15.感情の色
膝の上のもふもふを撫でながら、小さく息を漏らす。
……一体どうしてこんな事になってしまったのか。
夜になれば始まる地獄に備えてのんびりと疲れをとったり、癒やされたりするはずだった時間は、何故だかまるで真逆の時間へと変わりつつ有った。
「――成程、大変な日々を過ごされているのですね」
「そうだねっ☆あーあ、どこかの誰かが渡航禁止令でも出してくれればいいのになっ☆」
「……」
「……敵意や殺意は、無いようですから」
『そういうのが有ったほうが、いっそ解りやすくて良かったかもしれんのう』
アルケミラとメガデスが笑顔で話し合う度に、何とも言えない空気が場を支配する。
周囲から見ている店員や他の客からは、どうにも綺麗所のお茶会のように見えているらしく、羨ましそうな視線さえ向けている者が居たりするのだが、いっその事席を譲ってしまいたい。
針の筵というのを産まれて初めて経験しつつ、俺は膝の上に乗せているもふもふに癒やされながら、小さく息を吐き出せば。
不意に、アルケミラとギスギス――ではないけれど、何とも言えない会話を続けていたメガデスが、俺の方に視線を向けてきた。
「んー……」
「……何だよ」
じぃっと、観察するように俺の顔を、そして体の方を睨め回せば、メガデスは軽く目を細めながら小さく唸って。
そうやって、一頻り悩んでいるような素振りをみせれば――
「……この子の服装は、誰が選んだのかなっ☆もしかしてメイドさん?」
「ん、ぁ?」
「いえ、エルトリス様は自分で選んで――」
「――ダメダメのダメっ☆折角の素材が台無しだよっ☆」
――唐突に、そんなちょっと失礼な事を口にしてきた。
メガデスの言葉に俺は自分の体の方に視線を下ろすけれど、そこにあるのは別段変な事はない、いつもどおりの格好だ。
普段と何ら変わらない、動きやすさを重視した白と緑を基調とした軽装の服。
最初はコレでさえ恥ずかしかったけれど、今ではすっかり慣れてしまった。
「この子、ちょっと借りるねっ☆」
「んな……っ、おい、何のつもりだっ!?」
「良いから良いからっ☆」
『……変な事をしようとしたら私が助けてやるから安心せい。悪戯とか、悪意とか、そういうのではなさそうじゃ』
「ぐ……」
有無を言わさぬメガデスの様子に、俺も流石に抵抗しようとするけれど。
ルシエラからの言葉と――そして何より、声を少し荒げた俺に集まる視線に、確かにここで一悶着起こすのは余り宜しくないか、と。
仕方なく膝の上からもふもふを下ろせば、俺はメガデスに軽く手を引かれるようにしながら、店の奥へと連れられていった。
「――大丈夫、でしょうか」
「大丈夫でしょう。彼女は警戒こそすれ、此方に敵意は向けていませんでしたから――」
「取り敢えずそこに立ってっ☆」
「え」
「いいからいいから、お姉さんにまかせてっ☆」
店の奥。
更衣室か何かなのか、鏡の置かれている台の前に立たされれば、メガデスは鏡に映る俺を見ながらうんうんと頷いた。
……何だろう。
可愛らしい声色や口調とは裏腹に、何というか有無を言わさぬ圧があるというか。
強弱とは別の所にある圧力に、俺はむぅ、と小さく唸りながらも不思議と抵抗する気にはなれず。
「先ず色合いがダメっ☆キミは抜群に可愛いんだから、ちゃんとそれを活かさなきゃっ☆」
『あーそれは同意じゃのう。エルちゃんにはもっと日頃から可愛い格好をして欲しいんじゃが』
「てめ……っ」
どっちの味方か解らない言葉を口走るルシエラに、俺は思わず声を上げそうになりながら。
しかし恐らく、俺にしか聞こえないように話しているのだろう。
鼻歌交じりに服を選ぶメガデスを見れば、俺は既のところでそれを抑え込んだ。
「というわけで――これなんてどうかなっ☆」
メガデスが選んだのは、赤と白を基調とした――何と言えば良いんだろうか、独特な服。
胸元には宝石らしいもので彩られた赤いリボンが添えられており、肩口は大胆に切り取られていて。
