16.そして生まれる英雄譚
日が落ちて、空が赤く焼けていく。
アバドンは依然として飢餓の中を這い回り、冒険者達を襲わんとしていたが、それでも戦いの趨勢は既に決していた。
無論、アバドンとて六魔将に数えられる災禍である。
本来ならば、エルトリスが敵うような相手ではないのだが――こと今回においては、その状況こそがエルトリス達に味方をした。
強い負荷を与えられることでそれに適応した存在へと変わるアバドンのその性質は実際凶悪ではあるものの、その実それは相手の力量に大きく依存していたのだ。
例えば、エルトリス達だけでアバドンに挑んでいたのであれば、結果はまるで逆になっていただろう。
エルトリス達の実力に合わせた個体のみが産まれ続け、そして増殖し。
強靭な個体のみで構成された群れが森林を喰らいながら、際限なく増え続ける――そんな地獄が、具現していたに違いない。
だが、今回はそうはならなかった。
理由は単純、今回戦っていたのはエルトリス達だけではなく……むしろ、冒険者たちの方が数が多かったからである。
決して冒険者たちは弱くはないものの、その負荷から産まれた個体はエルトリス達にとっては敵ではなく。
そして、負荷をかける数に置いてはエルトリス達よりも、徒党を組んでいた冒険者たちの方が多いのだから、結果としてエルトリス達に適応した個体は殆ど生まれる事無く、その数を減らされ続けたのだ。
強者のみで戦うのではなく、彼らにとっては弱者でしか無い冒険者も交えたからこその勝利。
それを目前にして、エルトリス達も、冒険者たちも、気炎をあげながら武器を振るい――
「――どうやら、このまま決着がつきそうですね」
「良かったぁ……エルちゃんが怪我した時はハラハラしちゃったけど」
「そうですね、代えがたい人材を失わずに済みました」
――そんな様子を公国を囲う城壁の上から眺めながら、同じく六魔将に数えられるアリスは安堵するように言葉を紡いだ。
アルケミラもまた、安堵したように――しかしアリスとは全く違う言葉を口にしながら、小さく息を漏らす。
この結果は、アルケミラにとっては叫び出したい程に喜ばしいものだった。
本来であれば、エルトリスたちを部下に引き入れたいというのであればアルケミラ自身が前に出て戦ってしまえば済んだ話ではあったのだが、彼女の性質がそれを許さなかったのである。
言うなれば、試練癖とでも言うべきだろうか。
より強い負荷を、試練を与え、それを乗り越えたのであればその者はより強くなる――そんな思考の元、アルケミラは今までに何度も何度も、有望と思えてきた者達を壊していたのだ。
クラリッサ達はそれを乗り越えた有数の魔族であり、それ故にアルケミラに心酔しているのだが――閑話休題。
ともあれ、それを一応は悪癖と理解しているアルケミラは、今回こそ良い所で手を出すつもりではいた。
それが、自らが手を出す事無く災禍を乗り越えたというのだから、アルケミラは隣にアリスが居なければ――この場が公国でなければ、ガッツポーズでも取りながら小躍りをしだすであろう程に喜んでいて。
「……ふふ、これが終わったら一度、私の元に彼女達を招かなければ」
「あーっ!ズルい、ズルい!私だってエルちゃん達と遊びたいのに――」
努めて冷静に。
普段のように振る舞うアルケミラは、口元を緩めながらそんな言葉を口にしつつ。
アリスは頬を膨らませながら、手をパタパタと揺らして抗議の言葉を口にして――
――刹那。
彼女達は、森の方へと視線を向けた。
アバドンとエルトリス達の戦いは、既に大方の趨勢が決まっているし、それは最早覆らないだろう。
彼女達が森の方へと視線を向けたのは、別。
アバドンに追われて光の壁を越えてきたであろう魔族達。
今はアバドンの処理に追われ、その生命を狙われる事もなく逃れていく魔族達の、その中に一つ。
強烈ではないものの、異質な存在感を放つものがあった。
「……しまった」
アルケミラが唇を噛みながらつぶやくのと同時に、アリスはガチャン、と扉でも開くような音を立てながら、城壁から姿を消す。
アルケミラもまた、城壁から飛び降りればその異質な気配の元へと、脇目も振らずに駆け出した。
今なら間に合う。
これと戦わせるには、今は状況が余りにも悪すぎる――と。
試練癖のある、彼女らしからぬ思考を懐きながら。
「――おっと」
そんな二人の様子に気がついたのだろう。
冒険者たちに紛れて、口元に指を当てながら何やら手帳らしいものに何かを書き込んでいたソレは、小さく声を漏らせばパタン、と手帳を閉じた。
ソレは、正しく人影だった。
人の形をしたノイズ、とでも言うべきだろうか。
人型であれど決して人ではないそれを、冒険者たちは気にすること無く――否、気づくことさえ無く、アバドン達との死闘を繰り広げていく。
「良い噂話の種になるかと思ったけれど。英雄譚は僕の趣味ではなかったなあ」
呑気にそんな言葉を口にしながら、人型のノイズは悠々と冒険者たちの間を歩きながら――アバドンの中を歩き、苦笑した。
自らが踏みにじられているというのに、アバドンはまるでソレに反応することもなく、ソレもまた当然のように歩き、進み。
「しかしまあ、それでも。良いネタではあったね。うん、インスピレーションが湧いてくる」
楽しげに、楽しげに。
エルトリス達の戦いの様子に笑みを浮かべれば、さく、さくとアバドンを踏み躙りながら、冒険者の耳元で小さく、小さく。
冒険者にも聞こえない程の声で、何かを呟いた。
冒険者の様子は、何も変わらない。
人型のノイズはただそれを歩きながら繰り返し、繰り返し――
「流石に長居していると、怖い怖いお姉さん方に怒られそうだし。後は、このネタを与えてくれた英雄殿――いや、英雄ちゃんかな?に、挨拶して今日は終わりにしよう」
――そして、遠くに見える小さな、幼い影を目にすれば。
ノイズであるが故に見えない――しかし何故か理解できてしまう、満面の笑みを浮かべた。