閑話:少女、意地を張る
とある日の、まだ日の高い時間。
皆で大浴場に行きたいなー、なんていうアリスの何気ない一言で、俺達は真っ昼間から大浴場に来ていた。
エルドラドは最初こそ渋っていたものの、いざ大浴場を見れば少しは気に入ったのか、機嫌を直し、ノエルの手を引いて真っ先に中に入って――ノエルも女性用の方に引っ張られていったけど、まあ、うん、年齢的にギリギリで大丈夫だろう、きっと。
ともあれ、俺達もぞろぞろと大浴場に入れば、各々服を脱いで。
以前ここに来たこともあって、特に何かに迷うこともなく身体を洗えば、俺はルシエラと一緒にちゃぷん、と湯船に浸かった。
「はふぅ……」
『これ、口をつけるでない。汚いぞ』
「ん……」
腰をかがめれば、顎まで簡単に浸ってしまうのもあるけれど。
こんな昼間から湯浴みをするなんていうちょっとした贅沢に、体の力をちょっとだけ抜けば、こぽこぽと俺の口は湯船に浸かってしまって。
それを咎められれば、小さく声を漏らしながら軽く立ち上がり――
『そら。こうすればちょうど良かろう』
「……う。まあ、それはそうだけど」
――そんな俺を見かねたように、ルシエラはひょい、と俺を膝の上に乗せてきた。
柔らかな太ももの上に載せられれば、たしかに高さはちょうどよく。
ぷかぷかと浮かぶ胸元の膨らみがあいも変わらず邪魔だったけれど、ルシエラはその真下に腕を伸ばせば、軽く支えてくれて。
そんな俺達を見ながら、微笑ましげな視線を向ける周囲の見知らぬ女性たちに、俺は顔を熱くしながら小さく息を吐き出した。
『恥ずかしがることも無かろう。二人で入る時は良くやるじゃろうが』
「周りに色々居るのが恥ずかしいんだよ……俺は子供じゃないってのに」
『……ふっ、くく。周囲から母娘のように思われとるかもしれんのう♥』
「ば……っ、そういうのが嫌なんだってのに……!!」
ルシエラのからかうような言葉に顔を熱くしながら、声をあげてしまう。
……母娘だとか、冗談じゃない。
そりゃあまあ、体を洗ってもらったりとか、一緒に湯船に浸かったりだとか、そういう誤解されるような事をしてるかもしれないがっ。
だからといって、ルシエラの娘として扱われるなんて、恥ずかしいことこの上ない――!
『くくく、まあ周囲からどう思われようが関係なかろう?エルトリスは、エルトリスじゃからな』
「ぐ……う。それは、まあ」
……の、だが。
続いて口にされたルシエラの言葉に、俺は反論することが出来なかった。
周囲からの視線など、たしかにどうでも良い筈だし。
周囲からどう思われようが、たしかに俺は俺なのだ。
それは、俺がこの身体になる以前から持っていた考え方そのものだし、今だってそれが間違っていると思ったことはない。
……だと言うのに、どうしてこう、周囲から微笑ましげな視線を向けられてしまうのが、恥ずかしいのか。
これが敵意だとか悪意であるならなんてことは無いのに、こう、お可愛いわね、とかそういう柔らかでふにゃふにゃした物を向けられると、むず痒くて恥ずかしくて、顔が勝手に熱くなってしまう。
「……は、ぁ」
とは言え、こればかりはルシエラと言い合ってどうにかなる話でもない。
事実、ルシエラの膝の上は心地よいし……背中に触れている柔らかなものも丁度いい塩梅だし。
暫くこのままのんびりと浸かって、体が温まったらあがるとしよう――
「ん……あれ、そういえばあいつらは何処に行ったんだ?」
――そんな事を考えていると、ふと、気づく。
そう言えば先程から、リリエルとワタツミも、アミラも、クラリッサも――アルケミラもアリスも、それどころか我先にと大浴場に向かったはずのエルドラドにノエルも、湯船に居らず。
俺が周囲に視線をさまよわせているのを見れば、ああ、とルシエラは小さく声を上げながら、大浴場の一角にある扉を指差した。
『奴らならあそこじゃ。全く、物好きだのう』
「……あそこ、って」
その扉を見て、軽く首を捻る。
……そう言えば、あの扉の先は行ったことがなかった。
大浴場、というか浴場といえば体を洗って湯船に浸る程度の認識しかなかったけれど、もしかしてあそこにも何かがあるんだろうか?
