閑話:黄金姫は、目論んだ②
「――しかし」
アリスの従者であるハッターが淹れた茶を口にしつつ、クラリッサは眼前の光景に小さく息を吐き出した。
嘗ては自らの存在意義すらも喪失しそうだったこの場所で、のんびりとお茶をしていることもそうだったけれど――それ以上に、目の前の光景を彼女が看過していることが、不思議で仕方がなかったのだ。
「幾ら何でも、多勢に無勢が過ぎる気がするわね、これ」
年端も行かないような少女――エルトリスに、共にアルケミラに仕えている戦士であるアシュタール、凍てつく魔刀の使い手であるリリエル、金色を操るエルドラドに、疾風の如き矢を放つアミラが対峙している、この光景。
仮にエルトリスが万全であったとしても、些か多勢に無勢に見えるこの光景を前にして、しかし彼女の友人である六魔将アリスは特に動揺している様子もなく。
やはり六魔将ともなれば、そういった価値観も違うのだろうかとクラリッサは訝しむように繭を顰め――
「あら、そうでもないわ?」
――そんなクラリッサに、アリスは事も無げにそう口にした。
サク、と茶菓子を口にしながらアリスはクラリッサに微笑むと、同席していたノエルに視線を向ける。
ノエルは主であるエルドラドから離れ、しかもアリスと同席していることに緊張しているのか、ガチガチに固まっていて。
「ね、ノエルくん。あなたから見て、あっちはどう見える?」
「え……っと」
「大丈夫、別に怒ったりなんかしないから♥」
気さくに、いつものように少女のように語りかければ、アリスは軽く頬杖をついてノエルを眺め――ノエルは胸に手を当てて、小さく深呼吸をすれば。
「……そ、の。あまり、不利には見えないかな、って」
四対一、しかも本来の全力を出せない状況だと言うにも関わらず。
ノエルは少し控えめに、ためらいがちに、そんな言葉を口にした。
「ふふ、そうね♥私もそう思うわ♥」
「む……」
そんなノエルにアリスは笑みを零しながら、ぽふぽふと頭を撫でる。
クラリッサは一体どういうことだろうと首をひねりながら――……
……その視界の端で、四人が動いた。
初めに動いたのは、アシュタールだった。
以前一方的に組み伏せられた雪辱を晴らすというのも有るのだろう、初めから三対の腕全てに武具を持ち突撃するその姿に、エルトリスは楽しそうに笑みを浮かべる。
エルトリスはアシュタールが動くのと同時に、その身にルシエラを纏い……そしてその姿を見たアシュタールは、いけると確信した。
エルトリスの姿は、以前とは大きく様変わりしていた。
手に纏う鎖は軽く覆う程度。
以前は創り出していた鎖の腕は一つとして存在せず、彼女の周囲を回っている円盤さえも存在しない。
つまり、今のエルトリスが出来るのは、その体を用いた――無論ルシエラで強化こそされているだろうが――徒手空拳のみ。
「オオオォォォォ――ッ!!!」
そんなエルトリスに向けて、アシュタールが吠える。
瞬間、繰り出されるのは以前相対した時は見せる事さえ敵わなかった、三対の武具から放たれる無双の連撃。
「――あはっ」
それを前にして、エルトリスは心底楽しそうに笑みをこぼす。
気が触れた、という訳でもない。
アシュタールが手加減をしていると踏んでいる訳でもない。
エルトリスはただ、その放たれる連撃を前にして、その場から動くことも無くその短い手足を動かした。
「ぬ……ぐ、ぅ……っ!?」
「動揺してる暇なんかないぞ?ほら、もっと頑張れ――!!」
武具と手足の間に、火花が散る。
アシュタールは事ここに至り、自らの勘違いを恥じた。
エルトリスが強いことは既に理解していたが、それは飽くまでも魔剣使いとして強いのだと、そう思っていたのだ。
だが、違う。
肉体的には余りにも脆弱だと言うのに、その脆弱さを補っただけで、エルトリスはいともたやすくアシュタールの攻撃を弾き、防ぎ、笑ってみせる。
魔剣使いとして強い、というのも無論あるのだろう。
だがそれ以前に、エルトリスは戦士としても強いのだと、アシュタールは思い知らされて――
「――相手は一人では有りませんわよ!!」
『ぬ……っ、これは』
――瞬間、エルトリスの足元が金色に輝いた。
金色の沼にエルトリスの足がずぶ、と沈み込めば、沼は即座に固まってエルトリスの足を固定する。
「さあ、やっておしまいなさいリリエル――!」
「……私に命令をしないで下さい。ですが――胸をお借りします、エルトリス様」
「おう、来い!!」
そして、アシュタールが連撃を浴びせている最中に、白い装束を纏ったリリエルが斬り込んできた。
瞬く間に周囲の空気が冷たくなり、吐く吐息は白く、白く染まっていく。
しかしそんな状況であれど、エルトリスの笑みは消える事はなかった。
「凍刃阿修羅――ッ!!」
「合わせて十二だ!二本の腕では防げんぞ――!!」
エルトリスを包囲するように、アシュタールの三対の腕が――そして、リリエルの三対の氷の刃が襲いかかる。
同時に十二、という訳ではなくとも根本的な手数の差は圧倒的だった。
