23.少女は、誘われ
「……は、ぁ」
『これはまた……何とも』
夜。
アリスを何とか説得して――明日の日中はアリスにつきっきりという条件の上で――俺は、エルドラドが泊まっているらしい宿の前に来ていた。
あの後、慌てた様子で黒いローブの少年従者……ノエルが、この宿の場所を伝えてくれたから良かったものの。
もしあの従者が居なかったら一体どうするつもりだったのか、なんて考えつつ、俺は俺たちが泊まっている宿より幾分か絢爛な建物に足を踏み入れた。
絢爛な外装に見合うくらいに、内装も眩く、豪華。
正直ちょっと気後れすると言うか、眩しくてよく見えないというか。
「あ……お待ちしておりました、エルトリス様っ」
「ん、ああ。もしかしてずっと待ってたのか、悪いな」
そんな最中、金煌金で少し疲れてきた目に、黒い影が映る。
俺よりは背が高いけれど小柄なノエルは、ローブを踏んづけないようにゆっくりと歩きながら俺の所までくれば、ぺこりと頭を下げてきて。
「それでは此方へどうぞ。エルドラド様がお待ちです」
……一体何故こんな甲斐甲斐しい奴がエルドラドの元に来たのか、皆目見当もつかないけれど。
俺とルシエラは、ノエルの後を着いて歩いて――時折飾られている、悪趣味な程に眩い品々に軽く目を奪われながら、数分。
階段を登りきった先、この絢爛な宿の最上階にある一際大きな扉の前に案内されれば、俺もルシエラも軽く眉を潜めてしまった。
「……ここで暮らしてんのか、あいつ」
「はい。エルドラド様が、この国で一番豪華で絢爛で高価な宿の、最高の部屋じゃないと嫌……と言われました、から」
『……苦労しとるのう』
この部屋を取る時の苦労でも思い出したのか。
段々と声が小さく、言葉もとぎれとぎれになるノエルを見てしまえば、俺は軽く同情してしまった。
以前のように当然のように人間を襲い、隷属、玩弄――或いは殺害するような事は無くなったようだけれど、それでもやはりエルドラドの性格自体はそのままらしい。
あの洞窟で出会った時だって、金色金色で正直趣味が良いとは思えなかったけれど、まさかここまでとは。
『――エルトリス、本気であの小娘を仲間に引き入れるつもりか?』
「ん……まあ、な。性格は兎も角実力は間違いないだろ」
『それはまあ、その辺りの雑魚――ごほん、冒険者を引っ張るよりはマシじゃが』
ルシエラの言葉に軽く返しつつ……内心、ちょっとだけ後悔していた。
これから先、もっと多くの戦力が必要になるのは間違いないけれど。
そう思っていた矢先に、エルドラドがまるでお誂え向きみたいに現れて、つい話を持ちかけてしまったけれど――もうちょっと考えてからにすべきだった、ような。
「あの、どうかなさいました、か……?」
「……いや、何でも無い」
……ノエルの何処か不安げな声に、そんな考えを振り払う。
もう話を持ちかけてしまった時点で、後悔しても遅いのだ。
何、もし相手が余りにも舐めた真似――俺たちに危害を加えるような事をしようものなら、それこそ倒してしまえば良いだけの話。
そんな風に頭を切り替えれば、俺はドアノブに手をかけて、ゆっくりと回し――扉を、開いた。
中から香るのは、香水か、或いは香料か何かだろうか。
ふわりと漂う甘い香りに目を細めつつ、俺は部屋に一歩、二歩と足を踏み入れて、エルドラドの姿を探す。
耳を澄ませば、部屋の奥から水音が鳴っており――ああ、成程、湯浴みでもしているのか、と。
……正直人を呼んどいてそれはどうなんだ、と思いつつ。
俺もルシエラも少し呆れたように互いに顔を見合わせながら、適当な椅子に腰掛けようとして――
「――ああ、来ましたのね。此方へどうぞ、入ってらっしゃいな」
「……ん?」
――そんな唐突な、エルドラドの誘いに眉をひそめながら、首を捻ってしまった。
一体何処の世界に、呼んだ客と一緒に湯浴みするやつが居るというのか。
「ほらノエル。さっさと二人を案内なさいな」
「は、はい、ただいま――!」
『……本当に、あの小娘を誘うのか?』
「ま、まあ、ほら。丁度今日はまだ湯浴みもしてなかったし……」
ノエルがエルドラドの声に頷いて、俺たちを浴室へと案内しようとするのを見れば、ルシエラは心底呆れた様子で言葉を口にしつつ。
……俺も今度こそ、やっぱり早まったかな、なんて思いつつも。
ノエルが懸命に俺たちを案内するのを見れば、無下に断るのも気が引けてしまい――……
「随分と手間取りましたのね。そんなに難しい服なんて着てたかしら?」
