10.二日目② -雑踏の中の声-
昼食を取った後、少しの休憩を挟んでから改めて街を練り歩く。
和やかで賑やかな通りを眺めながら、ルシエラと手を繋いで暫く歩くと、不意に通りの片隅で露天を出している行商人が目に入った。
褐色肌に、小柄ながらもしっかりとした体つきのその行商人は道行く人々に小物や雑貨を売りさばきながら、ふぅ、と小さく息を漏らしていて。
随分と儲かっているようなのに、何処か納得がいかないと言ったような顔をしているのを見れば――そう言えば、ここの住民に話を聞くばかりで、ここを訪れた連中には話を聞いてなかったな、と。
俺はルシエラの手を軽く引けば、リリエルとともに褐色肌の行商人の元へと向かった。
「ふぅ……っと、いらっしゃいお嬢ちゃん。何か見ていくかい?」
「ん、そうだな……」
俺の顔を見るなり、先程の表情は何処へやら。
商魂逞しく笑顔を見せながら、商品を見せてきた行商人に、俺も思わず口元を緩めてしまった。
流石に何も買わずに話だけ聞くのも失礼かと、暫くの間露天に並んでいる物を眺めながら、口元に指を当てる。
ネックレスに指輪、イヤリング……正直着飾ろうと思う事はそんなにないし、必要ない。
花で作った小物に、匂い袋……これはまあ、持ってても嵩張る事もないだろうし、困らない気もする……が。
「……んじゃ、これで」
「まいど!お嬢ちゃんは可愛いからちょっとおまけしとくよ」
「ぬ……っ」
俺が手にした、俺から見ても小さな猫らしいぬいぐるみを見れば、行商人は笑みを零しながら、多めにお釣りを手渡してくれた。
提示していた値札よりも3割安く売ってくれたのは、まあ、嬉しくない訳じゃあない……ないんだけども。
『ほー、良かったのうエルちゃん♥可愛い女の子だからオマケしてもらえてのう♥』
「う、る……さいなあ、もう……っ!」
当然のごとく飛んできた、ルシエラからのからかいの言葉に、俺は顔を熱く、熱くしてしまった。
リリエルは当然そんな事を言ったりはしないんだけども、それでも微笑ましい視線は向けてきているし。
ワタツミは……こんなのもあるんだー、なんて好奇心旺盛に行商人の出している品々を手にとって眺めていたけれども、うう。
……兎も角、商品を一つ買ったんだし。
これで少しくらいは話をしても、悪いことにはならないだろう、うん。
おれは熱くなった頬をぺち、と軽く叩けば、小さく息を吐きながら行商人に視線を向ける。
行商人は少しきょとんとしていたけれど、成程、こっちの意図を軽く察したのか。
少し休憩するように地べたに軽く腰掛けながら、頬杖をついた。
「何だい、お嬢ちゃん。私に何か聞きたいことでも?」
「ああ。アンタはここの人間じゃあないだろう?アンタから見て、この街におかしい所とかは無いか?」
「……ふむ」
俺の言葉に、商人は軽く考え込む。
考え込む、という事は思い当たる所があるのだろうか。
正直、俺とリリエル……それにルシエラとワタツミだけでは、どうしても視野が、視点が狭くなりがちだから、何かしら判ると有り難いんだが。
そうやって暫くの間考え込んだ後、少し悩むようにしてから、行商人はちょいちょい、と俺達を手招いて。
顔を近づければ、周囲には聞こえないような小さな声で、こそこそと言葉を口にし始めた。
「――おかしな所、っていうかさ。おかしい部分しかないんだよ、この街」
『ふむ、というと?』
「老若男女問わず、羽振りがよすぎるんだ。ここの連中はどいつもこいつも、商品を迷いさえせずに即金で買っていくのさ。交渉すらしやがらない」
ルシエラの言葉に行商人が答えれば、ワタツミはきょとんとした表情で首をひねる。
『……?それは別に良い事なんじゃないの?』
