20.ありったけ、全てを
世界が、色づいて見える。
空気というものを胸いっぱいに吸って、人というモノを初めて見て、ボクは心の底から歓喜に打ち震えた。
ああ、もっと見たい。
もっと。
もっと、この世界の全てが見たい。
恩人達に軽く手を振りながら、笑顔を向ける。
ありがとう。
心の底からの感謝を、キミ達に送りたい。
キミ達の全てを見る。
キミ達の色も、匂いも、音も、それこそ中身まで全て、全て、全て。
そうしてしまえばキミ達が動かなくなることは、判っていたけれど。
それでももう、ボクの好奇心は止められなかった。
『――っ、撃て――ッ!!!』
ルシエラの恐怖の入り混じった叫びとともに、少年の――ロアの頭部に矢が着弾した。
衝撃波と共に轟音が鳴り響き、炸裂した矢はロアの頭を揺らす。
……そう、揺らしただけ。
無効化された訳ではない。
ましてや、アミラの矢が弱かった訳でもない。
アミラの矢が弾けた余波は、ビリビリと空気が震える程で――それこそエルトリスとて、ルシエラとて直撃を受けたくはない程だった。
「……ああ、良いなぁ」
それを受けて、ロアは嬉しそうに笑っていた。
着弾した部分からは黒い体液を流しながら、しかし楽しそうに、本当に嬉しそうに、笑顔を浮かべて。
「こうかな?」
そして、徐に指先を矢の飛んできた方角へと向ければ――
「――っ、逃げて、アミラ――ッ!!!」
――いつの間に、声が戻ったのか。
取り繕う余裕さえもなく、エルトリスの甲高い声がその空間に響き渡った。
刹那の後にロアの指先から轟音とともに放たれたのは、純粋な魔力の塊。
空間すら歪める程のその力の塊は、指の指し示した方角へと、寸分たがわずに飛んでいき――そして、横っ飛びに躱したアミラの真横を、通り抜けた。
魔力の塊が通り過ぎた跡は、床がまるでくり抜かれたかのように抉れており。
「……ん。まだ、上手く行かないな。でも楽しいや」
それを、ロアは首をひねりながらも楽しそうに、楽しそうに笑って眺めていた。
その様子を確認するよりも早く、再び動けるようになったエルトリスが、エルドラドが、リリエルが――そして、力を取り戻したクラリッサ達が、駆ける。
この場に居る全員が悟ったのだ。
この少年は――ロアは、今ここで倒さなければならない。
ロアが、この世界に慣れる前に倒しきらなければならない――そう、言葉にする事さえ無く、理解したのだ。
「四重奏――氷華葬送!!」
「私とリリエルで動きを抑えるわ!!突っ込みなさいアシュタール――ッ!!」
「言われずとも判っている!!!」
ロアの周囲に、氷の刃が柱のように聳え立つ。
そこから放たれた冷気は、ロアの肌を白く染めて――ロアはそれを不思議そうに眺めながら、パキ、パキ、と身体を鳴らしてみせた。
「これが、冷たい……寒い、なのかな。あは、面白い」
空気までもが凍てつくような冷気の中で笑うロアに、クラリッサはすかさず歌声を響かせていく。
先程まではまるで届かなかったソレも、今ならば届くのだろう。
ロアは目を細めながらそれに聞き入り――その眼前にアシュタールが、そしてエルドラドが来てもなお、目を開く事は無かった。
「私に合わせなさい、デカブツ!!」
「オオオオォォォォ――ッ!!!」
金色の煌めきが、そして斬撃、打撃、刺突の嵐が、ロアを滅多打つ。
その攻撃は、確かにロアに届いていた。
少年の白い肌には傷は付いていたし、攻撃をする度にロアの身体は揺れて、二人の手にも確かな手応えがあったのだ。
――だが。
「――……」
それでも、ロアの笑顔は絶える事はない。
ロアにとって、その何もかもが新鮮だった。
