15.vs六魔将 ロア①
「この姿が気に食わなかったならごめんね、謝るよ。ボクとしては姿なんてどうでも良いんだけどね」
ルシエラの言葉に、目の前の偶像は――ロアは、可笑しそうに笑みを零しながら立ち上がった。
以前のように、輪郭が見えないという事はない。
正体さえ判然としなかったはずのロアの姿は、どういう訳か、私の目にもはっきりと映っていた。
「――でも、残念だな。アリスのお気に入りだっていうから期待してたんだけど」
「……?」
ロアは私を見つめながら、笑顔から一転、冷めた視線を向けてくる。
下卑た視線でも、見下した視線でもない。
ただ、そう。まるで、棚に陳列されている商品でも眺めるかのような、そんな生き物を見ているとは思えない視線。
私はそんなロアの視線に背筋をふるりと震わせつつも、小さく息を吐いて、整える。
腕は動く。足も動く。
先程まで私自身に蹂躙されていた身体は、嘘のように万全だった。
なら――
「シィ――ッ!!」
「やっぱり気付いてないんだね。んー……まあ、良いか。判断するにはまだ早い」
――ロアが動くよりも疾く、間合いを詰める。
相手は六魔将だ。
その性質――それこそ、世界ごと滅ぼしかねない――故に六魔将に数えられていた群体、アバドンとは違い、ロアはただ一人でその称号を冠している。
出し惜しみはしない。するべきじゃない。
最初から、私の全力をぶつける――!!
間合いに飛び込んで尚、まだ構える素振りさえも見せないロアに、私は拳を叩き込む。
創り上げたのは、巨大な拳。
周囲の書架を衝撃の余波で砕きながら、私の拳はロアに叩きつけられて――
「……ふむ」
――そして、触れる直前。
何もないその場所で――ロアの障壁に遮られて、拳は何か硬い物に激突したかのような音を立てて、止まった。
硬い。
私の創り上げた拳は、完全にロアの目前で動きを止めて……
『まだ、じゃ……!!』
「ラ、アアアァァァァッッ!!!」
しかし、元より私も、そしてルシエラもそんな事は織り込み済みだった。
六魔将に名を連ねる者であるならば、障壁も強固なのは当然――アバドンは例外だったようだけれど――なのだから、この程度で意識が、思考が止まる訳もない。
叩きつけたその拳を、瞬く間に変形させる。
鋭く、そして強靭な円錐状。
渦巻くように形作られた鎖の円錐は、唸りを上げながら赤熱し、火花を散らす――!!
でも。
障壁が音を立てて削り取られている、その状況でも。
何故かロアは、構えるどころか何処か嬉しそうに手を叩いて慣らすだけで。
「お、凄い凄い。後もうちょっとだよ」
『その余裕面も、そこまでじゃ――!!』
ルシエラの怒りの籠もった叫びと同時に、音を立ててロアの障壁が砕け散る。
一体何を企んでいるのかは分からない、けれど。
その余裕、直ぐに後悔させてやる……っ!!
「お、っと?」
「捕らえた――ッ」
障壁を砕き、間髪入れずにルシエラの鎖をロアの体に絡みつかせていく。
腕、足、翼、胴、胸、それに首。
雁字搦めに拘束し、地面に鎖を打ち付ければ、ロアはきょとんとした表情を浮かべていて。
私はそんなロアの様子に、得体のしれない悪寒を感じはしたけれど――それでも、拳を止めることはなかった。
如何にロアが六魔将とは言えど、この拘束を一瞬で砕く事なんて出来やしない。
否、たとえ出来たとしても砕いた隙に間合いを取る程度の事は出来る。
私は四対の鎖の拳を作り上げれば、一切の容赦なく――そんな事を考える余裕すら無く――ロアの体を乱れ打った。
顔、胴、胸。
ロアに拳を叩き込む度に、確かな手応えを感じながら、私はあらん限りの力を以て、ロアを打ち続ける。
ロアは、そうしている間も特に何かをする訳でもない。
その豊満な肢体が拉げ、骨が砕け、血を散らしながら――それでも、ロアは何かを考えている、様子で。
――その有様に、ふと私の脳裏に友人であるアリスの姿が、過った。
「……がっかりだ。心底ガッカリだ、何だそれ」
潰れた口から出たとは思えない程に流暢な声で、心底失望したかのような声色で、ロアが言葉を紡ぐ。
刹那、走った悪寒に私は攻撃の全てを捨てて、眼前に盾を作り出した。
まだロアの拘束は解けていないのだから、距離を取れば良いはずだったのに……私の本能が、勘が、死を告げていたのだ。
瞬間、背後に感じた凄まじい衝撃に、意識が明滅する。
私の体は、作り出した盾ごと書架に叩きつけられて――反応すら出来ず、私は肺の中の空気を全て、吐き出し、悶絶した。
「か……ふっ、あ……っ!?」
『エルトリス!?何じゃ、何が起きた――!?』
「アリスのお気に入りだからって期待したのに。何のことは無い、ただの人じゃあ無いか」
ジャリ、と音を立てて鎖が落ちる。
……盾を創り出す刹那、私は見た。
グシャグシャに砕けて壊れていたロアの体が、まるで逆回しのように戻っていく様を。
まるで霧か煙のように、鎖をすり抜けてロアが私の方に手を伸ばしたのを。
……そして、指先で軽く弾いたのを。
「ご、ほ……っ、ぐ……っ」
何とか全身に意識を張り巡らせて、体を起こし、体勢を整える。
ロアは心底冷めたような表情で私を見ているだけで、追撃をする様子は無かった。
……そうする必要もないと思われたのか。
私はロアとの歴然とした力の差以上に、その攻撃とも言えない攻撃の前に見た物を、思い出す。
あの光景は、一度だけ見た覚えがあった。
以前、ヘカトンバイオンと戦った後のこと。
初めてアリスと遭遇して、応戦した時――あの時のアリスのような、理不尽な再生の仕方に、余りに酷似していた。
――無論、あれからああいった手合いへの対処を考えなかったわけじゃない。
再生すら出来ない程にその身を砕き、散らせたのであれば或いは届く可能性はある。
少なくとも、六魔将だからと言って不死身という訳では断じて無い。
私は未だに追撃する素振りすら見せないロアを前に、構えて――
『……エルトリス?』
「集中して、ルシエラ。一瞬でも気を抜いたら――?」
――そして、不意に滲んだ視界に、思考が止まった。
なにかの攻撃を受けた?