腕はしっかりと厚手の白い布地で守られている、普段着としては些か物々しいというか、何というか――
「キミは、結構戦ったりしちゃう子でしょ?でもオシャレにはちゃんと気を使わないとダメだぞっ☆実用性とオシャレは両立しなきゃね☆」
「――……」
――そう、決して。
メガデスが俺に用意した服は、決して俺を辱めるだとか、ただただ可愛らしいだけのものでは、断じてなかった。
肩口が切り取られているのも、露出こそ増えたけれど動かしやすくもあるし。
……スカートが以前よりも短くなっているのは恥ずかしい、けれど。
膝上まで丈が詰められているのは恥ずかしい反面、やはり動きやすく――そんなスカートの裾には、可愛らしいレースがあしらわれていて。
……おかしい。
いや、そういう意図であるなら有り難いっちゃ有り難いけれど――……
「……何で、判る?」
「ん?」
「どうして、俺がそういうのだって判るんだ」
……そう、そうなのだ。
確かにルシエラを携えていたりするから、多少はそういうのに見える可能性はあるのだけれど。
メガデスが選んだ服は、まるで俺の戦い方を知っているかのようにお誂え向きで。
以前着ていた服よりも明らかに動きやすく、戦いやすくなるように選ぶなんて事、それこそ俺と一緒に居たリリエル達くらいしか出来なさそうなものなのに。
しかしメガデスは、俺の言葉ににっこりと微笑めば――俺の顔を鏡の方に向けさせつつ、とん、と肩の上に顎を置いて。
「――そりゃあ、テメェが魔族なんざ連れて来てるからだよ」
『っ、この女――ッ!』
――今までの甘ったるい口調や声色はどこへやら。
恐らくはこちらが素か何かなのだろう、メガデスは少しドスの効いた声で、そんな言葉を口にしてきた。
メガデスは理解していたのだ。
先程言葉をかわしていた相手が魔族である事も、俺やリリエルがその相手を魔族と理解している事も。
「はっ。心配すんな、悪意も何も無いならテメェらは立派な客だ。何もしやしねぇよ。だからそっちの魔剣も落ち着け」
『……ぬ、ぅ』
「……解らないな。悪意も何も無い、なんてどうして分かる」
だからこそ、解らない。
メガデスは言わずと知れた英傑の一人であり、恐らくは日々魔族を殺しているような手合だ。
そんな奴が、どうして店の中で堂々としている魔族に対して何もしないのか。
しかしメガデスは、そんな俺の言葉を鼻で笑えば――
「そりゃあ、見れば判るからだよ。私には相手の感情が色で見えんのさ」
「色……?」
――そう言って、俺の頭をぽんぽん、と優しく撫でてきた。
「そう。例えば今のテメェは警戒の黄色――さっきまでは可愛らしい桃色だったのになぁ」
『桃色……ぷっ、くくっ、エルちゃんが桃色か』
「……っ!」
メガデスの言葉に、そしてルシエラの少し抑えた笑い声に、俺は顔を熱くしてしまった。
……つまり、メガデスは相手の感情が表情を通じてではなく、色として理解できてしまう、ということで。
俺が先程少し恥ずかしがっていたのとか、もふもふで癒やされていたこととか、そういったのも全部筒抜けだった訳で――そう思ってしまうと、恥ずかしくなってしまう。
「くくっ、ほーらまた可愛い桃色だ。こんな可愛い奴にはちゃんと見合った格好を教示してやらねぇとな――さ、それじゃあ着替えとお化粧もしちゃおうねっ☆」
「え――け、化粧!?いや、それは……!!」
『くく、まあいい機会じゃろ。私は教えられんし、しっかりと教えてもらうと良い』
メガデスはそんな事を言いながら、今度こそ俺の服を全て脱がしてしまえば。
一体如何なる手管なのか、次々と先ほど選んだ服を俺の身体に合わせて、着せていって――
「――むぅ。すっごいお胸だねっ☆ちょっと合わせるのが大変そうっ☆」
「そ、そんな事一々言うな……っ!!」
――メガデスは、極一部に苦戦しつつも。
まるで俺の感情の色を楽しむようにしながら――鏡に映る俺の姿は、見る見るうちに別物のように変わっていって。
俺はそれを恥ずかしく思いつつも、なぜだか別の感情も抱いてしまいそうになっていた。




