17.vs六魔将 ロア③
「遅くなりました、エルトリス様」
書庫の一部がまるでガラスのように割れて、砕けて、見知った人影が落ちてくる。
……ああ、そうだ。そうだった。
リリエルは、あんな街の中に何時までも囚われてるような奴じゃあないし、自分の内面にだって負けるような奴じゃあない。
「いや、いいタイミングだ。助かった」
「――全く、勝手に居なくなるのは止めなさいよね。お陰で要らない苦労したじゃない」
「今回は仕方ないだろう。どちらかと言えば、気付くのに遅れた自分たちが――ぐ」
クラリッサにアシュタールも現れれば、俺は安堵の息を漏らした。
瓦礫を叩きつけられた身体は激痛を訴えては居たけれど、それでも――それでも、仲間が集まってくれば、それだけで無傷だった時よりも気が楽になる。
エルドラド達が援護してくれた時もそうだったけれど。
アバドンと戦っていた時もそうだったけれど……一人ではなく、仲間と肩を並べて戦うのは、本当に楽しい。
「……ふぅん。結局全員、ボクと会う資格は得た訳か」
ロアは白く凍りついて砕けた瓦礫に視線を向けつつ、小さく息を漏らす。
特に焦燥や苛立ちを覚えている様子はなく、ただ淡々と事実を口にしているだけだというのに、それだけで空気が軽く震えていく。
「あれは――」
「ロアだ。外見に惑わされるなよ」
「六魔将を相手にそんな事考える訳ないでしょう?」
クラリッサに耳が痛い事を言われつつも、俺は小さな手を自分の体に当てた。
肋が一本か二本……それに腕も、亀裂くらいは入ったか。
呼吸をして、少し体を動かすだけでもズキリズキリと痛む身体を確認すれば、俺はエルドラドに視線を向ける。
エルドラドの方はと言えば、口から吐血こそしながらも俺よりは軽傷のようで。
ああ、やっぱり大きい身体は羨ましいなあ、なんて考えつつ、口の中に溜まった血を床に吐き捨てた。
「良いか、一瞬でも異常を感じたら直ぐに誰かに伝えろ。伝えられたやつは何が何でもロアの集中を切れ」
「――畏まりました、エルトリス様」
「私は……聞くか分からないけれど、歌を」
「自分は、戦うのみだ」
疑問を挟まない3人の様子に安堵しつつ、呼吸を整える。
ズキズキと痛む肺を、胸を思考から切り離して――そして、ロアに三度、突貫した。
「……はぁ。いい加減無駄だって分からないかな」
「諦めは、悪い方なんでな――ッ!!」
豊満な女神の姿をしたロアの身体を、鎖の拳で撃つ。
一撃にかけるのではなく、手数で、細かく。
どんなに大きな一撃を加えても無かったことにされるというのであれば、相手の行動を妨害する事に専念する――!
「――っ、エル、さ……!?」
「ち――っ、リリエルに何しやがる――ッ!!!」
ぐらりとリリエルの頭が揺らげば、彼女らしからぬ怯えきった瞳が俺に向けられた。
湧き上がる怒りのままに床を叩きつければ、瓦礫を巻き上げるようにしてロアの視界からリリエルを遮り、防いで。
「うん、ありがとう。これで武器に困らないね」
――そして、ロアは小さな声で、しかし皆にも聞こえるようにそう口にすれば。
刹那、俺が巻き上げた瓦礫が勢いよく、有り得ない軌道で周囲に飛び散った。
俺たちを狙いすます訳でもなく、周囲を無造作に薙ぎ払うかのような散弾。
今度は必ず当たる、ともしなかったのだろう。
鎖で弾ける事に安堵しつつも、瓦礫の散弾を防ぐことで手一杯になって――
「ぬ……お、おおぉぉぉ!!」
「馬鹿、無理すんなアシュタール!!」
――そんな中を、突き進む大きな影が一つ。
三対の腕に携えた武具を盾にしながら、猛然とロアへと突撃していくアシュタールの姿が目に入った。
だが、余りにも無謀だ。
ロアに攻撃をした所で、通す手段そのものがまだ判っていないというのに――!!