アシュタールはこれで少なくとも痛痒は与えられると確信して――……
「な」
「……流石です、エルトリス様」
……次の瞬間起きた出来事に、リリエルは感服したかのように、しかし少しだけ悔しそうに息を漏らした。
エルトリスの腕がリリエルの、アシュタールの武器をそれぞれ弾きつつ、互いをぶつけ合わせる。
それを三度、エルトリスは事も無げに行ってみせたのだ。
ぶつかりあったアシュタールとリリエルの武具は互いに弾かれ、跳ね上がり――そして、がら空きになった胴に、小さな手のひらが触れれば。
「惜しいな、でも悪くはなかったぜ」
「――ご、ぶ……っ!?」
「か、ふっ」
ズン、と重い音が鳴り響いたかと思えば、アシュタールもリリエルも、その場で膝をついた。
意識までは手放さなかった二人に、エルトリスは嬉しそうに笑みを浮かべつつ。
「――っと、これは掴むとヤバい奴か」
「いっ!?」
次いで、アシュタールの体に隠れて飛んできた一矢を、エルトリスは受け流すようにして軌道をそらした。
彼方で弾け、轟音を鳴らした矢にエルトリスはふぅ、と安堵の息を漏らし……同時に弾いた礫が、アミラの額を軽く叩く。
思わぬ反撃に驚いたのだろう、アミラはくわんくわんと頭を軽く揺らしていて。
『ふん、まーまーじゃがまだまだわたしとえるとりすには、およばんのう!』
「言っても、俺も手の内知ってるからだしな。特に最後のとか――」
そう言って頬を掻きながら――エルトリスは、頭上から振るわれた金色の刃を片手で止めてみせる。
残ったのは、エルドラド一人。
その刃もエルトリスの掌が掴んで離さず、最早趨勢は決したように見えたが――
「……ふふっ」
――しかし、エルドラドはそんな状況で笑っていた。
どろり、とエルトリスが手にしていた金色の剣が溶ける。
『ぬ……っ!?』
溶け落ちた金色の剣から即座に手を離しつつも、エルトリスの足は金色の沼に捉えられたまま。
逃れようと沼を踏み砕くも、その一手で対応が遅れてしまい――ぽたり、とエルトリスの服に金色の雫が垂れた。
「ふ、ふふ……っ!かかりましたわねエルトリス!!」
「……あん?」
「貴女の弱点はよーく覚えてますわよ!」
そして、エルドラドが高らかに声を上げつつ、パチンと指を鳴らせば――
「――は!?なっ、ちょ、おま――っ!!」
――瞬間。
エルトリスが着ていた服が、金色に吸い込まれるように消えて、消えて。
服を栄養にでもするかのように金色が増えたかと思えば、エルトリスのその幼さに対して大きすぎる胸の、その先端と局部を覆い。
痴女としか言いようのない格好にさせられてしまえば、その瞬間、エルトリスの顔が一気に赤く、赤く染まっていった。
「どうかしら、その格好なら恥ずかしくて動けないでしょう!さあ反撃ですわ!!」
ぷるぷると震えながら、顔を耳まで赤くして、小さな手のひらで胸を、局部を隠すようにしているエルトリスを前に、エルドラドは勝ち誇り――
「……バカですか、貴女は」
「えっ?」
――そんなエルドラドを信じられないと言った表情で、リリエルは見た。
リリエルの言葉の意味が分からない、とエルドラドは小首を傾げつつ。
ズン、と。
まるで床でも踏み砕いたかのような音が、鳴り響く。
アシュタールの顔が青ざめたのを見れば、何事かとエルドラドは振り返り。
「忘れたんですか。どうして貴女が負けたのか」
「……ええ、と」
「……私は知らん、知らんぞ」
リリエルとアミラの言葉に、エルドラドはようやく思い出した。
確かに、エルトリスはあの時羞恥で固まっていたけれど。
その後自分がどうなったのかを、今になって思い出したのだ。手遅れながら。
「……あはっ、きゃははっ」
「わ……悪かったですわ?そうですわよね、うら若き乙女がそんな格好は恥ずかしいですわよね??」
「ふふっ、ふふふ……エルドラド?大丈夫だよ、私はとーっても冷静だから」
『やってしまえ。やってしまええるとりす』
エルトリスが、取り繕うことすら忘れた口調で、笑う。
そんなエルトリスに、エルドラドはひっ、と短い悲鳴をあげて――
『……でもほんっとにバカねぇ。あんな馬鹿な事しないで、拘束とかだったら本当に勝ちの目もあったのに』
「それでもエルトリス様なら何とかしてしまったとは思いますが……」
――どこまでも続くアリスの空間を、エルトリスに追い回され続けるエルドラドを眺めながら、ワタツミはそんな言葉を口にして息を漏らす。
リリエルはそんなワタツミの言葉に苦笑しながらも、ハッターの淹れたお茶を口にした。
「ね、大丈夫だったでしょ?エルちゃんは強いんだから♥」
「ええ、まあ、確かに……そうですね」
アリスはそんな元気なエルトリスの姿を眺めながら、至極上機嫌で。
「も、もうしません、しませんわっ、だから――っ!!」
「きゃはははははっ!あははははっ、二度としないようにしちゃうんだから――ッ!!!」
……結局、その後追いつかれ、当分は椅子に座る事も困難になるくらいに尻を張り倒されるまでの間、痴女のような姿のエルトリスとエルドラドの追いかけっこは続いたんだとか、何とか。