『ん、何じゃ。エルトリスも興味があるのかの?』
「ん、や、まあ……興味はあるな」
俺達以外の全員が行っている、となれば興味を示すのも当然で。
ルシエラの言葉に素直に頷けば、くす、とルシエラは笑みを浮かべながら、俺を軽く抱き上げると一緒に湯船から上がって。
『それじゃあちょっとだけ覗いてみるかの。あまり無理はするでないぞ?』
「……ん?あ、ああ」
まるで何かを警告するかのようなその言葉に、首をひねった。
……一体浴場で何を警戒しろというのだろうか。
無理をするな、というのも良く判らないが、俺は取り敢えず返事をすれば、そのままルシエラに手を引かれるようにして、歩き。
そして、ルシエラが扉に手をかけて、開いた瞬間――そこから溢れ出した熱気に、思わず顔を顰めてしまった。
まるで、灼熱地獄。
むわっと内側から噴き出してきた熱気は、火傷するほどではないものの、熱いと感じるには十分すぎる程で。
「――あ。エルトリス様も来られたのですね。こちらへ、どうぞ」
「あ、ああ……って、何なんだ、ここは」
「む、知らないで来たのか。何でもここ特有の施設らしくてな。汗を流す為の部屋なんだとか、なんとか」
「あ、汗を流す、だぁ……?」
俺達の姿に気付いたリリエルとアミラが、二人分のスペースを開ければ、俺とルシエラはそこに腰掛けつつ。
汗を流す為の部屋、とかいうわけのわからない言葉に首を捻り――
「……っ、あ、あつ……あつ、あつ……っ」
「何でも、こうして汗を流してから身体を冷ますと心地よさが得られるのだとか。変わった文化ですが、面白い事を考える人間も居たものです」
「……そう、ですね……面白いと、いうか、何というか」
「クラリッサちゃん、無理はしないほうがいいよー?アルケミラちゃんに合わせてたら倒れちゃうだろうし」
――涼しい顔をしているアルケミラとアリスとは対象的に、顔を赤くして少し朦朧とし始めているクラリッサを見れば、ああ、俺は割と正常なんだな、と安心できた。
熱い。
熱い、尋常じゃなく熱い。
肌がチリチリするし、汗が全身からどばっと噴き出すし、何なら腰掛けているお尻さえも熱い。
こんな身体だからかもしれないけれど、これは駄目だ。
せっかく連れてきてくれたルシエラには悪いが、早々にこの部屋から出るとしよう――
「――ふ。やはりお子様ですわね、もう限界なのでしょう?」
「……あぁ?」
――そう、思っていた所に。
まるでそんな俺の動きを見透かすかのように、エルドラドが口元を歪めながら、そんな言葉を口にした。
「無理はしないで良いですわ?もうお顔が真っ赤ですものねぇ」
「そういう、お前の顔も……大分ヤバいように見えるが」
「幻覚ですわ?」
顔どころか身体まで赤くして、全身から滝のように汗を流しているエルドラドは、それでも涼しげに装って。
ノエルの方は既に朦朧としているのだろう。
耳まで顔を赤く染めたまま、くらくらと頭を揺らしていたけれど……まあ、それは置いておいて。
「……はっ。まだまだ余裕だっての、この程度」
「あらあら、背伸びするだなんてお子様ですわね……っ」
『お、おいエルトリス。安い挑発を買うな、無理は良くないぞ』
「無理なんかしてない。大体、まだ入ったばかりだろうが――っ」
売り言葉に、買い言葉。
何、確かに熱い事は熱いが、まだ限界には程遠いのだ。
どうせあの表情なら、エルドラドはすぐに限界を迎えるだろうし、出るのはそれからだって遅くはない。
「ふふ、微笑ましい争いですね」
「無理しないでねー、エルちゃん」
「だから、まだ余裕だってのに」
……汗を流しながらも全くもって涼しい顔をしている二人はおいておいて。
さあ、エルドラドがへばって部屋から出ていく様を見届けてやるとしよう――
『……のう、エルトリス。そろそろ止めにしておかんか?』
「え、エルドラド様も……そろそろ出ないと」
「うる、ひゃい……あたち、まだ、だいじょーぶ、だもん」
「ふふ、ふふ、何を言っていますの……?私は、まだ、入って、ちょっとしか」
――どれくらい、たったん、だっけ。
あたまが、ぼんやりして、よくわかんない。
おしりも、むねも……からだじゅう、あつくて、あつくて、ぼやぼや、してる。
でも、えっと……そう、まだ、えるどらどちゃんが、はいってる、から。
えるどらどちゃんのあとじゃないと、だめだから……まだ、あたしは、へーき。
へーきったら、へーきなんだもん……っ。
「……ううん。そろそろストップをかけるべきでしょうか」
「リリエルちゃん達も出ちゃったし、待たせるのも悪いもんね」
「ん、ぁ……?ありす、ちゃん……なぁに……?」
「な、なんれすの……私は、まだ大丈夫、ですわぁ……」
ありすちゃん、たちが、あたちたちに、ちかづいて、くる。
まだだいじょーぶ、なのに。
まだへーきなのに、ちかづいて、きて……
「……は、れ?」
『――ああ、全くっ。だから無理をするなと言ったであろうが――!!』
……からだをうごかそうと、したら。
ちからがはいらなくて、こてん、って……たおれ、ちゃって。
るしえらが、あたちのかおを、みつめながら――からだが、ふわっと、うきあがって……
「――う、ぅ」
……熱い。キツい。めまいがする。
ルシエラの膝で横になりながら、わたし――俺は、小さくうめき声を上げることしか出来なかった。
身体は熱く火照ったまま、汗は噴き出すし。
慌てた様子のリリエルに水を飲ませてもらったりして、ちょっとは落ち着いた、けど……
『全く、まだまだお子様じゃな、エルちゃんはっ』
「……うる、ひゃいぃ……」
ちょっと怒った様子のルシエラに、そんな事を言われてしまえば、恥ずかしくて。
ろれつの回らない口でなんとか言い返すけれど……そんな様子を周囲から微笑ましく思われてしまえば、それもまた、恥ずかしくて仕方がない。
……ああ、もう。
あんな、変な意地なんか、張るんじゃなかった……
「大丈夫ですか、エルドラド様?」
「……はえぇ……ノエルが三人に見えますのぉ……」
「もう暫く、安静にさせたほうが良さそうですね」
でもまあ、何というか。
小さなノエルに膝枕をされているエルドラドに向けられた、奇異の視線と比べれば、俺は幾分かマシだったのかな、なんて思いつつ。
俺はリリエルからまた、水を飲ませてもらいながら――もう二度とあの部屋には近づくまいと、固く誓ったのだった。




