5.群れ、集う
――既に先客が居たっていうのはちょっと予想外だったが、まあそれは良しとしよう。
一応メガデスにも言われた事だし、何よりかろうじて戦力として計上しても良さそうだ。
『うぅむ……味は酷いもんだのう』
「何だ、強い奴なら大抵美味い美味い言うくせに」
『何というか、こう……味気ないのに酸味の強い、木の実だかなにかを喰ってるような気分じゃ』
「……何だそりゃ」
ルシエラの言葉に首をひねりつつ、ふむ、と小さく息を漏らす。
眼前には聳える炎の壁。
相手がただの虫の群れならそれだけで問題はないんだろうが、まあ結果はさっきの通りだ。
自らの死骸を喰らいながら登ってくるのだから、どれだけ高い壁を築き上げた所で大した時間稼ぎにはならないのだろう。
つまりはこの炎の壁もこのままでは瓦解するまでそう時間はない。
となれば、まあやることなんて一つくらいしか無いだろう。
「おい」
「な、何?」
「できるだけこれは維持しとけ。俺が取りこぼした分の処理くらいなら使えるだろ」
指先を軽く抑えている女にそう言葉にすれば、俺はとん、とん、と軽く周囲の樹を蹴り上がり、炎の壁の先を見た。
壁の先で蠢いているのは、黒褐色の虫、虫、虫。
がさごそと大きな音を鳴らしながらうねるその有様は、まるで液体のようにさえ見えてくる。
光の壁の方を見れば、未だにアバドンは湧き出し続けており――その気味の悪さに、俺は思わず身震いしてしまった。
生理的嫌悪感、というんだろうか。
ただただ気持ち悪く、気味が悪く、おぞましい。
生まれてはじめて抱いたかも知れない感情に可笑しくなって、俺は身震いしながらも口元を緩めれば――
「リリエル、エルドラド!お前らはここ以外からも溢れてるだろうアバドンを何とかしろ!!クラリッサはこいつらの援護をしてやれ!!」
「畏まりました、エルトリス様。では、こちらは私が」
「それなら私達は此方側を、ですわね。行きますわよ、ノエル」
「は、はい、エルドラド様っ」
「まあ、この子達が死なない程度の援護はしてあげるわ――アンタも、油断しないように。アルケミラ様の期待を裏切る事は許さないわよ」
――俺の言葉に頼もしく答えてくれた面々に、思わず笑みを零しつつ。
クラリッサの言葉に短く、ああ、と答えれば――トン、と樹を蹴りながら、炎の壁のその向こうへと跳んだ。
「な――馬鹿な、正気か!?無茶だ、幾ら強くてもあんな虫の大群に――!!」
「いくら何でも無茶だわ!ここは増援を――」
炎の壁の向こうへと跳んだエルトリスと、二手に別れて別の場所にあふれているであろうアバドンの処理に向かった二人を見て、冒険者たちは声をあげる。
彼女達は先程の一瞬で痛感していたのだ。
目の前の虫がただの虫の大群などではなく、もっと得体のしれない、悍ましい何かなのだということを。
だからこそ、彼女達は少女達の身を純粋に案じていた。
彼女達が並外れた相手だというのは、先程の一瞬で理解できたけれど、それでも尚、この得体のしれない事象に単独で挑むのは無謀だとしか思えなかったのだ。
「良いから黙って貴方達は漏れ出た虫の処理をなさいな」
「だ、だが――」
しかし、クラリッサはそんな彼女達の言葉にため息を漏らしながら、腕を組んで。
あまりにも楽観的過ぎる、と冒険者達は戸惑いを隠せなかったものの――
「――エルトリスはこの場を貴方達に任せたのよ。その期待には応えるべきでしょう?」
「え、あ」
――ヒュン、という短い風切り音と共に、冒険者の頭上で何かが弾けたかと思えば。
周囲に軽く飛び散った黒褐色の虫に、彼女達は顔を青ざめさせて――そして、こくこくと、クラリッサの言葉に頷いた。
アバドンを蹴り抜いて、体液に塗れたつま先を地面で軽く拭いつつ、クラリッサは小さく息を漏らす。
無茶、無謀。
正直なところを言うのであれば、クラリッサも少なからずそう思ってしまっていた。
相手は六魔将――すなわち、彼女が仕えているアルケミラと、曲がりなりにも同格の存在である。
そんな相手に、人間の冒険者達と英傑、それにエルトリス達でどこまで立ち向かえるというのか――
「……そうじゃ、ないわね」
――そんな弱い考えを頭に浮かべた瞬間、ぱちん、とクラリッサは自分の頬を叩く。
それが出来ると言ってくれたのもまた、六魔将である彼女の主なのだ。
ならば、それを信じて戦わなければ。
そうやって、クラリッサは自分を軽く鼓舞して、炎の壁の向こうへと視線を向ければ。
「死ぬんじゃないわよ、エルトリス。アルケミラ様も、期待しているのだから――」
小さく、誰にも聞こえないような声で、そう呟いた。
がさごそ、がさごそかさこそがさごそ。
耳障りな音を鳴らしながら、その群体は蠢き、御馳走を食い荒らしていた。
飽食の地と言っても過言ではないその場所に生え揃っていた御馳走は既に殆どが食い尽くされ。
次は突然現れた炎の先へと向かおうと、群体は自らの死体を喰らいつつ高く、高く積み上がっていく。
人では飛び越えられないような高さの壁であろうと、アバドンの前では何の意味も有りはしなかった。
うず高く積み上がりながら乗り越える事もできるし、炎の中を少しずつ進んで食い破ることだって出来てしまう。
もっとも後者は、炎の壁を新しく貼り続けられる限りは突破までは時間がかかるが――それを待つこと無く、前者は間もなく成就しようとしていた。
一度上に到達してしまったならば、後は雪崩れるように壁の向こう側へと落ちていけばいい。
その先にある御馳走を夢見るように、ギチギチと鋭い顎を鳴らしながら、自らの死骸の上を這い上がれば――
「――よう。もうちょっとゆっくりして行けよ、なぁ?」
――刹那。
その積み上がった死骸の山ごと、壁を超える寸前だった群体を上から文字通り叩き潰された。
体液を撒き散らしながら四散したアバドンは、ギィ、ギィ、とまるで威嚇でもするかのように耳障りな音を鳴らしながら、それを為した物を見る。
小さい。
しかし柔らかそうで美味そうなその御馳走を視認した瞬間――アバドンは、一斉にその少女へと群れ集った。




