2.それはまるで、挨拶のような
「ふぁ……ぁ」
アバドンの一件から暫く過ぎた後。
アルケミラ様が帰られた後、私はエルトリス達と共に公国でのんびりとした日々を過ごしていた。
特に厄介事が起こる事も無く、安穏とした日々。
少し鈍っている身体を軽く動かせば、パキパキと音が鳴って、心地が良い。
あの日以来、エルトリス達はすっかり公国では有名人になっていた。
エルトリスは勿論、リリエルやアミラ、そして最近行動を共にするようになったエルドラドまで。
……その中には当然というべきか、私も含まれていて。
魔族だと言うのに――正体を晒していないからというのも有るが――すっかり名が、顔が知れてしまった私は、どうにも過ごしづらい日々を送っていた。
何しろ、街中を歩くだけでも時折声をかけられてしまうのだ。
今までのように自由に出歩けば、それだけで人の注目が集まってしまうのだから、たまらない。
私としてはエルトリス達と同行しながらでも、アルケミラ様の役に立つような……アルケミラ様が残そうと思えるような人材を探したいのに。
「……まあ、悪い事ばかりでも無いけれど」
そんな言葉を口にしつつ、自分で淹れたお茶に口を付ける。
昨晩は少し夜更しをしたせいで、こんな時間に目を覚ましてしまった。
朝と言うには少し遅い、日が昇っている時間帯。
明るい日差しを、それに照らされた街並みを眺めながら熱いお茶を喉に潜らせれば、まだ少し気だるかった身体も幾分かはマシになってきた。
……酒場で頼まれたからといって歌を披露したのは、ちょっとハメを外しすぎた気がする。
人間の奏でる楽器が存外悪くなくて、興が乗ってしまったのもあるけれど、少しは気をつけて自制しなければ。
「――ん?」
コンコンコン。
そんな事を考えていると、軽いノックの音が扉から聞こえてきて、首をひねる。
はて、何か有ったのだろうかと立ち上がれば、私は軽く返事をしてから扉を開き――
「おはよっ☆ちょっと良いかなっ?」
「……珍しい。私に何か用かしら」
――そこに立っていた人物を見れば、私は眉をひそめた。
可愛らしい格好に、甘い声。
その癖、アバドンとの戦いの際には獅子奮迅の働きをみせた、雷の申し子のような人間――三英傑の一人、メガデス。
英傑である彼女からすれば、魔族である私は敵だと思うのだけれど、何故だか彼女は私は愚か、アルケミラ様達にも敵意を向けず。
もっとも、警戒はしているようだったけれど――それは、おいておいて。
私の言葉にメガデスはこくりと頷けば、無遠慮に部屋に入ってきて窓を開けて。
一体何事か、と私はますます首を傾げると、メガデスは窓の外を指差して――直後、何やら遠くから、微かに音が聞こえてきた。
剣戟の音、だろうか。
遠くで鳴り響いているのだろう、注意しなければ聞こえないその音に、私は眉を顰める。
アバドンの一件以来、魔族が光の壁を越えてくる事は殆どなく、こんな音が日の高い内から響く事はそうそう無かった筈だ。
魔族の間でも忌避されているアバドンが通った後に近づこうとする奇特な奴なんて、そうそう居ないというのも有るけれど――
「一応、確認にね☆クラリッサちゃんの知り合いだったりすると、色々面倒そうだから☆」
「……ああ、そういう。まあ私の……いえ、アルケミラ様の同胞に、こんな事する手合はいないと思うわ?」
――どうやら、メガデスは私達に気を利かせてくれたらしい。
万が一アルケミラ様の配下である魔族を手に掛けたなら、問題になるかもしれないと思ったのか。
私はそんな気遣いに口元を緩めながらそう返すと、メガデスはそっか、と安堵したようにして。
「結構強そうな魔族だったから☆何か武器も一杯持ってたし――」
「――んん?」
……メガデスのその一言に、私は何やら嫌な予感を感じてしまった。
予感というか、直感というか、何というか。
「ねえ、その魔族の特徴を判る限りで良いから教えてくれないかしら……?」
どうかハズレであって欲しいと思いつつも。
私は胸にいだいた嫌な予感を、何故だか消す事ができなかった。
