7.黒禍②
増える、増える、増える。
1が10に、10が100に、100が1000に。
潰しても潰しても、喰らっても喰らっても気づけばそれ以上に増えるこいつらは、正しく驚異だった。
『ええい、きりがないぞ!?』
「ああ、もう……っ!!」
出来る限り広範囲に触れるように拳を広げながら攻撃を繰り返すも、気づけばアバドンは眼下を埋め尽くすだけでは飽き足らず、まるで湯船のように波打っていて。
まだまだ疲労は無かったものの、このままでは何時まで経っても終わらないどころか、いずれか数に圧倒されてしまいそうだった。
このままでは駄目だ。
もっと、もっと一度に広い範囲のこいつらを屠らなければ――!
「なら、これで……!!」
アルーナの使っていた技を記憶から掘り起こしつつ、ルシエラの形を変化させていく。
堅牢な城をも打ち壊す巨体を。
何もかもを飲み込む強靭で巨大な顎を。
鎖で作り上げた巨大な蛇の頭に乗れば、俺は思い切りその巨体をのたうち回らせながら、暴れまわった。
巨体を以て黒褐色の虫の群れを屠りつつ、周囲に視線を向ける。
あいも変わらず、アバドンはあちこちでぶくりと隆起すれば、そこから弾けるようにして増殖を繰り返しており――
「――?」
――そんな最中、ふとある違和感に気がついた。
増えている。
確かに、アバドンはさっきから増え続けている――が。
「……そっか」
『何じゃ、どうした?』
考えてみれば、当たり前のことだ。
無作為に、無条件で増えるというのであればとっくの昔にアバドンはこの世界を飲み込んでいただろう。
それが出来ず、長い間外に出る事さえ出来ていなかったというのであれば――
「っ、外の人達!まだ居る!?」
「え――ええ、居るわ!どうかしたの!?」
「森を燃やして!こいつらがそっちに到達する前に、早く――!!」
――答えは、単純だ。
何でも喰らい、そして増えるというのであれば、増殖に必要なのは恐らくは栄養なのだろう。
得た食料が多ければ多い程に増殖するというのであれば、先程感じた僅かな違和感にも納得がいく。
先程から、アバドンが隆起して爆ぜているのは、光の壁より此方側で。
光の壁側では、ぞろぞろと蠢くばかりで増殖している様子は無かったのだ。
「え……で、でも」
「さっさとしなさい!迷ってられるような状況じゃないでしょうに……!」
「良いから早く!今ならまだ――」
炎の壁の向こうで、言い争うような声が聞こえてくる。
自国の森林を燃やすというその行為に躊躇いが出たのだろう冒険者を、クラリッサが叱咤しているのか。
正直な所、早く決断してほしい。
さっきから増殖を続けているアバドンは、既にかなりの高さまで登ってきているのだ。
このままだと、アバドンが炎の壁の向こう側に溢れ出して、それこそ取り返しが付かない事態になりかねない。
先程から遠く――と言っても大分近いが――で鳴り響いている雷鳴が俺の方に落ちてこないっていう事は、多分二人の方が苦戦している、という事だろうし。
早い所こいつらから食料を奪い去るか、少なくとも喰らうペースを落とさなければいつまでも戦線を維持する事ができない――!
「――森を焼けば良いんだな!?」
――そんな最中。
先程の冒険者たちとは違う声が、炎の壁の向こうから聞こえてきた。
「で、でも、森を燃やすなんて、そんな……」
「馬鹿野郎、躊躇ってる場合か!状況を考えろ!燃やせば良いんだろ!?」
成程、どうやら漸く他の冒険者たちも此方側まで来たらしい。
戦力になるかは判らないけれど、どうやらちゃんとした判断が出来る奴が居るみたいだ。
「う、ん!森を燃やして――こいつらが、食べられないようにして――!!」
「判った!やるぞ、急げ!!」
向こう側から聞こえてくる声に安堵しつつ、俺は巨大な蛇と化したルシエラをのたうち回らせていく。
際限なく増殖していくアバドンも、栄養さえ得られなければ次第にそれが出来なくなっていく筈だ。
そうなれば、後は持久戦で何とかなる。
こいつらの一匹一匹は飽くまでも食い意地の張った虫でしか無いのだから――
『――っ、ぬ、ぅ!?』
――そう、勝機が見えたと思った瞬間。
チュイン、というこの場にそぐわない音とともに、ルシエラが小さく声をあげた。
まるで、なにか硬い物を――そう、それこそ強固な障壁に触れた時のような音が、一瞬だけれど何度も、何度も鳴り響いて。
「どうしたの、ルシエラ!?」
『何じゃ――急に、歯応えが』
チュイン、ガキン、パキン。
虫の甲殻では決して鳴り得ないような、そんな異音を鳴り響かせながら、ルシエラは戸惑うように声を漏らす。
一体何が、と視線をルシエラの身体――大蛇を形成している鎖を見れば、あちらこちらから小さく火花があがっていて。
「――な」
――そして、目を凝らしてその源を凝視すれば、俺は絶句した。
先程までは一方的に蹂躙出来ていたその群れの中に、極僅かだが色の違う何かが混じっていたのだ。
赤黒い体をしたソレは、姿形こそは周囲の黒褐色のソレと代わりはなかったものの、ルシエラの身体に触れてもすぐに喰われる事はなく、抵抗していて。
学習した?
違う。学習したのであれば、そんな知性があるのであれば、アバドンはこんな風に蹂躙されながらも俺達に向かってくる事はなかった筈だ。
進化した?
それとも、違う気がする。アルルーナの、アルーナのやった進化は俺達の行動を覚え、学習し、対応する物だった。
これは、それとはまた違うなにかのように見える。
「っ、そりゃあ六魔将だもんね、一筋縄じゃいかないか――!!」
判るのは、今までは数だけが驚異だったアバドンに変化が起きつつ有るという事。
俺は僅かに緩みかけていた気を引き締め直しながら、隆起して増殖せんとしているアバドンを優先するように、ルシエラの巨体を叩きつけた。
――それは、決してアバドンのみが持っている特別なものではなかった。
例えば、極寒の地においてはその極寒に適応したものが育ち、繁栄する。
それは決して短時間で行われるものではなく、何世代も、何世代も紡ぎあげた結果生まれるものだ。
いかなる毒も与え続ければ抗体を得た個体が生まれるように。
いかなる環境もそこで生き続ければその地に適応した個体が生まれるように。
産まれ、喰い、爆ぜ、増える。
極めて短いサイクルを繰り返すアバドンにとっては、それがありえない程の短時間で起きる、というだけの事。
「……え?」
「ちょっと、よそ見をしないで――」
炎の壁を維持しつつ、樹々の処理を行っていた冒険者が、硬直する。
それを見たクラリッサが呆れ返ったように叱咤しようとした、けれど――その冒険者が見ている物を見て、クラリッサは言葉を続ける事が出来なかった。
炎の壁から、かさこそ、かさこそと少数だが、虫が――アバドンが通り抜けるその光景。
炎の中を悠然と通り抜けてきたそれは、炎に焼かれながらもまるで堪える事はなく。
「――ちっ!」
クラリッサはそんなアバドンを踏み潰しながら、唇を噛んだ。
何が起きたのか、起きているのか、クラリッサはまだ把握できては居ない。
ただ――
「ぼさっとしてないでさっさとこの周りを焼きなさい!通り抜けてくるのは私がやるから――!」
「は……は、はい!」
――たった今見たものが、少なからず破局を齎すものだという事だけは、理解できていた。




