15.環境適応③ -金色の雷鳴を-
「おい、本当に――」
「来たら殺しますわよ。足手纏いですわ」
冒険者たちからの声を、エルドラドは敵意すら込めて切り捨てる。
その身体は赤く濡れて、濡れて。
虚空を目にも留まらぬ疾さで飛び回る蟲は、それを嘲笑うかのようにキチキチと、ガチガチと甲殻を、牙を鳴らしていた。
冒険者たちが助けに入ろうとするのも当然である。
一匹でさえ手間取っていた、奇っ怪な蟲が二体に増えただけでも絶望的だったというのに、その二匹のサイズはエルドラドの血肉を僅かに喰らっただけで元の一匹と同等のサイズにまで成長した。
二匹に翻弄され続けているエルドラドは傍から見ても満身創痍で、しかも傍らに居るノエルを守りながら戦っているというのだから、その不利は火を見るより明らかだった。
「せめて、その子供だけでもこっちに――」
「――失せなさいッ!!」
ノエルだけでも冒険者たちの側に来れば、僅かでも勝機が見えるのでは、と。
冒険者がエルドラドに駆け寄ろうとした瞬間、エルドラドは殺意を込めたその声と同時に、冒険者の足元から金色の刃を突き出した。
「ひ……っ!?」
喉元に突きつけられた刃。
明確に向けられた殺意に、冒険者は顔を青ざめさせながら、立ち止まり――その眼前を、見えない何かが過る。
「あ……ぐっ、ぅ」
「……っ、余計な事を……!!」
鼻先を軽くかじり取られた冒険者が、鼻先を抑え込みながらその場にへたり込んで――それを慌てた様子で、他の冒険者たちが回収していくのを見ながら、エルドラドは毒づいた。
鼻先という僅かな血肉を得た蟲は、ギチギチと刃を鳴らしながら、少しだけぶくり、と身体を膨らませて。
――エルドラドが殺意まで向けた理由がそれだった。
エルドラドはこの奇っ怪な存在を前にして、他の者を――ノエル以外の物を護る余裕など無いと、理解していたのだ。
冒険者の血肉をわずかに得ただけでも、後少しで再び分裂するであろう兆候を見せた蟲達に唇を噛みつつ、エルドラドは金色の剣先を振るっていく。
剣先が煌めくのに合わせて、周囲に在る黄金から鋭い針が突き出していく――が、その尽くは奇っ怪な蟲に届くことはなかった。
余りにも疾く、そして何よりも身軽なその動きは針と針の隙間を縫うように動く事で、エルドラドの攻撃の殆どを封じていたのだ。
「――ッ」
ブツン、と血肉を食いちぎられる音を聞きながら、エルドラドは悲鳴をあげようとした自分の口を硬く、硬く噤む。
どう見ても劣勢であり、このまま事が進んだのであれば、数分――
――否、今にも増殖しようとしている蟲たちを見れば、1分もかからずにエルドラドは骨も残らず食い散らかされる事だろう。
そうなれば、後はもうどうにもならない。
今でこそエルドラドがこの奇っ怪な蟲達を相手にしているから、かろうじて拮抗を保って入るものの、それが無くなったのであれば冒険者たちがこの奇っ怪な蟲に太刀打ちする事など出来ないだろうから。
いっその事エルドラド自身を無視して冒険者に向かったのであれば、その瞬間を狙って攻撃を当てる事もできただろうが、不幸にも奇っ怪な蟲の眼にはエルドラドが余程の御馳走にでも映っているのか、脇目も振らず。
「……ふ、ぅ」
そんな劣勢の中、しかしエルドラドはその瞳から光を消す事はなかった。
依然として攻撃は触れることさえ叶わず、既に度重なる出血でエルドラドの動きも鈍り始めている。
だと言うのに。
エルドラドの口元からは、笑みが消える事はなかった。
それは、既に勝利を確信している者の顔。
盤面は不利であれど、相手を詰ませる方法は――そこまでの道筋は既に理解している、といった余裕。
そんなエルドラドの表情など知る由もなく、再び奇っ怪な蟲はエルドラドの方へと殺到した。
その動きは変わること無く疾く、身軽で。
後一齧りでもしたのならば、その瞬間増殖するであろう蟲は、ガチガチと顎を鳴らしながら――
「――今です、エルドラド様!!」
「待ちくたびれましたわ――ッ!!」
――瞬間。
森を埋めていた金色から、奇っ怪な蟲達目掛けて何かが飛んだ。
身軽に身体をくねらせながらそれを回避しようとしたものの、蟲達は細かく網目状になったそれから逃れる事ができず、身体を衝突させる。
それは、黄金で編まれた網だった。
末端が黄金と癒着したままのソレは、蟲を捉えたかと思えばそのまま落下していって――ブツン、と。
地面に落下するよりも疾く、蟲はその網を食いちぎる。
食いちぎった網からずるりとその長い身体を這い出させつつ、蟲はガチガチと顎を鳴らしてみせた。
それは、まるで勝ち誇っているかのようでもあり――
「無駄な努力ご苦労さま。もう二度と産まれないで頂戴な」
――そんな蟲の様子を、冷めた眼で眺めながら。
次の瞬間、遠くで雷鳴が響き――同時に、網が未だ身体に絡みついていた蟲は、全身を焼き焦がした。
それは、遠くから援護してくれているメガデスの雷撃を利用した一撃だった。
電気をよく伝える黄金だからこそできる、罠。
もっとも、余りにも細かい網を作ることまではエルドラドとは言えど出来ず、蟲がある程度成長するまでは文字通り耐えるしか無かったのだが。
ともあれ、全身を雷で焼かれた蟲は身体をのたうち回らせながら、震え。
エルドラドは痙攣しているその蟲を、今度こそ針地獄のように無数の針で穿てば、小さく息を漏らした。
ぐらり、とその長身が揺れる。
全身からの出血は決して軽視出来るようなものではなく、食いちぎられた傷も決して軽くはない。
エルドラド自身は認めないであろう強敵を倒した安堵から、エルドラドはそのまま意識を手放しそうになって――
「――エルドラド様、大丈夫ですか……!?」
「……あ」
――その身体を支える小さな姿。
そして、その声に一気に意識を引き戻された。
少しだけ、僅かに呆けた声を漏らしながら、エルドラドは軽く頭を振るう。
まだ戦いは終わっていない。
……そして、もう既に大量の虫を焼く手立ては得た。
であるのならば、まだ意識を手放すには早いだろう。
何しろ、これから自らの従者に良いところをもっと見せてやらなければならないのだから。
「大丈夫ですわ、ノエル。さあ、一気に片付けますわよ」
「は、はいっ」
エルドラドは軽くそう告げれば、安堵したような声をあげたノエルの頭をくしゃりと撫でて。
そして、金色の剣先を振るい――まるで、蜘蛛の巣かなにかのように、森の中に網を幾重にも、幾重にも作り始めた。
未だに戦いは終わらずとも、形勢は大きく人間側に傾いた。
環境抵抗によって産まれた個体は増殖する事が叶わぬまま消えて、その勢いのままにアバドンは蹂躙されていく。
日が登り、そして落ちていく最中。
激しい戦いで消耗しきったエルトリス達同様、アバドンもまた、その嵩を大きく減らしていた。




