19.見えない道標
「――……」
夜。
ベッドの上で枕に顔を埋めながら、うつ伏せになる。
むぎゅう、と体の下で潰れる柔らかな、そして無駄に大きな膨らみが気になるけれど、今はそれ以上に気持ちが沈み込んでいた。
昼間に聞いた、魔王という存在が対話など不可能だという六魔将二人からの言葉を思い返すと、それだけで憂鬱な気分になってしまう。
現状、俺をこんな身体にしやがったクソ女につながっていたかも知れない唯一で無二の手がかり。
それを失ってしまった俺は、これからどうしたものかと頭を悩ませて――
「……くそっ」
――悩ませた所で、何かを思いつく事もなく。
ぽふん、と拳を枕に力なく叩きつければ、俺は胸に溜まっていたもやもやを吐き出すように、大きくため息をついた。
『そんな風にした所で何も変わらんじゃろう。まあ、確かに癪じゃが』
ごろん、と仰向けに転がった俺の頭を、人型になったルシエラが優しく撫でる。
「判ってる……つもり、なんだがなぁ」
そう、ルシエラの言う通りこんな事に意味なんて有りはしない。
ただ時間を無為にしているだけだし、こんな事をしているくらいならアルケミラと特訓をしていた方が数倍有意義なのだ。
……因みに当のアルケミラはと言えば、まだ部屋には戻っていない。
というか、俺が夕食を食べる気分にならずに部屋で一人ぐったりしている、というだけなのだけど。
……しかし、本当に道を見失ってしまったような気分だ。
ずっとクソ女に復讐する為に、俺は旅を続けていたというのに。
やっと見つけたと思った世界の差異、共通点――もしかしたらあの女につながっているかも知れないという糸は、ぷっつりと絶たれてしまった。
振り出しに戻っただけではあるのだけど、暫くは魔王に会って話す事を楽しみにしていたものだから、どうにもがっくり来てしまう。
『この際、あの女の事など忘れて面白おかしく暮らすのはどうじゃ?今の面々ならばそれなり楽しいじゃろ』
「……そう、だなぁ」
ルシエラの言葉に軽く返しながら、そんな未来を思い浮かべる。
リリエルとアミラ、クラリッサ――はアルケミラの部下だから難しいかもしれないが。
そういった連中とぶらぶらと宛もなく旅を続けながら、戦いたいときに戦い、食いたい時に喰う、そんな自由気ままな日々も悪くないのかもしれない。
薄ぼんやりと、最早遠い過去のようにさえ感じる――俺がこの身体になる以前のことを、思い返す。
あの日々も丁度、そんな感じだったような気がする。
リリエルやアミラ達程に気にいるような連中は居なかったけれど――
――いや、居たとしても俺がそれに気を向けるような事は、無かったけれど。
あれはあれで、空虚ながらもそれなりな日々ではあった。
好き放題に過ごし、勝手に魔王という蔑称で呼ばれ、俺を殺そうとする国との戦いに明け暮れて。
そして、最後はあの少年に、殺された。
今でもあれを超える程の高揚感はない。
似たような物はあれど、決してあの瞬間を、あの昂りを超える事はない。
「――やっぱ、駄目だ」
――だからこそ、許せない。
だからこそ、俺はあの女を憎まずには居られない。
あの昂りを、高揚感を、その全てを台無しにしたあの女だけは――……!!
『ふん。全く強情だの――だが、それが良い所か』
俺の呟きにルシエラは可笑しそうに笑いながら、優しく俺の頭を撫でてくる。
それが心地よくて、俺は軽く目を細めつつ――であるならどうするべきか、と再び思考を巡らせた。
手がかりは、もう無い。
魔王と出会ったならば、その瞬間に殺し合いが始まってしまうというのも恐らく嘘ではない。
結局の所、後はもう適当に手当り次第――……
「……ん」
……いや、待て。
そうだ、確か――そう、思い出した。
あの女が出てきたタイミングは、そう、俺が死ぬ直前だったはずだ。
あの少年との戦いに介入してきた訳ではなく、俺が死ぬ寸前まで弱ってからやっと干渉してきたという事実。
――確かにあの女はその状態でやっと干渉出来た、と口にしていた。
ならば、あの状況を再現することであの女を再び目の前に呼び出す事が出来るんじゃあないか――?
「――はっ」
『何じゃ、どうかしたのか?』
「ははっ、ははは――ああ、いや。因果なモンだと思ってな」
それは、つまり。
今度は俺があの少年の立場に立って――魔王を殺さなければならない、という事。
負ける側では駄目なのだ。
勝利する側になって初めて――あの女と遭遇した時に、復讐を果たす事ができるのだから。
無論、こんなものは希望的観測でしかないけれど。
それでも、何も手がかりが無いよりは余程良い。
――何より、俺にはこれ以上無いほどにうってつけで、楽しいやり方じゃあないか。
「只今戻りました。今夜は――」
そこまで考えて。
不意に開いた扉の方に視線を向ければ、そこに立っていたのはアルケミラだった。
アルケミラは俺の顔を見れば、キョトンとしつつも何処か嬉しそうに微笑んで。
「――おや、もう泣き止んでいたのですね。てっきりまだ沈み込んだままかと」
「ばっ、馬鹿にすんな、泣いてないっての……っ」
『くく、どうだかのう。まあともあれ、もういつものエルトリスじゃな』
からかうようなその言葉に、俺は顔を熱くしながら――ぐう、と軽くなったお腹に、むぅ、と軽く唸りつつ。
アルケミラはそんな俺の様子にくす、と軽く笑みを零せば、夕食の一部を持って帰ってきたのだろう、俺にパンを一切れ、二切れ差し出してきた。
『おお、気が利くではないか』
「空腹の状態でいるのはよく有りませんからね。食事をしたら今晩も始めるとしましょうか」
「ん……あむ。悪い、助かった」
「ふふ、どういたしまして」
持ってきてもらったパンを口にしつつ、水を飲んで。
そうして、準備を終えれば――俺は今夜も、アルケミラとの特訓に明け暮れた。
結果としては割と散々ではあったけれど、日に日にアルケミラに与えられた手傷自体は増えている、ような気がして。
そんな俺を、アルケミラは酷く愉しそうな――たまらないと言ったような顔で、一晩中甚振り続けていた。