「そんな訳あるかい。気味が悪くて仕方ないよ」
行商人は、不思議そうにしているワタツミにふるふると頭を振れば、そう言って俺の方に視線を向けて。
そして、露天に出している商品から指輪と小物を手にすれば、それぞれ俺達の前で並べてみせた。
「――さっき、お嬢ちゃんは買うものを選ぶ時に何を買うか迷ったろう?」
「そりゃあ、まあな」
「それは何でだ?」
「ん……必要あるかどうかとか、まあ、色々」
「そう、それだよ」
俺の言葉に行商人はそう言って、軽く息を漏らす。
……そして、俺もそこで漸く、行商人が言いたいことが何なのかを理解できた。
「ここの連中は、必要かどうかを考えてない。値段も見てない。何て言えば良いんだろうなぁ、こう……商品を見てすら居ないような、薄ら寒さが有るんだよ」
『商品を見てないって……それは流石に考えすぎじゃろ』
「――そうだと良いんだけどな。いくらモノが売れるからって、これじゃあまるで商売してる気にならないね」
行商人は胸元を膨らみを軽く抱えるようにしながら、大きくため息を吐き出せば、指輪と小物を元の位置に戻す。
ある程度言葉を口にして、少しは気が晴れたのだろう。
少し疲れたような笑みを浮かべれば、俺達に視線を向けたまま立ち上がって。
「兎に角、お嬢ちゃん達もあんまりここには長居しないほうが良い。幸せの国って聞こえは良いが、正直言ってまともじゃあないね、ここは」
「……ご忠告、感謝します」
「私も明日にはここを発つつもりだよ。ここに居たら商人ですらなくなりそうだからね」
そうやって軽く言葉を交わせば、俺達は行商人に軽く手を振って、その場を後にした。
改めて、周囲を見る。
成程確かに、商人の言う通り出店や露天で物を買っている連中を見れば、どいつもこいつもまるで迷っている様子は無かった。
悩むことすら無く、思うままに商品を手にする子供。
それを嗜める事さえ無く、気前よく金を支払っていく親。
一見すれば、良い家庭にも見えない事はないけれど――そんな家庭ばかりともなれば、これは明らかな異常だ。
――ロアの手によるものなのかは、判らないけれど。
少なからず、ロアがここに招待した理由はそういう部分に有るのかもしれない。
だとすれば、やはり招待状は罠だったと考えるべきか。
自分より格下であろう相手をわざわざ罠にハメる理由が、いまいち良く判らないが。
『――ん?』
「どうした、ルシエラ」
そんな風に考えていると、不意にルシエラが周囲に視線を向けて、首を捻った。
何かが聞こえたのか、或いは見えたのか。
少しの間、ルシエラは何かを探すように周囲を見て――
『……いや、済まぬ。気のせいじゃな』
『何?空耳でも聞こえたのかしら?』
『空耳か、言い得て妙じゃな――何か、誰かがエルトリスの名を口にした気がしたんじゃが』
――そんな、奇妙なことを口にした。
俺の名前を耳にするなんて、それこそあまりない気はするんだが。
「もしかしたら、アミラ様達が近くを通ったのかもしれませんね」
『そうかもしれんのう。まあ、余り気にせんでも良いか』
リリエルの言葉に納得しつつ、俺達は再び人混みの中を歩き出した。
そうやって暫くの間、街中を歩いて、歩いて。
ルシエラ達が感じた違和感を探りつつも、結局何も得る事はできないまま、その日は宿に戻り。
アミラ達も特に収穫がなかった事を知れば、まあ仕方ないか、と俺は軽く湯浴みをしてからベッドに潜り込んだ。
判ったことはあれど、まだロアの影も形も見えやしない現状に、若干の苛立ちは覚えつつも。
ロアを見つけた時にこの鬱憤を晴らせばいいさ、と自分に言い聞かせて――俺は、ゆっくりと意識を手放した。