エルトリスに殴られた時も感じた感触ではあったものの、それが武器によってまた違う事を知った。
身体から力が抜けていくその奇妙な感覚ですらも喜ばしかった。
変形し美しく煌めきながら自らを裂くその刃を、美しいと思った。
ロアは初めて得るそのすべての感覚を愛おしみ、喜び――そして、また新たな感覚を求めていく。
「……こう、かな」
それは、ゆるゆるとした動きだった。
子供が、大人の練武を見て真似をするような、たどたどしい動き。
……少なくとも、この姿になる前までは無軌道に、ただ適当に拳を振るっていたロアとは、まるで違う何か。
エルドラドもアシュタールも、戦いの最中に行われたそれが何のつもりなのか、一瞬だけ理解できず――
「防いで下さい、エルドラド様――!!!」
――だがそれを見て……遠くから千里眼を以てロアを見ていたノエルは叫んだ。
エルドラドもアシュタールも、その声に咄嗟になって盾を構え。
ロアの、そのゆるゆるとした動きから放たれた拳が触れれば、瞬間、二人の意識は明滅する。
盾がまるで紙屑か何かのように拉げ、砕け、二人はまるで冗談のように吹き飛ばされた。
「ん……難しいね。読んでる時は出来そうだったけど、見るとやるのとじゃ全然違うんだ。面白いなぁ」
二人を文字通り吹き飛ばしたロアは、首をひねりつつそう言いながら、ひゅん、ひゅん、と。
まるでアシュタールが盾を以て放っていた拳打を真似るように、拳を虚空に振るい。
「――キミもそう思わない?エルトリス」
「……っ」
そして、頭上を見た。
そこに居たのは、ロアの頭上、空高くに立ち、ルシエラと共に構えていたエルトリスの姿。
リリエル達が稼いだ時間を全て用いて作り出したルシエラの拳は、大きく、巨きく。
ただ破壊力のみを求めた、渦巻く黒い鎖の塊と化しており――
「――喰ら、ええぇぇッ!!!」
「ああ、やっぱりキミが一番だ」
――今正に振り下ろされるそれから、ロアは逃れようともせずに。
ただ軽く腕を構えるようにすれば――黒い力の塊に合わせるように、その拳を振り上げた。
轟音が、鳴り響く。
力がぶつかりあった衝撃で、床が砕け散る。
土埃が舞い上がり、視界は失われ。
『――ぐ、あぁっ!!』
「きゃ、うっ!?」
そして、その中から弾き出された小さな影が二つ。
片方は流れるような金糸の髪に、その身体とは余りに不釣り合いな双球を持った少女、エルトリス。
「……ああ。そっか、そうなんだ」
『ぐ……く、そ……とんだばかぢから、めぇ……っ』
……そして、土埃の中から聞こえるロアの声に、辿々しい声で悔しそうに拳を床に叩きつける、黒髪の少女――否、幼女。
ややむちむちとしたその身体を何とか立ち上がらせて、エルトリスを支えつつ……幼くもどこか生意気な顔を顰めながら、その幼女は荒々しく息を吐きだしていた。
「……っ、ルシエラ……!?」
『……すまん、しょうもー、しすぎた……っ。じゃが、あたしはまだ、たたかえるぞ……っ』
――先程の衝突で、ついに力を使い切ったのか。
大人の姿さえも保てなくなった黒髪の幼女――ルシエラは、舌っ足らずにそういいながらも、晴れていく土煙の先を見る。
「忘れてたなぁ――うん、そうだった」
その先にあった影は……ロアは。
「……うん。ボクもまた、壊れるんだったね」
黒く渦巻く力の塊を殴りつけて霧散させた、その拳は――腕は、見る影もなく捻じれ、潰れ、砕けており。
ふらり、ふらりと身体を揺らしたかと思えば、その場に尻餅をついて……ごぽり、と。
口からおびただしい量の黒い液体を吐き出せば。
「――残念。ちょっと、動けないか」
まるで他人事のように。
しかし、酷く哀しそうに、そんな言葉を呟いた。




