16.決着
大地に何かが叩きつけられ、土埃が舞い上がる。
空中での動きは殆ど見えなかったけれど、私には終始魔族のほうが圧倒しているように見えた。
否、魔族と単独であれほどまでに渡り合えていた事自体が奇跡と言っても良い。
だって、それはまるで英雄や英傑といった、人でありながら人を超えた存在でしか有り得ない事なのだから。
「――三重奏」
――そして、私はそうではないという事なんて私自身が一番良く知っている。
もしあの魔族がこちらに敵意を向けたのなら、私は恐らく一撃でただの肉塊に変えられてしまう事だろう。
だが、それでも……まだ、私は死ねない。
あの怨敵に復讐を果たすまでは、絶対に死ぬ訳にはいかない――!
土埃が晴れるのを待ち、魔族を視認した瞬間に今の私の最大火力を叩き込む。
それに意味があるかは判らないけれど、少なくともあの速度を見る限りでは、背を向けて逃げるよりはまだマシなように思えた。
そうして、少しすれば目の前の土埃は晴れて――……
「……うそ」
……目の前には、にわかには信じがたい光景が広がっていた。
「――ゴパッ、ガ、プ――グェッ、あ」
「は……ぁ」
着地の姿勢は取ったとはいっても、高高度からの落下は流石にこの体には厳しかったのか。
少し朦朧とする意識の中、俺は足元に流れる青黒い血を見て、少し笑った。
「……わたしのかち、ね?」
「ゴ、ポ……っ、ええ……忌々しい、ですが」
まだ、興奮は冷めない。
俺の言葉に、ファルパスは血の塊を嘴から吐き出しつつ、何処か諦めたかのように小さく嗤う。
――最大回転させたルシエラの一撃と激突したファルパスの脚は、見る影もなく食い千切られていて。
原型さえも判らない程にズタズタに千切れた下半身は、それだけでもうファルパスは助からないのだと、理解できた。
「たのしかったよ」
「それは……何、より。出来るなら、演奏……で、愉しませ、たかったの、ですが」
ファルパス自身もそれを理解しているのだろう。
落下した直後は藻掻いていた身体を、今はただぐったりと横たわらせていて。
……ああ、楽しい時間ももう終わりなんだな、と酷く、寂しい気分になってしまう。
『んんっ、実に美味いのうこの男は!どれ、さっさと残りも私に――』
「――ちょっと、黙ってろ」
久方ぶりのご馳走に舌鼓を打っているルシエラに、小さくそう返しながら。
ファルパスの頭の方に座り込むと、軽く視線を合わせて……ファルパスも、息も絶え絶えと言った様子だったけれど、どうやら付き合ってくれるらしい。
「……ご、ぷっ。何か……聞きたい、事でも?手短、に……お願い、します……よ」
「魔王ってのは、誰だ」
「ク、カ……カカッ、何を……言うかと、思えば」
俺の言葉に、ファルパスは可笑しそうに嗤った。
……見れば、もう死ぬ寸前だからなのか。
ファルパスの身体は、末端から白く、まるで燃え尽きた灰のように変色し始めていて。
「――魔王、様は……我ら、魔族の創造主……我らに、とっての……神の、ような……もの、です」
「神……」
そんな状態でありながら、ファルパスは律儀に俺の言葉に答えてくれた。
神、創造主――という事は、恐らくは俺とは成り立ちそのものが全くの別物なのか。
俺の場合はいつの間にか周りに集まってきた連中にそう持て囃され、世界からそう言われるようになっただけだし。
「……嗚呼、ですが……ワタシ、が……忠誠を、誓うのは……あの方、だけ」
朦朧としているのだろう。
身体を灰のように白く染めながら、ファルパスはうわ言のように言葉を紡いでいく。
「ク、カ……ただの、楽士である……ワタシに……苦戦、した……貴方では……絶対、に……あの方、には……」
「……お楽しみがまだまだある、って事だろ」
「カカ、カ……ああ……ああ、残念、です」
俺の言葉にファルパスは心底可笑しそうに嗤えば、その真っ白く染まった手を、虚空に伸ばした。
動かす先から、先程までは力強く羽ばたいていた翼が、音撃を奏でていた指先が、ボロボロと崩れていく。
「もっと……あなたの為に……奏でたかった。申し訳、ありま、せ……」
――その言葉は、きっと俺に向けての物ではない。
「……アル、ケミラ……さま……」
まるで愛を歌うかのように、愛おしむようにその名を呟いて。
それを最後に、ファルパスの身体は粉々に――文字通り灰となって砕け散った。
『あああああ!!ぼーっとしておるから食べれなくなってしまったではないか!?勿体ない、何と勿体ない!!!』
「うるせぇな、もう十分喰っただろうが……」
ルシエラの言葉に苦笑しつつ、小さく息を漏らす。
……ああ、楽しかった。
久方ぶり――いや、この体になる以前ならあの少年以外には有り得なかった苦戦。
切り札の一つを切ってようやく倒せた相手に敬意を、そしてそれが死んだ事にほんの少しだけ寂しさを覚えつつ。
「――エルトリス様、ご無事で何よりです」
「お、う」
戦いに巻き込まれつつも無事だったのだろう、リリエルに軽く返した途端に、ぐるん、と視界が揺れた。
……ああ、うん。
どうやらこっちも限界寸前だったらしい。
「……後、たのむ」
「エルトリス様――?!」
「おい、どうしたエルトリス……!!」
遠くから、ギリアムの声も聞こえてくる。
でも、もう意識は愚か、座っている事さえも保つ事ができない。
それだけ、ファルパスは強かったのだ。体に受けた傷を癒やすためにも、今はこの微睡みに身を委ねるとしよう。
『――まあ、良しとするかの。それはそれとして、お楽しみの時間じゃ♥』
「……っ、ぁ」
……ああ、そうだった、忘れてた。忘れていたかった。
そうして意識を闇に落とす寸前。
微かに聞こえた心底楽しそうなルシエラの声に、俺は酷く憂鬱な溜息を漏らしてしまった。