13.環境適応① -その本能故に-
焼け落ちた森林の中、虚空に火花が散る。
拷問器具のような脚を持つ異形の蟲はけたたましく顎を鳴らしながら、只管に、ただ只管に目の前に立つ少女を喰らわんとその脚を振るい続けた。
かたや、少女――エルトリスはその尽くを弾き、反らし、叩き落とす。
それは正しく神業と言っても良い物だった。
異形の蟲が振るう脚は目で追えない程に疾く、触れる物を薙ぎ倒し、抉り、砕く暴威そのもの。
それを小さな体で……たとえ魔剣を用いていたとしても、押し留めているのだ。
「あは――っ、あはっ、は……っ!!」
『くそ、しつこい――ッ!!』
だが、それもいつまでもは続かない。
休むこと無く続く攻防は確実に彼女に消耗を強いていた。
額には汗が流れ落ち、呼吸は荒れ、しかしそれでもエルトリスの笑みは崩れずに。
そんな少女をその複眼で捉えながら、異形の蟲は顎を鳴らし、口元からどろりとした体液を垂れ流す。
それは決して、異形の蟲が深手を負っているからという訳ではない。
飢えている。
飢えている。
ただ、空腹で空腹で、仕方がないのだ。
それが結局の所、アバドンの本質だった。
常に飢餓に襲われ、何かを喰らい続けていなければならないという本能のみをもった生物。
それは魔族にとっても、人間にとってもただただ害悪でしか無く――
「――ッ、ぁ」
『チ、ィ――ッ!?』
――その害悪には、一点の疑念も、曇りも、迷いもない。
喰らう。喰らう。喰らう。
目の前の柔らかく美味そうな食べ物を喰らう。
増えて、尚喰らう。
やがて全てを食らい付くしたのであれば、今度は自分の周りで蠢く自分を喰らう。
唯一の本能が放った一撃に、少女が作り出した腕が一つ、弾け飛んだ。
腕を編んでいた鎖が千切れ飛び、埋め込まれていた円盤が宙を舞う。
それと同時に、エルトリスの口からごぽり、と血がこぼれ落ちた。
腕を弾き飛ばし、破壊したその脚が微かだがエルトリスの身体を掠めたのだろう。
少女の脇腹は赤黒く染まり、出血して――その部分をルシエラはすぐに鎖で巻きつけるようにして覆えば、止血していく。
『大丈夫かエルトリス!?』
「――……」
ルシエラのその案じるような言葉に、エルトリスは一言も返すこと無く異形の蟲を見る。
異形の蟲は、エルトリスが負傷したその絶好の機会に、何故かエルトリスを襲う事はなかった。
理由は単純。
それには、エルトリスよりも優先する事があったのだ。
「……ルシエラ」
その様子を見たエルトリスは、言葉にすること無くルシエラに意思を伝えていく。
ルシエラはその意思を汲み取りつつも、僅かに動揺するように鎖を鳴らし――しかし、否定する事はなかった。
『良かろう。死んだら許さんぞ』
「うん、ありがと」
短く、簡潔に。
言葉を交わしあえば、何故か攻撃を一瞬だけ止めた異形の蟲に向けて、エルトリスは突貫した。
宙に浮かんだ円盤を蹴り、跳び、虚空を異形の蟲に向けて疾走する。
そんなエルトリスを、異形の虫は口元を濡らしながら――まるで悦ぶかのように、顎を鳴らして歓迎した。
突撃してくるエルトリスに向けて脚を振るい、振るい、再び視認さえ出来ない攻防が繰り広げられていく。
だが、今度は拮抗はしない。
突撃を仕掛けながらだからというのもあるのだろう、エルトリスは腕を弾かれ、その身体を傷つけられながら――その幼い身体を血に染めながら、前に進んでいく。
一歩、二歩、三歩。
円盤を蹴り、飛んで――そして、長い長い、拷問器具の間を強引にくぐり抜ければ、エルトリスは拳を握りしめた。
「こ――れ、で……っ!!」
エルトリスの握りしめた拳に合わせるように。作り上げていた鎖の腕が呼応して赤熱する。
ギャリギャリとけたたましい音を鳴らしながら、牙の付いた円盤が唸りをあげて蟲の身体を食い破らんと火花を散らし――
――その拳が、振るわれる刹那。
その瞬間を狙いすましたかのように、異形の蟲の脚がその腕を貫き穿った。
「ぁ」
エルトリスの口から、短く声が漏れる。
異形の蟲はエルトリスの動きが止まったその瞬間を狙っていたかのように、一気に間合いを詰めて――そして、その鋭い顎で、エルトリスの肩口にがぶりと、齧りついた。
鮮血が、迸る。
エルトリスは声にならない叫びを上げながら、肩口の肉を食いちぎられるその激痛に悶え、震え。
異形の蟲は食いちぎったその血肉を喰らいながら、ガチガチと顎を鳴らし。
口元から赤黒い液体を垂れ流しながら、再びエルトリスを貪ろうと顎を開けば。
「~~~~……っ、じゃあ……ね……っ!!」
刹那。
ぐしゃり、と虚空にドス黒い体液が飛び散った。
異形の蟲の身体に食い込んだのは、エルトリスが作り出した鎖の腕。
あれ程までに弾いてきたその腕を、異形の蟲は防ぐことが出来なかった。
否、防ごうとさえしなかった。
本能に従い相手を喰らっているその瞬間に、何故それ以外の行動をする必要があるのか。
それを疑問に思うことさえない知性であるが故に単純で、それ故に恐ろしいアバドンの内から産まれた異形は身体を、顎を鳴らしながら、身体をぶくりと膨らませていく。
それは、アバドンの他の個体も当然のように行っているモノ。
栄養を得たことによる増殖。
自死を伴うそれをためらう事無く、異形の蟲は行おうとする――
『往生際が、悪いわ――ッ!!!』
――が。
それが許される筈もなく、その身体は内側からルシエラによって食い荒らされ、増殖するまもなくアバドンは粉微塵に砕け散り、ルシエラの腹に収まった。
喰らう事だけが本能である害でしかない存在が喰らわれて死ぬというのは、何とも皮肉な話ではあるが――それを見届ければ、エルトリスは呼吸を荒くしながら、肩口を抑えながらも再び眼下に犇めく蟲の波に視線を向ける。
数こそ徐々に減りつつあるとは言えど、その猛威は未だ顕在で。
冒険者たちも奮戦こそしているものの、良くて拮抗、ともすればその拮抗も容易く崩れてしまいそうな状況だった。
そんな状況を見れば、エルトリスは軽く息を吸い、吐いて――とん、とん、と円盤を蹴りながら、冒険者たちの間に降り立って。
「嬢ちゃん、その怪我は――!」
「大丈夫。とっとと、押し返すよ」
気遣うような声に軽く返しながら、エルトリスは腕を軽く一薙ぎして、虫の波を砕き散らし。
それを見た冒険者達が沸き立つのを見て、単純だなこいつら、なんて軽く呆れながらも、エルトリスは口元を軽く緩めた。
未だ、戦いは終わらない。
だが、少しずつ数を減らしたアバドンに――そして、それを真っ向から打ち破った強者と並び立っている事実に、その士気を高めていた。