「ハハハハハッ、成程成程、やるじゃあ無いか――!!」
息をつく間もなく、無数の武器が襲いかかる。
斬撃、刺突、打撃。
上下左右から絶え間なく放たれるその連撃を捌きながら、私は白い吐息を吐き出した。
――強い。
アバドンと戦った時程の絶望感は無いにせよ、この魔族は明らかに木っ端魔族とは隔絶した強さを持っている。
ワタツミを振るいつつ、背中から伸ばした――ちょうど相手と合わせるような――二対の氷の腕。
それが握っていた氷の刃を、何度砕かれたか。
幸い、砕かれた所で直ぐに補充できるので、事なきを得ていたけれど――
「だが、防戦一方では話にならんぞ!そら、お前からも攻めてみせろ、エルトリス――!!」
「――……ッ!!」
――攻め入る隙がない。
連撃が止まらない、というのも勿論だけれど、それ以上に凄まじい練度を以て振るわれている事が驚異だった。
片腕で振るわれているというのに、その刃の描く軌道には一切の狂いもなければ、淀みもない。
悔しいけれど、剣の腕一つ取っても私よりも上だと認めざるを得ないだろう。
それが四つ、しかも異なる武器がそれぞれ一流以上の腕を以て襲いかかってくるのだ。
単純な剣戟では、防戦こそ出来てもそこから攻勢に転じる事は叶わない。
であれば、やる事は単純だ。
私の持つ手札の全てを切れば良い。
「ぬ――」
相手の攻勢に押される形で弾き飛ばされつつ、距離を取る。
相手も私がわざと弾き飛ばされたのに気付いたのだろう、即座に飛びかかろうとする――が、一瞬で距離が0になる訳でもない。
「――四重奏、氷華葬送――!」
相手の飛びかかりに合わせる形で、氷柱を展開する。
四本の氷柱が展開されると同時に周囲は一気に冷気が満ち、白く、白く凍てついて――
「ハハッ、温い温い――!!!」
――魔族はその氷柱を手にした斧と鎚を振るって破砕してみせた。
決して脆い訳ではないソレを容易く砕く辺りは流石と言える。
だが、予想通りだ。
それくらいは出来ると、私も思っていたから。
「シッ……!」
「ぬ、ぅッ!?」
すかさず、二対の腕が持っていた氷の刃を投擲する。
四本の氷の刃は回転しながら魔族の元へと疾走し、弧を描いて。
魔族は即座に剣と槍を用いて氷の刃を打ち払いこそしたものの、飛び掛かっていたのもあって体勢を僅かに崩した。
……四本の刃を二つの武器で打ち払うなんて、本当に冗談じゃないと思いつつも、私は疾駆する。
氷柱を砕くのに一対。
氷の刃を打ち払うのに一対。
一瞬の後に整うであろうとしても、今相手が扱える武器は、既に無い。
私はそのまま懐まで踏み込めば、ワタツミを振るい――
「――ハハハッ。良い、今のは悪くはなかったぞ」
――キン、という金属音と共に、私の一撃は受け止められた。
魔族が手にしていたのは、盾。
組んでいた筈の腕に、何処から取り出したとも知れない丸盾を携えた魔族は、私の一撃を受けつつも楽しげに、本当に愉しげに笑ってみせる。
しかし何故か、既に整った体勢から反撃が飛んでくる事はなかった。
「流石はアルケミラ様が見出しただけの事はある。良いだろう、お前を同志として――」
「……っにしてんのよ、このおバカ――ッ!!!!」
「――ぐ、おッ!?」
魔族が何やら、満足げに喋り始めた刹那。
聞き覚えのある声とともに、鋭い風切り音とともに飛来してきた何かに、魔族は押しつぶされた。
『……クラリッサ?』
「え……っと」
見れば、目の前には久方ぶりに見る魔族の姿をしたクラリッサさんが居て。
クラリッサさんは、念入りにこのっ、このっ、と鋭い鉤爪が生えた猛禽のような脚で魔族を踏み躙りつつ、呼吸を荒くしながら私を見れば、安堵したように脱力し。
「……良かった、リリエルが無事で。ごめんなさいね、大丈夫だった?」
「あ……は、はい」
……余りにも唐突な終わりに、私もワタツミも呆気にとられながら。
死角からの強烈な踏みつけが余程効いたのだろう、ピクピクと身体を痙攣させている魔族に、ちょっとだけ哀れみを抱いてしまった。




