルケミラ様がそう言ってくれるだけで、アイツは救われると、思います」
心の底から惜しむようなアルケミラの言葉に、クラリッサは微かながらに笑みを零す。
そんな彼女の様子に、どこか安堵したかのような笑みを見せた後――
「……しかし、もしこれが奸計によるものではなく、野に居る者の仕業であるのであれば」
――是非、欲しい。
笑みをこぼしていたクラリッサは、そして慈愛に満ちた言葉に気を僅かに緩めていたアシュタール達は、アルケミラのその微かな呟きにゾクリ、と背筋を冷やした。
人が欲しい、という魔族としては異質とも言えるその言葉は、正しくアルケミラの性質を表していた。
彼女は実力に対して正しい評価をする、魔族としては珍しいタイプの女性である。
彼女には如何なる賄賂であろうと、媚びであろうと通用しない。
戦力、知略、或いはその技能。
それが秀でていると判断したのであれば、彼女はいかなる手段をもってしてでもそれを手に入れようとする。
――その結果、その者の周りの全てが――或いは、その者までもが死滅しようとも。
「――とは言え、まずは見極める必要がありますね。クラリッサ」
「は、はい」
「これを……そうですね、確かあの地の近くにアリスの配下が居た筈ですから、彼女に」
「解りました」
アルケミラに渡された書状を手に、クラリッサは部屋の窓から矢のように飛び立った。
それを笑顔で見送った後、アルケミラはどこか失ったものを愛おしむように、かつてファルパスが座っていた椅子を指先で撫でて。
「……貴方を失っただけの価値がある事を、祈りましょう」
そんな、悲しみを含んだ優しげな言葉を――口元を酷く愉しげに歪めながら、呟いた。