12.三日目① -在りし日の憧憬、墜ちる影-
今日も今日とて、なにも変わらない穏やかな日。
うっかり六魔将であるロアがこの街に潜んでいる事を忘れてしまいそうになるくらい、暖かで穏やかな日差しに小さく欠伸をしながら、私は小さく息を吐き出した。
『何やら噂にでもなっておったようだのう。誰かを探してる可愛い女の子が居る、じゃったか』
「うるさいなぁ、もう」
……ルシエラの言葉に、先程飲み物を買った時の事を思い出す。
店員が私を見て、ああ君が噂の、なんて言うから何事かと思えば、何やら私の事が街で少し噂になっているらしい。
曰く、可愛らしい少女が人探しをしている、だとか。
曰く、新しく来た可愛い女の子は、美人な母親とメイドを連れているお嬢様だとか。
全くもって、冗談じゃない。
思い出して熱くなった顔を冷ますように、飲み物に口をつける。
果実を搾って作ったのだろう飲み物は甘く、美味しくて心を落ち着かせてくれた。
兎に角、一度情報を整理しなければ。
この街が異常である事自体は、恐らく間違いないのだ。
ルシエラ達が感じている違和感も決して気のせいなんかじゃなくて、恐らく目に見えない部分の何かが致命的におかしいんだろうし。
昨日の行商人だって――私達以外のこの街に来た人間だって、それとは別におかしいと感じているんだから、気の所為なんかじゃあきっとない。
「……んく、ん」
『むぅ……』
「ぷ、は……どうしたの、ルシエラ?」
『いや、何か……昨日よりも、嫌な感じが強まっている気がするんだが、のう』
ルシエラの言葉に、ふむ、と口元に指を当てる。
いよいよもって、怪しい。
きっと既にロアは私達を見つけていて、捕捉済みなんだろう。
それでも手を出してこないということは、考えれる事はそう多くはない。
一つは、何かしらの事情があって私達の前に出られないという事。
これは……まあ、多分、無いと思う。
顔合わせとも言えない、ほんの僅かな間言葉を聞いて対峙しただけの相手だけれど、そんなヘマをするような手合には見えなかった。
二つは、いつでも私達を屠れるから放置しているという事
アリスが強いと認めるほどの相手なのだから、もしかしたらこれはあるかもしれない。
だとしたら、これは明確に付け入る隙なのだから、油断している内に仕掛けたいのだけど――
「……さっさと見つけないとね」
――そして、三つ。
これは、できればそうでないと有り難いと言うか、そうであった場合どうしたものか、頭が痛くなる。
私はできればそうであってほしくないと思いつつ、飲み終えた容器をきちんとゴミ箱に捨ててから立ち上がって、リリエルとルシエラと並んで歩き始めた。
あいも変わらず、街をゆく人々の表情は明るくて、不満など何一つなさそうだった。
道端で笑顔で会話に花を咲かせる女性たち。
仕事中なのだろうけれど、それが楽しいからか、辛そうな顔など一切見せない職人。
そして――……
「待ってよぉ、もう!」
「あはは、こっちこっち――」
「……エルトリス様?」
「ん?」
「いえ、何かを注視していたようでしたので。何か、気になる事でも?」
「あ……ううん、何でも無いの」
……無邪気に笑顔を浮かべながら、走っていく子供を見て。
私の心の中に、ざわざわと掻き立てられるようなものが、あった。
それはきっと、ルシエラ達がいう違和感とはまるで関係のないもの。
ただ、私がそう感じてしまった、だけのことだから……だから、リリエルの少し心配するような声に、私は頭を軽く振って、笑った。
私があの子達くらいだった頃、私がやっていた事を思い出すと、あの笑顔で遊んでいる子供たちに昏い感情が湧き上がってくる。
私にはあの子たちのように、友達は居なかった。
利用する、利用される相手は居たけれど、私はその尽くを殺し、奪い――それをするだけの力が、私にはあったから。
