閑話:少女の穏やかで平和な日々
「――ううん」
アバドンの一件が済んでから、少し時が流れたある日の事。
そう言えば暫く顔を出してなかったな、と俺はもふもふが居る喫茶に顔を出していた。
何時ものように応対してもらって、椅子に腰掛ければ膝の上に子猫を載せて、のんびりと過ごす。
暖かく柔らかな毛並みを掌で楽しめば、自然と頬も緩み。
俺は何時ものように心地の良い時間を過ごすつもり……だった、のだけれど。
「あれが――」
「間――ない」
「すげぇちっちゃ――だな」
「可愛――」
『……大人気だのう』
「……勘弁して欲しいんだけどな、これ」
その憩いの時間には邪魔でしか無い声を、視線を感じれば、俺は小さくため息を漏らしながら、ぽふぽふ、と膝の上の子猫の頭を撫でた。
にあーおん、と可愛らしい鳴き声を上げれば、子猫は目を細め、俺の掌にすりすりと頭を寄せてくる。
ううむ、あざといくらいに可愛い。
この喫茶がそういう風に躾けているのかどうかは判らないけれど、こんな事をされてしまうとどうしても、こう――
『おーおー、だらしなく緩ませおって。可愛いのう、エルちゃんは』
「し、仕方ないだろ。だって、可愛いんだから」
『まあ、それは否定はせんがの。幼きものは、如何な生物であれど可愛いものよ』
――こう、可愛くて、可愛くて。
こしょこしょと身体をくすぐれば、ころん、と膝の上でお腹を見せてきたりとか、うん、ずるい。
そうしている間にも、無遠慮な――いや、これでも遠慮しているのかもしれないが――外からの視線は、絶える事はなく。
俺は差し出された飲み物に口を付けながら、どうしたものかと軽く肩を竦めてしまった。
それもこれも、何故か知らないが、異様な速さで広まった俺達の話が悪い。
お陰で外を歩くだけで変に注目されるし。
偶に声まで掛けられるようになったし。
……そのうちの視線の何割かは、胸元に集まっていたような気がしたけれど、それは置いといて。
「ふふっ、大変そうだねっ☆」
「……大変そう、じゃなくて大変なんだよ。何とかしてくれないか、英傑サマ?」
そんな事を考えている内に、俺とルシエラを愉快そうに眺めながら。
愛らしい衣装に可愛らしい外見、そして可愛らしい口調でクスクスと笑いつつ、メガデスが隣の席に腰掛けてきた。
外からの視線はより一層強く、強く。
元々公国で結構どころではない人気のメガデスまで加わったことで、外では軽い人だかりまで出来始めた始末で。
そんな状況にがっくりと肩を落としながら、俺がそんな言葉を口にすれば、メガデスはふるふると頭を振りながら、どこか諦めたようなに視線をそらす。
「――有名税と思って諦めよ?時には諦めが肝心だよっ☆」
『何じゃ、偉い苦労してそうな顔になったのう……』
一体何歳なのか――なんて口にすれば、その瞬間店が黒焦げになりかねないからしないけれども。
外見からは想像できないくらいの苦労を長年積み重ねてきたのだろう、メガデスはルシエラの言葉にふぅ、と小さく息を漏らしながら、足元に寄ってきた子犬を抱き上げた。
子犬は抱えられるようにしながらも、頭をメガデスに擦り寄せるようにしていて。
甘えるようなその仕草に、メガデスは柔らかく笑みを零しながら、お腹を指先で軽くくすぐっていく。
「それにしても、良いのか?こんな所に顔を出してて」
「今日は休暇☆あれから魔族もめっきり来なくなったからねっ☆」
『ふむ。災厄の起きた所に近づきたくないのは、人間も魔族も変わらんのじゃな』
俺の言葉にメガデスはこくりと頷きながら、ちょっと持て余してるけどね☆なんて軽く返して。
――実際、公国の人間も調査に送られた者以外はアバドンが出現した場所に近づこうとする者は居なかった。
黒く焼け落ちた森。
未だに異臭を放つアバドンの遺骸。
公国はアバドンの生き残りが居ないかどうか調査しているけれど、まああれから黒い蟲の波は発生していないから、多分全滅したのだろう。
とは言え、あんな災厄そのものが起こった場所なのだから、好き好んであんな場所に行く奴が居るわけもない。
冒険者たちも最近は魔族狩りが出来ず、ギルドで酒を飲む日々――その代金は、アバドンに参加した報酬――を送っているみたいだし。
閑話休題。
まあ、そんな事もあって最近はすっかり平和そのものだった。
魔族の噂もなければ、国の中で暗躍している影もない。
