4.少女、最前線へ
「おお……相変わらずすげぇ一撃だ」
「まるで神の裁きみたいな雷だったわね」
「感心してる場合じゃないよ。俺達も行こう」
異変に気づいていたのは、メガデス達だけではなかった。
衛兵たちの様子から尋常ではないと悟り、異変の元へと我先にと向かった冒険者達は荒く息を漏らしながら、雷鳴が鳴り響いた先へと森の中を駆けていく。
幸いというべきか、彼らは深い森の中でも目標を見失うことは無かった。
木々に視界を遮られているとは言えど、彼方にあるドス黒い塊だけは、どうあっても見失いようがなかったのだ。
先程の雷鳴でその周囲が焼け落ちた事もあり、彼らは僅かに大きな火事にでもなるんじゃないか、と心配こそするものの、その考えをすぐに頭から振り払う。
そんな事よりも、今は公国中の人間を避難させる程の事態に陥らせたであろう、黒い塊への対処こそが大事だからだ。
「良いか、メガデス様がわざわざ避難を指示した程の相手だ。何時も通り無理はせず、足止めに徹するぞ」
「判ってるわ。無理して死ぬなんてご免だもの」
「うむ。しかし――」
彼らが黒い塊へと向かったのは、金銭もあるがそれ以上に人々を守るためという義侠心からである。
英傑でさえも避難を命じた程の相手から、避難する民衆を守るため――その一助になれればという善意の表れで。
「――ありゃあ、一体何なんだ」
「分からないわ……先程の雷を受けても、まだピンピンしてるみたいだし」
「魔族か何かなんだろうが――兎も角、油断せずに行くぞ。すぐに冒険者ギルドからの応援もくる、避難が完了するまでの足止めをするんだ!」
だから、彼らはそれが何なのかを知らなかった。
魔族であろうという当たりは付けていたが、それだけ。
それが六魔将に数えられるほどの災厄などとは、つゆほども考えておらず。
「これ、は……酷いな」
「虫の大群……?でも、この数はやばいわ。取り敢えず私が炎の壁で壁を作るから、漏れてきた虫は二人で潰して頂戴」
「ああ、判った。魔族退治かと思えば、虫退治たぁな」
そして、とうとう彼らは接敵してしまった。
六魔将、アバドン。
群にして個である、その暴食の化身と。
かさこそかさこそかさこそ。
耳障りな音を鳴らしながら、木々を、草木を食い荒らしていたアバドンの視線が、一点に集まる。
真っ黒な体躯であるが故に、新たに彼らの食卓に上がった御馳走達は、それに気づくことはなかったものの――動きが止まった事は理解したのだろう。
「――っ、四重奏、炎の壁――ッ!!」
それに気付いた瞬間、全身を悪寒が襲いでもしたのか。
身震いしながら、冒険者の内の一人が大きな声で魔法を宣言した。
瞬間、薄暗かった森が再び明るく照らし出されていく。
アバドンと冒険者たちの間に作り上げられたのは、高く聳える炎の壁。
厚さも高さもあるその壁が作り上げられたのと同時に、黒い塊は一斉に冒険者達の元へと殺到した。
それは、決して敵意を抱いたというわけではない。
草木とは違う、樹々とも違う――そして、魔族ともまた違う御馳走に、アバドンは興味を示したというだけのこと。
炎の壁に激突したアバドンは、その身を焼かれながらギィギィ、ギィギィと聞くに堪えない音を鳴らしながら身体を焼き焦がしていく。
炎の壁は確かにアバドンの進行を阻み、冒険者たちの身を守っていた。
「――よし、それじゃあ手筈通りにいくぞ!虫の進行を遮りつつ、時間を稼ぐんだ!」
「私はまだまだ行けるわ!漏れてきた奴はお願いね――……?」
――そう、炎の壁は。
炎の壁を作り出していた冒険者は、ふと肩の上に落ちてきた何かに視線を向ける。
何しろ森の中だ、毛虫やら毒虫には事欠かないのだから、そういうこともあるのだろう、と何時ものように肩に乗っているそれを叩こうと、手を出して。
そこで漸く、彼女は肩の上に乗っているソレが、今まで見たこともなかった虫である事に気がついた。
黒い、黒い――黒褐色の甲殻で覆われた、丸々と膨れた虫。
それは彼女の指先が向かってくれば、逃げるでもなく――その顎をギチ、と鳴らして。
「――っ、い、つ……っ!?」
「どうした、何が――」
「こ、の……離れなさい、この――ッ!!」
指先の肉に鋭い顎で噛みつかれれば、彼女は痛みから声を上げながら、手を振って、払う。