違う、何も受けてない。
背中が痛いのはさっき弾き飛ばされたから、だ、し。
だから、だから、何のことはない、はず、なのに――……
「ひっ、く……えぐ……っ!?」
「あーあ。やっぱり駄目か、期待なんてするもんじゃないね」
……なのに、何で!?
何で、こんな、急に、涙が溢れて……思考が、まとまらなくなって……っ!!
「キミは泣き虫の女の子だ。ボクが今、そう書き加えたからね」
『な……っ、貴様、エルトリスに何を――!!』
「うるさいな。言ったろう、エルトリスに文字を書いただけだって」
ほ、ん?
何で、どういう事?私は本じゃなくて、人、で……ああ、もう、何で、何で、何も考えられないの……っ!!
涙が、涙が勝手に溢れて……背中が痛い、痛くて、泣くのが止まらない……!!
「それにしても、本当にがっかりだよ。アリスが気に入ったのなら、こっち側かと思ってたのに……結局キミも、ただの読み物だったわけだ」
「よみ、もの……っ?」
「ま、そもそも噂に書き換えられた事にも気付かないくらいだしね。期待したボクが馬鹿だっただけか」
ロアが、何を言ってるのか、分からない。
私は、既に何か、されて、て……だから……?
『……っ!エルトリス、立て!!それ以上こいつに何もさせるな――!!』
「……でも、そうだね。どっちかと言えばボクはキミに興味があるなぁ。さっきの子もそうだけど、キミらは意思も感情もあるように見えるのに、読み物じゃなくて武器として見える。ちょっと不思議だね……?」
「ひ、く……っ、えぐっ、ふ、ぅぅ……っ!!!」
涙は、止まらない。
感情も、頭の中も、ぐちゃぐちゃで、整理が出来ない。
体も痛くて、痛くて、たまらないけれど――それでも、立ち上がって、ロアを見る。
……ルシエラに、何も、させない。
私の相棒、に……大事な相棒に、何か、させたり、しない……!!!
「ふぅん。まだ立てるんだ……じゃあ、こうしてみようか」
『貴様……っ!!エルトリス、まだやれるか!?』
「……?」
……ルシエラが、急に誰かの名前を、口にした。
エルトリス、って、誰?
私がきょとんとしていると、ルシエラはなにか、困惑してるみたい、で。
「エルトリス……って言っても分からないか。そうだね、じゃあアメリア」
「え、あ」
『――っ、やめろ、やめろ貴様ッ!!それ以上エルトリスに何もするなッ!!!』
ロアが、私の名前を口にする。
ルシエラは、また私の知らない誰かの名前を、口にして。
わけがわからない様子の私を見れば、ロアは相変わらず冷めた表情のまま、口を開く。
「キミの全てをボクが執筆し直してあげるよ、アメリア。性格も、人生も、何もかも。何処にでも在る、ありふれた本の一つになるが良いさ」
『やめろおおぉぉぉぉぉ――ッ!!!!』
ぐにゃり、と私は、何か。
私の中の大事なモノが、全部歪んで、歪んで、解けてしまうような感覚を、覚えながら――
――そうして、私が誰でもない誰かになってしまいそうになった、刹那。
地中から伸びた金色の刃が、ロアの体を深く、深く貫いた。
「私を、忘れてもらっては困り、ますわね……!!」
「……ああ。もう起きたんだ、ちょっとだけ興味が有ったからそのままにしておいたんだけど」
「……え、な……俺、は……っ!?」
瞬間、ぐちゃぐちゃにされていた意識が、頭が、戻ってくる。
……俺は、俺は今何を考えていた?
そもそも、何で俺はあんな――っ!!
『エルトリス!良かった、無事か……!!』
「……悪い、心配かけた。大丈夫だ、ルシエラ」
まるでただの女の子のように振る舞っていた自分に顔を熱くしながら、構え直す。
見れば、ロアは金色の刃に貫かれながら、しかし動じる様子もなく誰かと視線を交わしていた。
その姿を、見間違える筈もない。
「エルドラド!無事だったか!!」
「これを見て無事って言わないで下さいます!?割と満身創痍なんですのよ、私!」
全身に傷を負い、身にまとっていたドレスもボロボロになっていたものの。
エルドラドは憤慨した様子で俺の方を睨みつつ……ノエルもどうやら、まだ無事な様子で。
それだけの元気を、余力を残しているエルドラドを見れば、俺は心底安堵しながら改めてロアを見た。
……ヤバい。
コイツは、こと戦闘においては、アバドンなんかとは比較にならないくらいヤバい。
でも、それでも――エルドラドが居てくれたお陰で、何とか活路が見いだせそうだ。
俺は呼吸を整えれば、ロアを睨み……ロアはそんな俺達を、無機物でも見るかのような冷めた目で眺めながら、小さくため息を吐き出した。