「おや……確かアルケミラの所の、だったかな。うん、そうだ」
「その首、貰い受ける――!!」
ロアは、当然のごとく武器を振るうアシュタールを前にしても、微動だにしない。
穏やかに感じるような笑みさえ見せながら、よっこいしょ、と瓦礫に腰掛けて、胸元を軽く揺らし。
そんなロアに向けて、アシュタールは油断など一片もなく、その手にした武具をロアの細首へと振るい――
「――流石にアルケミラの所に手を出すと面倒かな。だから、これくらいで済ませてあげるよ」
――その武具を、ロアは指先で触れるだけで止めて見せれば。
瞬間、パラパラと武具が紙束に代わり、解けて――そして、アシュタールは声にならない声をあげた。
「――っ、……っ、――……っ!?」
「君は何も見えない。何も喋れない。そういう存在だ」
「き、さま――アシュタールに、よくも……!!」
ロアが口にした通り、アシュタールは声を出すことも出来ないままに明後日の方向に腕を振るい、振るい。
そんなアシュタールの様子を見たクラリッサは、大きく息を吸い込めば、書架を震わせる程の大音量をその口から吐き出した。
「……っ!!」
ビリビリと空気が、空間が震えていく。
俺もリリエルも、エルドラドも動きを思わず止めて――しかし、その音を直接浴びせられているロアは涼しげに目を細め、クラリッサの声を聞いていた。
確かに届いている筈の音でさえも、ロアにダメージを与えるような事はできないのか。
こんな大音量を直接浴びせかけられれば、鼓膜は破れて、倒れたっておかしくないってのに……!!
「満足したかい?まあ心配しないでいいよ、あとで元に戻してあげるさ――エルトリス達の記述は消した上で、ね」
「……っ!?な、んで――」
ロアのその言葉と同時に、クラリッサが地上へと落ちていく。
翼をいくら羽ばたかせても、羽ばたかせても、空を飛ぶことは叶わず、地に落ちて。
それでもなお、クラリッサは立ち上がったけれど――如何に声を出そうとしても、いつものような魔声を出す事は出来なくなっているようだった。
どうする、どうすれば良い。
せめて拮抗できればとも思ったが、それさえ出来ない。
このままだと、俺達は全員、ロアに何も出来ないままやられてしまう――!!
『……エルトリス』
「どうした、ルシエラ」
『以前言った事を覚えておるか』
「以前――」
そんな最中。
ルシエラが珍しく、少し不安げに口にした言葉に、思考を巡らせた。
以前。
こんな時に、ルシエラは無駄な言葉を口にしたりなんかしない。
『私も、こんな怪物を相手取るのは初めてじゃ。私も、私を信じられん……だが、それでも』
――ああ、そうだった。
ルシエラは、確かにそう言ってくれていた。
『……それでも、私を信じてくれるか?』
「当たり前だ」
だから、俺も二つ返事でそう応える。
変わらない。
あの時言った俺の言葉は変わらない。
ルシエラを、信じる――ルシエラと一緒ならば、どんなことだって出来ると、信じる。
「この――いい加減になさい!!」
「……君は、何故か武器に見えるんだよね。不思議だけど、でも」
ロアが金色の針地獄に穿たれながら――前衛的な姿になりながらも、平然として瓦礫を持ち上げれば、弾く。
エルドラドはそれを弾こうとしたけれど、以前と同じく瓦礫は剣をすり抜けて。
「馬鹿、止めなさいノエ――ご、ぶっ」
「嘘、なんで……どうして!?」
「エルドラドに必ず当たるんだ。それ以外には当たる訳ないでしょ――さて、次はキミだ」
ノエルすらもすり抜けた瓦礫は、エルドラドの腹部に深々とめり込めば、エルドラドは書架に吹き飛ばされた。
立ち上がろうとしても直ぐには立ち上がれないのか、そんな様子を見たロアはリリエルに視線を向ける。
既に、針地獄に穿たれた傷は無い。元通りの女神の姿で、ロアは少しだけ考えるようにして。
「――無駄だって分からないかなぁ」
そして、白刃を――ワタツミを構えながら。
全身を白く染めながら突貫を仕掛けてきたリリエルに、ロアは心底呆れたように息を漏らす。
――ああ。
それが、お前の唯一無二の欠点だ、ロア。
無敵に見える守り、一方的な攻撃。
文字通り次元の違う存在ではあるお前は、絶対に攻撃を避けようとはしない。
「いいよ。やってご覧――エルトリス。きっとキミの最後の攻撃になるからね」
「……っ、エルトリス様!!」
俺から注意をそらす為に突貫してくれていたであろうリリエルが、声をあげる。
ありがとう、リリエル。
お陰で――お陰で、やっとイメージすることが出来た。
俺は、ルシエラを信じる。
ルシエラが、コイツに刃を届かせることが出来ると、信じる――!!
『喰らえ、ロア――ッ!!』
「――は」
鎖の拳はない。
牙のついた円盤も無い。
俺の背後に居る、人の姿をしたルシエラの拳がロアの顔に深く、深くめり込み――そして、ぐしゃりと弾き飛ばして。
「何かと思えば。最後の最後で奇をてらったのかい?」
ロアは、それでも何事もないかのように、笑ったように見えた。
笑ったように見えた、というのも当たり前だ。
「……あ」
「何だい、何を……み、て」
『――届いたぞ、怪物。私らを甘く見たな!』
「ここからが本番だぜ、ロア――!」
――その顔は、偶像のものではなかった。
砂嵐のようにかすれ、表情の判別すら出来ない顔。
「……あはっ」
ロアはそんな人のものではない、生き物であるかも定かではない顔で、確かに笑った。