アルケミラは自らの居場所に帰り――何だかまた来そうな気はするけれど、最近は夜中にアリスの相手をして過ごす程度で。
「あ、そうだったそうだった☆エルトリスちゃん、暇でしょ?」
「ん?あー、まあ、暇っちゃ暇だが」
「それじゃあ、この後一緒にお買い物しない?色々いい場所教えてあげるから☆」
「……ん」
だから。
メガデスのそんな誘いを断る理由も、俺は持ち合わせては居なかった。
どうせこの後はのんべんだらりともふもふを愛でて、宿に戻って、夜になればアリスの相手をするくらいしか予定は無いのだ。
俺はメガデスの言葉に軽く頷けば、メガデスは嬉しそうに笑みを浮かべて。
俺とルシエラが飲み物を飲み終えれば、メガデスは軽く俺達を先導するように街中を歩き出した。
服飾店に、化粧品やらが売っている店。
ぬいぐるみが売っている店に、美味しいケーキが有る喫茶店。
そんな、色んな場所を案内されながら――そうされている間も、周囲からは視線が集まってくる。
決して奇異の視線ではない。
どちらかといえば、尊敬だとか、敬愛だとか、そういったモノの方が多い。
……多いのだけれど、それはそれとして、やっぱり気になってしまう。
「周りが気になるの?」
「まあ、そりゃあ、なあ」
そんな俺の様子に、メガデスはクスクスと笑いながら、そっと耳元に口を近づけてきた。
「――気にすんな、気にすんな。いっそ魅せてやれ、その方が楽しいぜ?」
「魅せて……って」
「ほら、こんな風に――やっほー☆」
メガデスの言葉に戸惑いつつ。
まるで手本でも見せようとしているかのように、メガデスが可愛らしい笑顔と声と共に、視線の元――周りで見ている連中に手を振れば。
「おお、俺の方に手を振ってくれたぞ!」
「バカ言え、俺の方に決まってるだろ!?」
「やっぱりメガデス様って可愛いわよねー……いつまでもお若いし」
「――ね☆」
「……おお」
『何というか、凄いのう』
たったそれだけで、見ていた連中は沸き立つように騒ぎ出した。
公国の英傑から手を振られ、笑顔を向けられたのだから、まあ喜ぶというのは判らないでもないけれど、ここまでか。
俺は感心半分、呆れ半分でその様子を眺めつつ――不意に、つんつん、と肘で肩をこづかれれば。
視線を向けてみれば、先程民衆に笑顔を向けたその張本人に、まるで催促でもするかのような視線を向けられてしまって、いて。
「え、いや、俺は――」
「良いから良いから☆」
『そうだの、エルちゃんもやってみるが良い♥』
二人から愉快げな、からかうような言葉を受けてしまうと、それを断れるような雰囲気でも無くなってしまい。
……まあ、無反応なら無反応で別に良いか、と。
「――や、やっほー?」
先ほどのメガデスのマネをするように、言葉を紡ぎながら。
ふりふりと軽く手を振って――その拍子に、胸元が重たげに揺れるのを感じると、顔を熱くしてしまった。
ああ、まあ、これでメガデス達も満足するだろう。
こんなので反応が帰ってくるなんて、それこそ英傑だとか、そういう連中だろうし――
「あの子も可愛いよな。エルトリス、だっけ」
「メガデス様よりずっとちっちゃいのに凄いよなぁ……後恥ずかしがりっぽいのは確かに可愛い」
「やっぱり胸とかで苦労してるのかしら……お付きの人も凄い立派よねぇ」
「ふふ、こんにちは、エルトリス様っ」
「――ふ、ぇっ」
――そう思っていたのに。
思わず帰ってきた反応に、俺は硬直してしまった。
俺は別に英傑でも何でも無いのに――っていうか、何かいま変なことも言われてなかったか――!?
『くく、すっかり有名人になってしまったが――まあ、こういうのも悪くはないのう』
「エルトリスちゃんも、ファンサービスは忘れずにねっ☆」
「う、う、う、うるさいなぁっ!もう行くよっ!」
二人からのからかいの言葉に、顔を耳まで熱くしながら、俺はメガデスよりも先に歩き出した。
メガデスはそんな俺にクスクスと、楽しげに笑いながら――その後も、街中をしっかりと案内してくれて。
……その日以降、何やら俺に向けられる視線が更に増えたような、そんな気がするけれど。
「……や、っほー」
俺は、時折集まってきた視線にそんな風に軽く、ぎこちなく返しながら。
返ってくる黄色い声に顔を熱くしつつも、ほんの少し。
ほんの少しだけ、それが心地よく感じてしまうように、なってしまった。