強靭な顎を持っていた黒褐色の虫は、ブチリ、と彼女の指先の肉を食いちぎれば、口元から赤い液体を滴らせつつ、それを咀嚼し。
――そして、ばちゅん、と音を立てながら、唐突に爆ぜた。
「――え」
指の先を食いちぎられた冒険者は、目の前で起きた光景に声を抑えられなかった。
彼女の指先はえぐれるように食いちぎられ痛々しく、血を滴らせていたが――ソレは既に、彼女の意識の外。
彼女が意識を奪われたのは、指の肉を喰らったその黒褐色の虫だった。
唐突に弾け飛んだ虫は、体液を撒き散らしながら絶命し――その内側から、ギチギチと音を鳴らしつつ黒褐色の虫が溢れ出したのだ。
一匹、二匹、三匹。
一匹の弾け飛んだ虫の中から、まるで増殖するかのように次々と小さな虫が這い出して――
「っ、灯火の矢!!」
――その光景に、彼女は背筋を凍りつかせながら、思わず魔法を放ってしまった。
虫に使うには余りにも過多な火力で、産まれたばかりの、増殖したばかりの小さな虫を焼きながら。
「っ!?何だ、この虫は――一体何処から……!」
「――っ、ソレに噛まれないで!まずいわ、それは――」
彼女と同じように上から降ってきた虫に齧られでもしたのだろう。
仲間たちから上がる声に、彼女は慌てて声を張り上げた。
たった今焼いた虫を踏み躙りながら、彼女は視線をさまよわせる。
眼前には炎の壁があり、未だに虫の大群はそれを越えてきては居ない。
頭上を見ても、まだ樹々の中には黒い影はなく。
「……嘘」
――ただ。
数メートルはあるであろう炎の壁の、その頂点。
黒く燻っている煙とは別の黒い影が、まるでコップから溢れ出すかのように膨らんでいた。
知性を以て、樹を登ってきた訳ではない。
ただ、食欲のままに壁を登り――自らが焼き殺されようが、構うこと無くその屍を喰らいながら、登り。
普通の生物であったなら忌避するはずの死でさえも、彼らを止める事は叶わずに。
「あ」
そして、決壊する。
炎の壁を強引に登ることで突破した黒い虫の大群は、一斉に彼女達の上から襲いかかる。
まるで雨のように降ってくるそれに気付いた所で、既に遅い。
かさこそかさこそと、耳障りな音を立てながら、アバドンは冒険者達を飲み込んで――
「――っ、ふぅ。ギリギリセーフ、か?」
――だが、その蟲の雨は冒険者達に到達する、その直前で遮られた。
彼女達の眼前に広がるのは、細かく編まれた網のような何かで――それに触れた途端に黒い虫はゴリゴリとその身を削られていく。
「有難う、助かった――って、え」
あわや、黒い虫の群れに飲み込まれるところだった冒険者たちは、突然の救いの手に感謝の言葉を口にする――が、それを為したであろう人物を見て、思わず言葉を途切れさせてしまった。
そこに立っていたのは、彼らの歳の半分も行かないような、幼い、幼い――少女とさえも言えないかも知れない、女の子で。
「ぐずぐずしてんな!さっさと立て直せ!」
「え、ええ、判ったわ!」
ばるんっ、と。
その幼い体躯にはまるで見合わないような、大きな大きな膨らみを揺らしながら、幼い声色で命令されてしまえば。
その有無を言わせない様子に、彼女達は慌てた様子で再び、炎の壁をより高く作り直した。
「後から、増援が来ます。今はアバドンの進行を留めましょう」
「……は、ぁ。まさか、これと戦う事になるなんて思ってなかったわ」
「ふん。所詮は虫の群れなのでしょう?私達の敵では有りませんわ――ねぇ、ノエル?」
「は……は、いぃ……」
「……脇に抱えて全力疾走なんてするから、酔ってるじゃない。降ろしてやりなさいよ、それ」
幼い少女の後に続くように、次々に現れる面々を見れば――どう見ても冒険者とは思えないような、使用人やら何やらに、冒険者たちは言葉を失いつつも。
「――死にたくなけりゃあ勝手はするなよ。長丁場になるからな」
「あ、ああ、判った」
しゅるり、と冒険者達を守っていた鎖を解いた少女の姿を、その言葉を聞けば。
文字通り年端も行かないような彼女に、何故だか冒険者たちは異を挟む気になれなかった。
それは、冒険者として公国で何度も魔族と対峙してきたが故に培われた、勘のようなもの。
複数の徒党を組んで魔族に挑んだ時、危機に陥った時にこうすれば助かる――この人物に従うべきだという、直感。
彼らの直感が、この少女に従うべきだと、そう告げていたのである。




