9.二日目① -ついてまわる笑顔-
「んー、変わった事、変わった事ねぇ」
幸せの国に来て、二日目。
冒険者ギルドの代わりに存在する、労働者ギルドとやらに顔を出してみたものの。
労働者、という名前を冠しているだけあって、そこにいるのは冒険者とはまるで違う顔ぶればかりだった。
商人や大工、鉱夫に農民。
それだけではなく、恐らくはこれから仕事を探すのであろう住民たち。
戦いとは縁遠い連中を脇目に見つつ、俺はリリエルとルシエラの間に立ちながら、小さくため息を吐き出した。
……何と言えば良いのだろうか。
ゆるい、というか、甘い、というか。
まるでぬるま湯の中にずっと浸っているかのような感覚が、どうにもむず痒くて仕方がない。
活気は、ある。
ここに居る連中に生気が無いだとか、自堕落だとか、そういう訳じゃあない。
むしろ労働者ギルドにこれだけ人が来る、というのであればそういった意欲のある人間が多いという事でもある。
「……んん、そうだなぁ。下水道が詰まっただとか、そういう事は有ったけどそれくらいかなぁ。でもお嬢さん達にそんな仕事は勧められないし」
「そう、ですか」
『下水など、此方から願い下げじゃ』
職員は一頻り悩んだ後、申し訳無さそうにリリエル達にそう言って。
ルシエラの言葉に軽く苦笑しながら、何やら視線を手元に向ければ、ふうむ、と小さく息を漏らした。
「そうだね、色んな情報を集めながら働くんなら酒場なんかはオススメだよ。夕方から深夜までになるけど、丁度募集がかかってるんだ」
「いえ、結構です。忙しい中、ありがとうございました」
「そうかい?まあ、何かやりたいことがあれば相談においで。丁度良さそうな仕事を見繕うからさ」
恐らく、リリエル達も職を探しに来ていると思ったのだろう。
職員は軽く職を紹介しつつも、リリエルに躱されてしまえば、しかし嫌な顔ひとつすることもなく。
笑顔でリリエルを、ルシエラを――そして俺を見送れば、軽く手を振って職務へと戻っていった。
……その行動に、裏はない。
飽くまでも直感に過ぎないが、あの職員は嘘を吐いていないし、その行動も全て善意から来るものだった。
「……どうだった、ルシエラ?」
『変わらず、じゃな。あいも変わらず違和感を感じはするが、それが何なのか判らぬ』
「ワタツミはどうですか?」
『……私もよ。何かが変だとは思うんだけど』
ルシエラもワタツミも、小さく唸りながらそう言葉にすれば、どうしたものかと首をひねる。
現状唯一の手がかりと言っても良いだろう、二人の感じた違和感。
それが一体何なのかを探る為に、俺とリリエルは互いに視線を合わせれば、再び街の雑踏の中へと戻っていった。
「――違和感?」
『うむ。初めは気のせいかと思っておったんじゃがな』
昨晩、宿屋。
荷解きも済んでのんびりとしていたルシエラがふと口にしたその言葉が、発端だった。
ルシエラ曰く、幸せの国に入って以来、その違和感はまるで生ぬるい空気のように纏わり付いているらしく。
『私も、それは感じたわ。そう、私だけじゃないって事は気のせいって訳じゃないのね』
「ワタツミも、ですか。エルトリス様は――」
「悪い、さっぱりだ。まあ変わった街だとは思うが」
しかし、不思議なことにワタツミも感じられたというその違和感を、俺達は感じ取る事が出来ずに居た。
俺やリリエルだけじゃなく、アミラも、クラリッサも、アシュタールも。
エルドラドは疲れたからと、早々にノエルと一緒にベッドに潜り込んでしまったから聞くことも出来なかったが――まあ、詮無き事だろう。
「私やアシュタールですら感じられなかった違和感、ね。気のせいって思っても良いけど……」