だから、私は何だってやってきたのだ。
大人を襲って奪った。
商売をやっている相手を襲って、喉を潤した。
そうしている内に、日に日に強くなっていく私を恐れた連中は、私を総出で抑え込み、捕らえ、拘束して。
そして――
『――む。どうした、エルトリス?』
「ううん、何でも無い」
――ルシエラの手を軽く握りながら、ああでも、それだけは良かったと、心から思った。
私にはあんな明るい、眩しい子供時代なんて無かったけれど。
常に奪い、殺し、そうやって生きていく事しかできなかったけれど。
そんな中で、ルシエラに会えた事だけは、一等眩しく輝いているから。
私が握った手をルシエラが握り返してくれば、それが心地よくて頬が緩んでしまう。
うん、だからそれでいい。
あの子供たちのような幸せは、きっと私には必要ないものなんだから――
――そう、考えて。
「……あ」
ぽん、ぽん、と目の前にボールが転がってきたのを見れば、私は思わずそれを両手で拾ってしまった。
私の小さな手では抱えきれないような、大人であれば何とか片手でつかめるかもしれない、そんな厚手の布でできたボールを拾うと、子供たちが軽い足取りで近づいて、くる。
「――ごめんね、ありがと!」
「あ……う、うん」
「よかったら、一緒にあそぶ?」
子供は、そんな事を言いながら私に手を差し伸べてきた。
遊ぶ?そんな事をしてる余裕なんて無い。
私達はロアを探さなきゃ――その手掛かりを見つけなきゃ、いけないのに。
……なのに。どうして、こんなにも心が波をたててしまうのか。
「……ううん、大丈夫」
「そう?それじゃあね!」
ボールを手渡せば、子供たちは雑踏の中を駆けていく。
私はそれを見ていると、酷く何か、心を惹かれてしまいそうになって――
「――……っ」
――ぱちん、と。
両手で頬を叩いて、それを辛うじて押し留めた。
おかしい、今のはおかしい。
不自然だ。あまりにも、タイミングが良すぎる。
『どうしたのじゃ、エルトリス』
「……ルシエラ、昨日行商人と会った場所は覚えてる?」
「それでしたら、私が。ご案内いたします」
リリエルの言葉に頷けば、そのまま急ぎ足で通りを歩いていく。
行商人が居なければ、それで良い。
それなら私のこの予感もまだ、ただの勘違いで済ませる事ができるから。
でも、もし。
もう此処には居ないはずの彼女が、まだ此処に居るのであれば――
「――おや。お嬢ちゃん、また会ったね」
「……こんにちは、行商人さん」
――居るので、あれば。
それはきっと、3つ目なのだ。
私が出来る限り、考えたくはなかった、想像したくはなかった、3つ目。
『む。昨日は帰るとか言っておらんかったか?』
「ああ、うん。そう思ってたんだけど、何だかんだ過ごしやすいからさ。家族も呼んで、ここで暮らそうかなって――」
思えば、エルドラドが居なくなった時にどうせ出かけたんだろうなんて、そんなふわふわとした事を考えてしまった時点でおかしかったんだ。
私は――ううん、私だけじゃない、エルドラドは勿論、恐らくリリエルも、アミラも、クラリッサも、アシュタールも。
みんな、既にロアからの攻撃を、受けている――!
「ルシエラ、一旦宿に戻ろう。アミラ達にも伝えなくちゃ」
『……何か判ったんじゃな?よし判った、リリエル、ワタツミ――』
私はルシエラの手を強く握れば、行商人との会話を打ち切って踵を返す。
兎に角、一旦状況を建て直さなければ。
一方的に攻撃を受けたままだなんて、そんなの冗談じゃ――
『――な』
「え」
――冗談じゃ、ない、のに。
私もルシエラも、思わず言葉を失ってしまった。
隣に立っていた筈の、リリエル達が居ない……ううん、それだけじゃあない。
目を閉じていた訳じゃない。
瞬きだって、しちゃいない筈なのに――なのに、どうして。
どうして、私達はこんな、薄暗い裏路地に立っているんだろう――?