18.少女、祝勝会にて
――ルシエラに対価を支払い、目覚めた後。
幸いというべきか、体に多少の気だるさはあれど、おおよそ元の調子に戻った俺はリリエルの作った麦粥を口にしながら、ベッドの上で一日を過ごしていた。
俺としてはもう普通に歩けるし、いつもどおりにしていても問題ないと思う、のだけど。
「――本当に大丈夫ですか、エルトリス様」
「あ゛ー……だから、大丈夫だって」
眠っている間に余程うなされでもしていたのか。
リリエルもギリアムも、せめて今日一日は休んでおけとうるさいので、今日だけはベッドで過ごす事になってしまい。
……全ての元凶はそんな俺を見ながら、ケラケラと笑っていた。
「……ふんっ」
『おーおー、拗ねるでない拗ねるでない』
「くそ、二度と本気でなんか使わないからな……」
ルシエラに反応を返せば返す程にドツボにハマってしまう気がして、俺は悔し紛れにそういうと視線をそらす。
対価を払った時の事を思い出すだけで顔が熱くなるっていうのに、ルシエラを見てると否応無しにそれが蘇ってくるっていうんだから最悪だ。
当分は、出来る限りコイツに反応するのは避けた方が良いだろう、色んな意味で。
「エルトリス様、まだ熱が……?」
「あー、いや、違う。大丈夫だ、そういうのじゃないから」
心配そうに、ほんの僅かに眉を潜めてこちらを見るリリエルと、それを見てまた意地悪く可笑しそうに笑うルシエラ。
そんな二人を少し疎ましく思いつつも、しかしどこか奇妙な……暖かいような感覚を覚えてしまう。
そうして退屈な時間を過ごしていると、コンコン、という見た目に似合わない控えめなノックの後に、見覚えのある――しかし少し痛々しく包帯を巻いた男が姿を現した。
「――おう、大分元気そうだな。どうだ、調子の方は」
「あー、まあ問題ねぇよ」
ギリアムはまあ、その実力の割に本当に良くやった方だとは思う。
聞けば、かなりの時間ファルパスとやりあってたらしいし……まあ、手加減されて遊ばれてたんだろうが、それでも五体満足なだけ大したもんだ。
腕に脚に、それに頭に包帯を巻きながらもちゃんと自分の足で歩いてこっちに来るギリアムに軽くそう返せば、ひらひらと手を振って。
「全く、小さいのに本当に大した奴だ。有難うよ、エルトリス」
「……んあ?」
……何故か唐突に礼を言われて、俺は首を捻ってしまった。
礼を言われるような事をした覚えなんて、まったくない。
何しろ金をくれるっていうから手伝っただけだし、魔物やファルパスと戦えた事を考えるんなら礼を言うのは寧ろこっちのはずだ。
だと言うのに、ギリアムは椅子に腰掛ければ俺の頭をわしゃわしゃと撫でてきて。
「――お前のお陰で、俺の大事なものを守る事ができた。本当に、感謝の言葉もない」
「あー、撫でんな……ったく」
真摯に頭を下げられてしまえば、疑問を口にするような空気でも無くなってしまった。
……まあ、良いか。
礼を言われて何かを損するとか、そういう訳でもないし。
ギリアムが言う大事なモノが何なのかは良く判らないが――ああ、そうだ。
「……じゃあ、金はもっと期待してもいいんだな?」
『ぶはっ。ここでそれを口にするのか、お前さんは……』
感謝してる、というのであればそれくらいは罰も当たらないだろう。
元より罰を当てるような存在が居るとも思えないが。
ギリアムは噴き出すルシエラに、無表情なままプルプルと――笑いをこらえているのか、笑っているのか――震えるリリエルを見れば、心底可笑しそうに笑いながらポンポン、と再び俺の頭をなでてきた。
「あっはっは!いや、そうだな、当たり前だ!勿論上乗せさせてもらうさ、おまけも付けてな!」
「おう、なら良いさ」
何が愉快なのかは判らないが、ギリアムはとても愉快そうで。
まあ、俺も撫でられてもそこまで悪い気分ではなかったし……そう返しながら、今度の金は何に使うかな、なんて思考を巡らせた。
奴隷……は、まあ今は良い。
食費に関しては、まあそこまでかかりはしないだろう。
となると、当面は旅費と――……
「ああそうだ、エルトリスも元気そうだし後で下に来るか?」
「……下?」
……ギリアムの言葉に、思考を中断する。
そういえばこの部屋はよく見れば、俺がとっていた宿屋ではなく。
耳をすませば、階下で何かやっているのだろう。何やら騒がしい声や音が聞こえてきて。