「だが、ここに招いたのはかのロアなのだろう。何か細工が有ると思うのは当然のことではないか」
「そうだな、私もそう思う。罠というのは、見えないように仕掛けるものだしな」
クラリッサ達の言葉に頷きつつ、ふむ、と軽く思考を巡らせる。
……アシュタールとアミラの言う通り、ここに招いたのはロアなのだから何かしらの細工が有るのは間違いないと思ったほうが良いのだろう。
だが、問題はそれが一体どんな細工――或いは罠なのか、だ。
そもそも呼んでおいて接触すら無いって時点で相当腹が立っているんだけれども、罠にかけて俺達を全滅させるっていうのなら尚更肩透かしだ。
もっとこう、何というか。
アリスが強いと称するくらいの相手なんだから、悠々と構えて正面からドーンと受け止めてくれるくらいが良かったのに。
「……取り敢えず、明日は手分けして何か無いか探してみるか。俺とリリエルは違和感について調べてみるから、アミラ達はこの街について調べてくれ」
「ああ、判った」
「まあ、そうね。この街も大概異常ではあるし――暴れないでよね、アシュタール」
「む。自分とて何もなければ暴れはしないぞ」
アミラとクラリッサが――後ノエルが居れば、アシュタールとエルドラドもまあ、大丈夫だろう。
そんな事を考えつつ、俺達は手分けをして幸せの国の内部を調べていく事にしたのだった。
……が。
「ふぉんほうに、はひほはいは」
『食べながらしゃべるのは止めなさいよ、はしたない』
柔らかなパンに、塩味の効いた薄切りの肉と水気のある野菜を挟んだモノを口にしつつ、ぼやく。
アミラ達と別れてから数時間。
労働者ギルドを調べてからも、街の中の施設を色々見て回りはしたものの、特に何か発見がある訳ではなかった。
酒場に再び脚を運んでも、何も無く。
商店を幾つか回ってみたけれど、特に何か特別なものは無く。
日がずいぶん高くなったのを見て、俺達は街角で簡単な昼食をとっていた。
「……んっ」
「どうぞ、エルトリス様」
「んくっ、ん……ぷはっ。有難うな、リリエル」
喉に冷たいお茶を流し込みながら、小さく息をつく。
昼食にと買ったパンは決して飛び抜けて美味しいとか、そんな事はなかったけれど。
それでも、何というか……懐かしいというか、妙に落ち着く味だった。
払った金以上の価値はあったかな、と少し満足感を覚えつつ、改めて街を行く連中西線を向ける。
あいも変わらず、幸せの国を行き交う人たちは活気が溢れ、笑顔で、幸せそうで。
『……むぐ。ん……っ、少し、薄気味悪いのう』
「口いっぱいに頬張るなっての」
パンを複数一度に頬張るルシエラに苦笑しつつ、俺は成程、と頷いてしまった。
確かにこの国の人間はどいつもこいつも幸せそうで、不満もなく暮らしているような、そんな気がするけれど。
だからといって、確かにこの風景はいささか不自然なようにも思えてしまう。
誰も不満を抱かず、誰も怒りらしい物を抱かず、幸せに、幸せに。
それはきっと、ある種――文字通り、本当に幸福なことではあるのだろうけれど、余りにも不自然で、気味が悪い。
「もしかして違和感ってそういう事か?」
『いや、そうではないのう。私が感じたのはもっと別の物じゃ』
『この街が気味が悪いとか、そういう事ではない……と思うわ、多分ね』
……だが、どうやら二人が感じた違和感というのはそれとはまた別のものらしく。
そっか、と小さく息を漏らせば、ルシエラとワタツミが食事を終えるのを待ってから、再び街中を歩き出した。
何処を歩いても、笑顔、笑顔、笑顔。
何処を歩いても、幸せそうな人間の顔に――本来は好ましい筈の和やかさに、俺はなぜだか奇妙な不快感を抱いていた。




