11.そして、彼女は微笑んだ
巨大な指先が、風を切る。
素肌を晒したままの身体を叩きつけるような暴風が襲うけれど、既の所で踏みとどまりながら、俺は目の前の白い巨人――アルケミラから距離を取った。
夜。
今度こそちゃんとお手洗いとかをしっかり済ませた後、俺は再びアルケミラと対峙していた。
あの時は特に意識することも無かったけれど、どうやらアルケミラが俺をこの姿に――というよりは、この形に俺の意識を移すには幾つかの条件があるらしい。
一つは、俺の体の一部を創生の水と混ぜる事。
もう一つは、恐らくは距離。
同室を望んだのはまあ、コミュニケーションのとりやすさというのもあるのだろうけれど、この能力の射程に起因している――ような、気がしてならない。
それはそれとして、そもそもまだ創生の水がどういうモノなのかもよく判ってはいない、が……おおよその検討を付ける事だけは出来た。
「……っ!」
「ほら、どうしました?動きが鈍っていますよ」
『ええい、少しは容赦をせんか、このデカブツが――!!』
軽く薙ぎ払われた平手を既の所で躱し――否、躱しきれずに身体を掠める。
ただそれだけで、俺の軽い身体はぐるん、と宙を舞いながら。
危うくベッドに叩きつけられそうになる寸前で、体勢を立て直せば……俺は荒く、荒く息を吐き出した。
どくん、どくん、と胸の内側にうるさいくらいに脈打つものを感じる。
胸の内側は荒れて、痛み――そう、この身体は間違いなく生きていた。
つまりは、そういう能力なのだろう。
生命の創造、およびそれに関係する能力。
アリスのように既存の存在を歪める訳ではないけれど、それを抜きにしたって化け物じみた力としか、言いようがない。
「……ちっ」
……それは、いい。
強い相手と相対するのは、それと戦う事に価値があるのは判っている。
だから、この舌打ちは別にアルケミラに対して漏らしたものでもなければ、ルシエラに漏らしたものでもない。
これは未だ、アルケミラにその能力をろくに使わせる事さえ出来ていない、俺自身への苛立ちだ。
この姿にされた後、未だにベッドに腰掛けたままのアルケミラを立ち上がらせる事さえ出来ていないなんて、なんて情けない。
「――……」
思考を巡らせる。
迫る指先を、足裏を躱しながら、思考する。
膂力では叶わない。
余りにも大きさに、質量に差が有りすぎる。
速度で敵うかどうかも危うい。
アルケミラ自身は別段、弱体化した訳でも何でも無いのだ。
少なくとも今のままでは、勝ち目なんて微塵もない。
文字通り蟻と巨人の戦いでしかないこの状況を打破するには、何か――新しい何かが、要る。
――一瞬、動きが鈍った彼女を見て僅かに落胆しました。
いえ、実際人間としては驚異的と言える能力だとは思います。
私の掌程度のサイズにされているというのに、彼女は私の手から、指先から、足から辛うじてとは言えど逃れているのですから。
私の配下に訓練を積ませる際に同じことをした時は、大半は相手のあまりの巨きさに圧倒されるばかりで対応出来ず、いきなり踏み潰されるわ握り潰されるわで、経験を積むどころの話では有りませんでしたし。
アシュタールやイルミナス、クラリッサはそれでも対応していましたが、彼女の対応力はそれよりも僅かに上回っていると言えました。
ですが、それだけです。
現状に対応し、適応し、動く。
ただそれだけでは、私を打倒するに至る事はできない。
……まあ、今までこの形で訓練をしてそう出来た者自体――いえ、そういった発想が出来た者自体が居なかったのですから、むべなるかな。
クラリッサ達も対応こそ出来はすれど、時間内を生き残るといった形でしか結果を残す事は出来ていませんでしたし。
少し、ほんの少し期待しすぎていたのかもしれません。
矮小な身でありながら、かのアルルーナの分身を倒したという彼女に。
矮小な身でありながら、強さを纏っている――そんな矛盾、二律背反を成立させている彼女に。
「――そら、掴まえてしまいますよ?」
動きが鈍った彼女に向けて、手を伸ばす。
まあ、それはそれで――アシュタール達と同じくらいまで伸びると考えるなら、決して悪い事では無いのでしょう。
彼女の仲間である魔刀使い、魔弓使いも人間の水準からすれば逸脱した強さを持っていますし、ええ、欲を掻きすぎていたのかもしれません。
私はそんな事を考えつつ、彼女に左右から手を伸ばし――
――刹那。
伸ばしたその手が、半ばから千切れて弾けたのを見て、私の思考は停止しました。
この身体を構成している創生の水が飛び散り、弾け。
痛みを感じるよりも早く、白い肉片を、体液を弾くようにして飛び出した小さな姿を見れば――私は、口元をつい、緩めてしまいます。
だって、黒い塊……鎖でしょうか、それを体躯に見合わぬ程の大きな形にして、私の顔へと振りかぶっているエルトリスの表情には、明確な殺意が籠もっていて。
彼女には私を殺す意思がある――打倒する意思があるのだと、判ったのが余りにも、余りにも嬉しかったものですから。
「――ふふっ」
「っ、チ、ィ――ッ!?」
なので、私も一切の遠慮無く。
殺意を込めてきた彼女に向けて、容赦なく残った手の残骸を、上から思い切り叩きつけました。
まるで小虫を叩き潰すかのように振り下ろしたそれに、彼女は反応はしていましたが、逃れる事は敵わず、ベッドに叩きつけられて。
しかしそれでも、彼女の殺意は、戦意はまるで萎える事無く私に向けられて――それが、私には堪らなく喜ばしく。
「……っ、か、はっ」
「ええ、そうでなくては。やはり貴女は面白い」
ベッドに叩きつけられて、肺の中の空気をすべて吐き出して悶絶する彼女を見下ろしながら、私はそう口にすれば――わざと、彼女に見せつけるように千切れ、壊れ果てた両手をどろり、ずるり、と粘土をこね直すようにして直してみせました。
普通であれば、全身全霊を込めてようやく付けた傷らしい傷が消えてしまえば、戦意は折れて、萎えてしまうものですが――
「は――はっ」
『その涼しい顔を、いつまでしていられるか見ものじゃな――!』
――ああ、いい。
とても、とても良い。やはり、彼女は――この二人はどうあっても、欲しい。
故に、先程までの考えを私は捨てることにしました。
もっと見たい。
もっと彼女が強くなる所を見たい。
もっとエルトリスがその矮小な身を羽撃かせるその姿を見ていたい。
「――良い顔するじゃあねぇか」
苦悶の中に居る筈の彼女から、そんな言葉を口にされれば私はそうでしょうか、なんて白々しく応えつつ。
より容赦なく、より苛烈に。
ええ、それこそエルトリスが容易く死んでしまうのではないかという攻撃を、彼女に放っていって。
……不思議と、今まで見つけてきた逸材達のように、彼女が途中で壊れる事はないだろうと、私は確信していました。