『そういえばさっきから下で何かしてるようだが、何をしておるのじゃ?』
「そりゃあほら、決まってるだろ」
ルシエラの言葉に、ギリアムは逆に不思議そうに首を傾げつつ。
「祝勝会の準備だよ。主役が居なきゃ締まらないだろ?」
極々当たり前のように、痛々しい包帯も気にならないくらいの笑顔でそんな言葉を口にした。
「――えー、それじゃあ我らがギリアムさんと!」
「小さな小さな英雄に!」
「かんぱーい!!!」
――そうして、日が暮れた頃。
防衛に参加した徒党の面々と、ギルドの職員達で、ギルドの一階を貸し切って祝勝会が開かれた。
本来ならまだギルドを開けている時間らしいけれど、今日は特別らしい。
テーブルの上には料理や酒が所狭しと並べられていて、乾杯の音頭とともに誰一人遠慮すること無くそれらに手を付けていく。
『エルちゃんにはこれがよかろう。ほれ、菓子』
「ふざけんなこのバカ剣。宴会で菓子を食う訳が無いだろ」
ルシエラが小皿にちょこんと焼き菓子を載せてきたのを見れば、溜息を漏らしながら適当に肉や魚を盛って、席に付く。
まあ、盛ったといってもそこまで大した量じゃあないが。
リリエルもいつの間にか、自分の欲しいものを取り終えたようで――野菜や果物ばかりのその皿に少し目を丸くしつつも、まあ好みはそれぞれか、と口に出す事はなく。
それなり美味しい――少なくとも野営で作った丸焼きとは雲泥の差――料理に舌鼓を打っていると、見覚えのある奴が酒で少し顔を赤くしてやってきた。
「やあ、飲んでる――訳ないか。食べてるかい、エルトリス」
「ん、まあな」
ほろ酔いになっていそうなマクベインに軽く返す。
こいつらも無事だったのは正直意外だったが、まあその辺はギリアムの采配のお陰だったんだろうな。
マクベインくらいだと、ファルパスとかち合ってたら多分秒でミンチにされていただろうし。
「しかし本当に凄いよ、魔族相手に一人で勝っちゃうなんてさ。まるで英傑達みたいだ」
「あー、もうそりゃあ聞き飽きた――英傑?」
何度も何度も言われた賛辞に辟易としながら返していると、ふと聞き慣れない単語が耳に入る。
いや、これまでも何処かで聞いたかもしれないが――英傑、というのは少なくとも、俺が魔王と呼ばれてた頃には無かったものだ。
俺の様子にマクベインは何を聞きたいのか察したのか、椅子をずりずりと引っ張ってきて近くに座ると、軽く酒をあおりながら喋り始めた。
「英傑っていうのは、大国が抱えてる最強の戦士――ああいや、魔法使いもいるからちょっと違うのかな。兎に角、すごーく強い奴らの事さ」
「へえ、そんな奴も居るのか。どのくらい強いんだ?」
「ん、聞いた話だけど一人で魔族を倒せる、っていうのが最低条件らしいな。つまり、エルトリスは野生の英傑ってわけだ!」
あっはっは、と笑いながら語るマクベイン。
……笑い上戸か、こいつ。
「まー、気をつけろよエルトリス。そういう奴はみんな国に抱えられてるって事は、これから目を付けられるかもって事だからさ」
「――ああ、なるほど。なるほどな、有難うよ」
愉快そうに笑いながら、不穏なことを言って元の席に戻っていったマクベインに礼を言いつつ、ふむ、と小さく息を漏らす。
……そう言えば、連合はそういう所だった。
優秀な人間を鉄砲玉にして俺や下僕にぶつけるような戦法ばっかりとってたし、多分英傑ってのもそれなのかもしれない。
それなら、あまりここに長居するのも良くないな――
『難しい事を考えてる顔だのう。ほれ』
「ん、ぐ――」
――そんな事を考えていると、唐突に口に何かを押し込まれた。
サクサクとしていて、小さくて、あまいもの。
「――おいしい」
『……ほう』
思わず、素直に言葉が出てしまった。
何だろう、今日食べたどの料理よりも舌に合うというか。
ただ、そんな俺の反応を見れば、ルシエラはニンマリとした表情を浮かべて。
『リリエル、エルちゃんはこれがご所望なようじゃぞ♪』
「既に用意しています。どうぞ」
――リリエルが持ってきた、小皿に小さく盛られた焼き菓子を見れば。
俺は今食べて、素直な言葉を口にしたのが何だったのかを理解、して、しまって……
『はい、あーん♪』
「~~~~……っ!!!」
……ぼんっ、と。
音を立てて、頭が燃え上がるように熱くなるのを感じれば。
俺はルシエラの意地悪い笑みから目をそらしながら、水を飲んでテーブルに思いっきり突っ伏した。