11.環境抵抗① -少女、吠える-
――光の壁の際。
燃え盛る森林の中、戦いの音は鳴り止むこと無く続いていた。
最前線で戦う三人の奮戦は元より、その後から続くように続々と到着した冒険者ギルドの面々も、黒い禍に臆すること無く立ち向かう。
徐々に、徐々に前線を押し下げられては居たものの、早期に森を焼いた事が功を奏したのだろう。
アバドンの津波のような猛攻を三人が食い止め、喰い破り。
冒険者たちが後続へと漏れた蟲の群れを死物狂いで駆除していけば、僅かだが前線に存在するアバドンの数は減りつつあった。
本来栄養とする筈だった森林が焼けた事で、獲得できる栄養が目減りしたこと。
光の壁の向こう側――アバドンが進んでいる道には既に栄養が亡いということ、この2つがアバドンの増殖を少しずつではあるが、鈍らせていたのだ。
「畜生、まだ来るのかよ……!」
「少しずつ減ってきてる!無駄口を叩かないで!!」
絶え間なく続くアバドンの猛攻に、冒険者たちは疲弊を隠せず、言葉を口にする――が。
それを最前線で戦う少女、エルトリスは叱咤するように声を張り上げた。
年端も行かぬ少女が最前線で戦っている事を自覚すれば、冒険者たちの疲弊した瞳にも力が宿る。
下手をすれば彼らの娘と同じか、下手をすればそれよりも年若い――少なくともそう見える――エルトリスにそんな事を言われて、そしてそんな幼子を最前線で戦わせておきながら、自分たちが先にへばってたまるものか、と。
冒険者たちは声を張り上げるようにしながら武器を持つ手に力を込めれば、再び押し寄せる蟲の群れに立ち向かっていった。
成程、さすがは公国の冒険者たちという事なのだろう。
単独ではアバドンに忽ち餌にされていたであろう冒険者たちは、互いに連携を取る事でそれを防ぎ、そして群れを駆除し続けており。
エルトリスはそんな彼らを横目に見れば、口元を軽く緩めた。
悪くない。
こういう奴らだったなら、俺の後ろを任せたりするのも悪くないもんだ、と。
そんな事を考えて――
――不意に、彼女が足場にしていた鎖の大蛇の身体が、ぐらりと揺れた。
『――っ、なん、じゃ……ッ!?』
「どうしたの、ルシエラ――」
まるで横合いから胴を殴りつけられたかのような衝撃。
苦悶の声をあげるルシエラにエルトリスは軽くしがみつきながら、その衝撃の元であろう胴体を見た。
そこにあった物を見て、エルトリスは言葉を失う。
――あれは、なんだ。
それは、一つの節でおおよそ成人一人分はありそうな大きさと太さの脚だった。
未だ地表をうぞるうぞると蠢くアバドンの群れの中に埋もれていたのか、その脚は鎖の大蛇の――ルシエラの胴体を、拷問器具のように鋭く痛々しい形をした鉤爪で叩きつけ、薙ぎ払って。
『――……っ!!!』
ギュイン、とルシエラの胴体に火花が散る。
そして、エルトリスは見た。
それと同時に飛び散ったのは、無数の鎖の残骸で――それはエルトリスが初めて見た、ルシエラの損傷だった。
「ルシエラ――ッ!?」
『情けない声を出すな!僅かに欠けただけじゃ、大事無い――くそ、何じゃあれは……ッ!?』
ルシエラの言葉に安堵しつつ、エルトリスはその大きな脚から距離を取る。
がさごそ、がさごそとその足が蠢いたかと思えば、黒い蟲の水面をかき分けるようにしながら、その根本にあるものが姿を現した。
――それは、大きく奇妙な蟲だった。
大凡2mは有るだろうか。蟲としては余りにも大きすぎる身体を動かしながら、その巨蟲はぐるん、と身体を起こしてみせる。
その身体は足の長さに比べて余りにも小さく、4対の足を小さな胴体から生やしたその姿はまるで蜘蛛かなにかのよう。
だが――ギチ、ギチと顎を鳴らしているその有様は、紛れもなくアバドンの一部なのだと、エルトリスは即座に理解した。
どうしてこんな姿に?
一体何が起きている?
その思考を即座に焼き払えば、エルトリスはルシエラにしがみついたまま、体勢を立て直す。
「――これからそっちに行く量が増えるけど、頑張って!」
「おう任せろ!お嬢ちゃんだけに任せてられるかよ――!!」
冒険者たちにそう告げて、返ってきた言葉にエルトリスは今度こそ、完全に目の前の巨蟲以外を意識から切り捨てた。
そうしなければ不味いと、彼女の本能が理解していたのだ。
ルシエラの鎖でさえも砕くその拷問器具のような4対の足が一度振るわれたのならば、他の瑣末事に関わる余地などないと。
深く吐息を吸い、吐きながら、エルトリスは大蛇の形をとっていたルシエラを変容させていく。
多くを相手にするならば兎も角、強大な一を相手にするには、巨体はかえって不利にしかならない。
そう判断したエルトリスがルシエラにとらせた形は実に単純なものだった。
先程のような巨躯ではなく、自らの周囲に4対の――大凡、彼女が以前魔王であった頃と同じ程度の大きさの鎖の腕を作り上げる、ただそれだけ。
彼女自身を護るものは、何一つ身につける事はなく。
4対の腕には所々に牙を生やした円盤が埋め込まれており、彼女は宙に浮かぶ円盤を足場代わりにすれば、巨蟲に意識を集中させる。
巨蟲はギチ、ギチ、と顎を鳴らしながら、唾液らしい液体を垂らして――
――瞬きの間に、その巨体が霞むように消えた。
瞬間八閃。
鈍い煌めきとともに拷問器具めいた足が風を切れば、エルトリスはそれを見る事も無くただ、感じるままに作り上げた腕をもって捌いて見せた。
「シ、ィ――ッ!!」
そして息をつく間も無く、お返しとばかりに鎖の拳が巨蟲に向けて叩き込まれる。
まるで岩が衝突したかのような音を鳴らしながら、巨蟲の体は揺れる――が、それも最初の二撃のみ。
関節を、顎を、体を軋ませるように音を鳴らしながら、巨蟲はその脚を振るってエルトリスの連撃を弾き、弾き――足元の黒い蟲溜まりを踏み躙り、砕き、刻みながら、けたたましく顎を鳴らしてみせた。
まるで食材が抵抗するなと言わんばかりの傲慢さに、しかしエルトリスは動揺する事も無く呼吸を整える。
先程は砕かれたルシエラの体であったが、より強く、より硬く束ねた鎖の拳は巨蟲の脚に負ける事もなく、拮抗しており。
『蟲風情が……っ!どちらが捕食者か、理解させてくれるわ――!!』
ルシエラの怒りに満ち満ちた言葉を合図に、エルトリスも可愛らしい少女の声で怒号を上げた。
よくも。
よくも、ルシエラに傷をつけてくれたな、と。
感情の荒ぶりの全てを暴力という形で巨蟲に叩きつけるようにしながら、その余波で蟲の群れをも潰していくその有様に、冒険者たちはぶるり、と体を震わせる。
その怒りが此方に向けられたものでなくて良かった。
そして――少女の何と頼もしいことか、こんな存在と戦える事が喜ばしくさえ有ると。
まるで英傑とともに戦っているような感覚さえ覚えながら、彼らは溢れかえってくるアバドンの群れに臆する事無く武器を手に、立ち向かった。