『戯け。何処の世界に客を浴室に入れと促す阿呆が居るというのじゃ』
……結局。
若干の抵抗は感じつつも、俺もルシエラも促されるままに服を脱げば、ノエルにあずけて。
何やらノエルは顔を真っ赤にしていたような気がするけど――まあ、それはさておいて、漸くエルドラドと対面する事ができた。全裸で。
不思議そうな顔をしていた辺り、エルドラドは特に何かを企んでいた訳ではなかったらしく。
その身体を惜しげもなく晒すようにしながら俺たちを湯船の中で出迎えれば、パチン、と軽く指を鳴らしてみせた。
「し、しつれいしましゅ」
「お身体を、洗わせていただきますわぁんっ」
『ぬ……』
「いや、自分でやるから――」
「遠慮しないで構いませんわ。その辺りはちゃんと出来るように躾けましたから」
部屋の隅で固まっていたのだろう。
昼間に見かけた、エルドラドの奴隷達――不幸にも彼女に手を出した冒険者の成れの果て――が、俺とルシエラにそれぞれ寄り添って。
俺もルシエラもそれを断ろうとしたけれど。
エルドラドはどうやらそんな俺たちの様子を気にする事も無く――或いは気づいていないのかも知れないが、奴隷たちに指示を出すように指を再び鳴らした。
『……下手な事をしたら肉片になると思えよ、貴様ら』
「ひ、ひぃっ!わ、わかりまち、たぁっ」
「やらないとは思うけど、変な事すんなよ」
「当然ですわぁん。エルドラド様のお客様にそんな事をしたら、どうなるか判りませんものぉん」
俺もルシエラも、仕方なく、呆れたようにため息を吐き出しながら椅子に腰掛ければ、奴隷たちはおっかなびっくりと言った様子で桶に湯を組んで、俺たちの身体を流し、洗い始める。
見てみれば、奴隷たちは皆あの布地こそ脱いでは居たものの、身体には彼女……いや彼?を辱めるような金の装飾品がついていて。
そう言えば、俺もあの時こんな格好をさせられたっけか、なんて――
「おかゆい所は、ありましぇんかっ」
『無い。さっさとせんか』
「とってもご立派ですわぁん」
「……ぶん殴るぞ」
――顔を熱くしながらも、思い出したことを、そして奴隷たちのお世辞を振り払いつつ。
全身……指先から肩、腋、それにお腹。
足を持ち上げられれば、そこもつま先から付け根まで手のひらで丁寧に洗われると、やはり心地よく。
『――下手でなくて良かったのう』
「ふ、ふええぇ……っ」
「あ、ふ……」
「気持ちよくなってもらったみたいで、良かったですわぁん」
そのまま顔や頭を洗われて、無駄に大きな胸も――特に意地悪される事もなく、持ち上げられながら谷間やら、下の方やらまで丁寧に洗われれば、俺はすっかり脱力してしまっていた。
そんな俺の様子に、奴隷たちは何処か安心したように小さく息を漏らしながら、浴場の隅へと戻っていく。
恐らくはそこが定位置か何かなのだろう、まあ僅かに同情や哀れみは浮かびはするが――ノエルからあの奴隷たちがしようとしていた事は聞いているし、仕方のない事だろう。
「さ、それじゃあゆっくりとお話致しましょうか。一糸纏わぬこの場所であれば、互いに着飾る事も無く話し合えるでしょう?」
エルドラドはと言えば、そんな俺達の様子をにんまりと――私の奴隷は凄いでしょう?とでも言いたげな顔で――見つめていて。
そんな判るような、やっぱり良く判らないような理屈を口にすれば、俺たちを湯船に手招きしてきた。
……ああ、うん、何となく判った。
エルドラドは……少なくとも今のエルドラドは、何というかこう、奸計を巡らせるタイプじゃあなくて。
ただ、自分の持ち物を誰かに自慢したいと言ったような、子供じみた感性の持ち主なのだ。
『……全く、小娘が。ほれ、立てるかエルちゃん?』
「当たり前だろ……っと」
ルシエラから見れば、魔性の武器はどれであれど小娘、小僧、若造であったものの。
そういう意味じゃあなくてこういう事だったのか、なんて変な所で感心しながら立ち上がれば、まだ少しふわふわとした感覚が残っていたからか。
胸元でだぷんっ、と重たく弾んだそれに、俺は思わずよろけてしまって。
「――くすっ。足元には気をつけてくださいな?」
『怪我をせんようにの、エルちゃん』
「~~~~……っ、う、うるさいなっ」
……エルドラドにそれを意地悪く笑われてしまえば。
ルシエラのからかうようで、少し気遣うような言葉も合わさって、顔を熱く、熱くしながらも。
俺とルシエラは並んで――軽く手を繋いで歩きながら、ゆっくりと湯船に浸かったのだった。




