19.人影は、騙る
――その村は、貧しく鄙びた農村だった。
若者の多くは夢や安定した生活を求めて遠くの街へと旅立っており、村に居るのは年寄りばかり。
日々の生活も決して安定したものではなく、それを支える者も少ないその村は、後数年もすれば無くなってしまうのではないかと思える程に、寂れていて。
ただ、そこに住まう住民達は――年寄り達は、それも致し方のないことだと、受け入れていた。
何しろこの農村には魅力がない。
若い者を呼び寄せる事ができる仕事も無い。
そして、最早子供を為せるような歳の人間さえも、殆ど居ないのだ。
だから、仕方ないのだ、と。
自分たちの世代で終わるであろう村で、住民たちは鬱々と日々を貧しく過ごしていた。
そんなある日の事だった。
一体何処からそんな噂が流れ込んだのか。
この農村の近くの山に金鉱脈が眠っているという話が、村中に広がっていた。
勿論、それを心から信じている者など一人も居ない。
何処から出た噂話なのかは知れないが、もしそんな物があるのなら、今まで自分たちが知らなかった筈がないだろう、と。
――そう、思いながらも。
既に年老いた身でありながら、老人たちは気付けば農村の近くにある山をゆっくり、ゆっくりと掘り始めていた。
本気で信じている訳ではない。
そんな与太話を信じられるわけがない。
でも、もし万が一――万に一つ、億に一つ、本当だったとしたならば。
この寂れた農村に、人を戻す事ができるのではないか――そんな淡い希望を抱かずには居られなかったのだ。
農作業の合間であるが故に、山を掘り探る作業は一日に本当に少しだけ。
本気で鉱脈を掘り当てている人間たちからしたならば、ふざけているのかと思ってしまうような作業量を老人たちは日々、こなしていった。
見つかるはずがない。
そんな物があるはずがない。
皆口々にそう言いながら――しかしその表情は、億に一つの可能性への希望が見え隠れしていて。
――そして、それからほんの一ヶ月後。
老人たちは目の前に現れた綺羅びやかなそれに、目を奪われた。
山を掘り進めて、まだそこまで深くはないというのに現れた金色の鉱石。
それは、紛れもなく、まごうこと無く金鉱石だった。
しかも、その量が尋常ではない。
掘り当てた先を更に掘れば、そこからもゴロゴロと転がってくる金に、老人たちは心臓が止まりそうな程の衝撃を受けて――そして、狂喜した。
ただの鄙びた貧しい農村だったこの村は、日を追うごとにその様子を変えていく。
ボロボロで建て替える余裕さえなかった家屋は石造りに。
荒れ果てて整備するなど誰も考えていなかった街道には、石畳が。
年寄りしか居らず活気のなかった町並みは、若者や行商人が訪れるようになった事で活気づいて。
そうして人々が集まり始めれば、再び新しい噂が広まっていく。
近くに良い狩場が有る――猟師や冒険者達が村に居着くようになった。
実は過去に神が住んでいたという歴史がある――牧師達が訪れて、教会を建てた。
周辺の花畑に、難病に効くとされる貴重な花が咲いている――医術の心得を持つ者達が、集まってきた。
それは酷く荒唐無稽な噂。
そんな物があったというのであれば、今までこの農村は貧困にあえぐことは無かっただろう、ありえない噂。
だが、その尽くはそれらを全て無視して成就した。
噂が広まり、それが浸透した後に湧いて現れたかのように、現実になった。
――勿論、この噂に訝しむ者が居なかったわけではない。
余りにも都合が良すぎる。
余りにも、ありえない事が起きすぎている。
そう考える者は当然居たし、それも決して少なくはなかった。
だが、現実にそれが起きて――しかもその恵みを享受してしまえば、いつしかその疑念は、違和感は薄く、薄く。
現実にこうなっているんだから良いじゃあないか、という多幸感によって上書きされて――……
「……うん、よしよし。いい具合に育ってきたね」
……そんな農村であった町の中心。
今や多くの人が行き交うその場所に、それは立っていた。
人型のノイズ、とでも言えば良いのだろうか。
男なのか女なのかさえも判然としないそれは――ロアは、満足げに頷きながら笑みを――表情が見えないのに、何故かそうと理解できる笑みを、零して。
「さて、次は――うん、これが良いな」
手元にある手帳をパラパラと捲れば、ロアは道行く人々の耳元に届くような声で、ただ囁きかけた。
道行く人々が、ロアの存在に気づく様子は無い。
まるで存在しないかのように、誰もがロアの事を気にする事無く通り過ぎ――そして、囁かれた言葉だけを脳裏に覚え、去っていく。
そうして去った先で、彼らはふとした時にこう口にするのだ。
『ねえねえ、知ってる?こんな噂があるんだけど――』
――彼らは知らない。
そんな噂など、本来は存在しないのだということを。
彼らは知らない。
彼らの広めたその噂によって、何が起きるのかということを。
「ああ、楽しみだなぁ――やっと色々と事が動き始めたんだ、ボクに良い物語を書かせておくれよ?」
少しずつ広がっていく噂話と、それによる変化をロアは楽しみながら。
軽く欠伸をすると、ベンチに軽く寝転んで――そんなロアを誰も気にかける事も、気づく事さえなく、時間は過ぎていく。
栄え始めた農村。
そう遠く無い未来に、幸せの国と称されるその農村は、今日も穏やかで、暖かく、希望に満ち溢れていた。