23.そして、動き出す
「こんにちは、アルケミラちゃん♥」
「ん……アリスですか。こんにちは、向こうぶりですね」
光の壁の向こう側、アルケミラの居城。
ガチャリ、という扉を開くような音とともに現れたアリスを、特に動揺することも無く受け入れれば、アルケミラは手にしていた書類を机の上に置いた。
暫く居城を空けていたという事もあるのだろう、彼女の机の上には山のような書類、書類、書類。
空けていた間に来た闖入者や、攻めに来た勢力――無論、その辺りの木っ端魔族ではあるが――等など、挙げればきりが無いそれらにアルケミラは少しだけ眉間に皺を寄せつつも、アリスには笑顔を向ければ小さく息を漏らす。
本来ならば、門番などの守りを全て無視して本丸であるアルケミラの元まで一気に辿り着いてしまう等、異常事態も異常事態なのだけれど、アルケミラは元よりその元に集った面々も、最早アリスはそういうモノとして認識しているのだろう。
アルケミラの部屋の中から聞こえた声に、部屋の外の魔族も気づきはしたものの、またアリス様かと特に気に留める事もしなかった。
アルケミラが声をかければ、給仕の役目をしているのであろう女性の魔族がうやうやしく頭を下げながら、暖かなお茶をアリスとアルケミラの前に、そして二人の前に茶菓子を置いて。
「いつもありがとうね♥」
「もったいないお言葉、感謝いたします」
アリスの言葉に給仕は嬉しそうに表情を綻ばせつつ、部屋から去っていく。
そうしてようやく部屋に二人きりになれば、アルケミラは少し楽にするように姿勢を崩した。
「大変そうだね、アルケミラちゃん」
「ええ、まあ久方ぶりに長く空けましたから」
苦笑しつつ茶を口にして、小さく息を漏らすアルケミラに、アリスも茶菓子に手を付ける。
茶菓子を美味しそうに頬張るアリスの姿に、アルケミラは軽く頬を緩めながら――
「――それで、今日は何か用ですか、アリス」
――そんな柔らかな表情のまま、そんな問いを口にした。
アリスを非難するような響きこそ無いけれど、この来訪に意味は有るのかを問うかのようなアルケミラの声色に、アリスはくす、と笑みを零して。
「ロアくんが、暫く休むって」
「……ロアが?」
そして、そんな言葉をアリスは何処か嬉しそうに、安心したように口にした。
アルケミラは訝しむように眉を顰めながら、ふむ、と口元に指を当てる。
――六魔将ロアは固有の勢力を作る事も無く、その上で六魔将の一つとして有り続けた有る種の自由人である。
勢力を作らないのはそれに興味がないからであり、その実力は六魔将の中でも折り紙付きと言っても良い程で。
以前アルケミラが声をかけた際も、暫くの間――数日程度だが――戦闘になった後、アルケミラから興味を無くしたかのようにふらりふらりと何処かへ消えてしまった。
そんな自由人のロアが、暫く休むというのは只事ではない、とアルケミラは思考を巡らせる。
「……バルバロイ辺りと一戦を交えた、とか?」
「ううん」
「それでは、まさかとは思いますがアルルーナが?」
「違うよ?」
アリスがお茶を口にしつつ、予想した言葉の尽くを否定すれば、アルケミラはううん、と小さく唸った。
アルケミラは以前ロアと戦って以来、ロアを打倒する事は困難だと判断していたのだ。
ロアを打倒するのだとすれば、それは自分と同格――六魔将である誰かだろうと類推していたのだ、が。
その尽くはアリスによって否定されてしまい、アルケミラは軽く首を捻る。
よもやアリスが、とも思いはしたもののアリスの性格をよく知っているアルケミラは直ぐにそれを否定した。
アリスが手を下すのは飽くまでも相手が攻め入った時のみ。
アリス自身が率先して手を下す事などそれこそ稀にしか無い事を、アルケミラは良く知っていた。
「……まさか」
……そして、そこまで考えて。
アルケミラの頭に、ふとつい最近出会った幼い少女の顔が浮かび上がった。
自分の腰程の背丈しか無い、少女というにも幼い女の子。
アリスと比べても変わらない大きさの人間。
――アバドンという災禍を、仲間とともに押し留め、打ち砕いてみせた宝石。
「エルトリスが、打倒したのですか!?」
「打倒、っていうのはちょっと違うと思うけどね。ロアくんはまだちょっと余裕がありそうだったから」
「それでもあのロアに打撃を与えたのでしょう!?私とて出来なかった事を!!」
あまりの興奮に、アルケミラは立ち上がりながら、彼女らしからぬ大声をあげた。
驚きと喜びの入り混じった声をあげながら、ああ、ああ、とアルケミラは感嘆の息を漏らす。
それ程までに、ロアを打倒するという事は彼女の中では不可能に近い困難だったのだ。
戦うことはできる。
それこそ数日だって――やろうと思ったのであれば数年であっても、アルケミラはロアと戦い続ける事はできるだろう。
だが、それでもアルケミラは一度たりともロアに痛痒を与える事が出来なかった。
霧や霞のようなロアを相手に、アルケミラはあらゆる攻撃を試したがその何れもが通用する事はなく。
ロアの攻撃もまた、その正体を理解した瞬間から対応は出来たものの――結果として産まれたのは、互いに何一つ有効打のない千日手。
最終的に飽きたロアが去っていったのだが、それはさておいて――それを知っているからこそ、アルケミラは興奮を抑えきれずにいた。
六魔将でさえも打倒し得なかった相手を、人間が打倒……とまでは行かずとも、撤退させるに至った。
魔族よりも遥かにか弱い、肉体からして不利を抱えている種族がその牙を届かせた。
「~~~~……っ♥」
アルケミラは体の中を貫くような快楽じみた歓喜に、声にならない声をあげて。
頬を紅潮させながら……は、ぁ、と体の内の熱を吐き出すように、熱っぽく吐息を漏らせば、自分を落ち着かせるようにお茶を口にした。
「……何と、喜ばしい。ロアに恨みが有る訳でもありませんが」
「ロアくんも嬉しそうだったし、私も嬉しいかな♥ともかく、アルケミラちゃんには伝えておこうかなって」
「有難うございます、アリス」
平静を取り戻したアルケミラは、アリスに礼を口にしながら――しかし、心底嬉しそうに口元を歪めてみせる。
「……そろそろ動いても良いかもしれませんね」
「動く……って、ああ、そう言えばアルケミラちゃんはそうだったっけ」
「随分と時間がかかりましたが。ようやく、目的を達する事ができそうです」
椅子から立ち上がり、アルケミラは窓から外の景色を眺めると指先で窓枠をなぞり。
そして、ある一点を見れば――
「――魔王が目覚める前に、事を済ませなければ」
――小さく、ぽつりと。
誰に言う訳でも無く、アルケミラは視線の先にあるモノに、そう呟いた。