10.少女たちの公国観光
翌日。
今度は朝からなにかトラブルが有ったわけでも無く――無論、宿の前で集まったリリエル達は酷く疲れた顔をしていたものの。
お互い、もう既に何をされたのかは理解しているからか。
それを互いに問いただすような事は一切せずに、俺達は改めて公国の街並みを歩き始めた。
あいも変わらず目的が有るわけではない。
あえて言うのであれば、また訪れる有る種地獄のような夜を万全で迎えられるよう、しっかりと疲れをとってリフレッシュする事、くらいだろうか。
『む。あれは中々に美味そうじゃな』
「あーはいはい。判った判っ――」
ルシエラが何やら食べ物の匂いでも嗅ぎつけたのか、足を止める。
いつものことか、と苦笑しながら俺は袋から金を出そうとして――その指に感じる感触が、ふと寂しい事に気がついた。
袋を覗き込めば、そこに有るのは金貨が数枚。
それ未満はリリエルに管理してもらっているから、実際はもうちょっと手持ちはあるのだけれど……
『何じゃ、どうした?』
「――ん。や、取り敢えず行ってきていいぞ」
……取り敢えずルシエラにお金を渡しつつ、小さく息を漏らす。
そう言えば、よくよく考えれば当たり前だ。
ここ最近、というか……クロスロウドを出てしばらく、まるで金を稼ぐといった真似はしてこなかったのだから、そりゃあ金も尽きる。
一応まだ多少あるとは言えど、一時期持っていた量を考えれば今の手持ちは余りにも心もとない。
となれば――
「アルケミラ、今日は行く所をこっちが決めても良いか?」
「無論、構いませんよ。私は観光のようなものですし」
一応、アルケミラに了承をとってから。
ルシエラが串焼きらしいものを両手に戻ってきたのを見てから、歩き出す。
幸いというべきか、街の所々にある道案内に、目的の場所の名前がしっかりと記されており、俺達は特に迷うこともなくその場所にたどり着くことが出来た。
……よく考えたら、来るのは本当に久しぶりな気がする。
俺は冒険者ギルドの前に立てば、ほんの少し懐かしささえ覚えながら、はふ、と小さく息を漏らして。
「ふむ。何か依頼でもこなすのか?」
「ああ、出来れば賞金首なんかあれば。ひとっ走りすれば――まだ昼前だし、夕方くらいには戻れるだろ」
「畏まりました。少し見てまいりますね、エルトリス様」
リリエルにああ、と短く返しつつ、冒険者ギルドの近くに腰掛ければ。
俺達の行動が不思議だったのか、アルケミラもアリスも何処か興味深そうな顔をして、俺の両隣に腰掛けてきた。
「エルトリス、ここはどういった施設なのですか?」
「ん、ああ。冒険者ギルドってな、仕事みたいなのを斡旋する場所みたいなもんだ」
「正確には、面倒事を集積してそれを解決できる人間に投げる場所、ね。脆弱な人間らしい施設だわ」
「――お友達が欲しいとか書いたら、来てくれるのかしら?」
「……いえ、それはちょっと」
アリスの言葉にクラリッサは視線をそらしつつ。
俺とクラリッサの言葉にふむふむ、とアルケミラは納得したかのように頷けば、冒険者ギルドを上から下までを軽く睨め回して。
「適材適所、ですか。考え方は悪くはありませんが――弱者に強者が使われる場所でも、ある」
そして、感情の抜け落ちたような、酷く無感情な声を口にした。
別に、冒険者ギルドに対して何かをする訳ではない。
ただ、恐らくアルケミラの考え方に合うような場所ではなかったのだろう。
一瞬、ほんの一瞬だけ周囲の空気がひんやりと凍てついて――
「――上から、下へ投げる形にすれば悪くない物になるかもしれませんね。うん、一度考えてみるとしましょう」
――しかし、直ぐにその空気は嘘のように収まった。
自分の言葉に自分で答えを返すようにしつつ、うんうん、とアルケミラは小さく頷けば、淡く笑みを浮かべ。
「アルケミラちゃんは、相変わらずがんばり屋さんだねー」
「こうして人の側に来る事は滅多に有りませんからね。こういった機会に、色々と見ておかなければ」
アリスはそんなアルケミラをどこか微笑ましげに眺めつつ。
アルケミラはアリスの言葉に少しくすぐったそうにしながら、笑みで返せば――ああ、そう言えばそうか。
アリスとアルケミラは、友人関係だったか、なんて今更ながらに思い出してしまった。
俺よりもおそらくはきっとずっと、古い、旧い友人。
そんな関係の二人を見るのは、何故だか少し微笑ましく。
「やはり、こうして此方側に来るのは珍しい事なのか?」
「ええ。私もですが、アリスもこうして此方――人の世界に足を踏み入れるなんて言うのは、本当に稀有な事です」
「こっちに来る用事なんて殆どなかったもの。今はエルちゃんが居るから、結構行き来してるけれど♥」
『……六魔将がホイホイと行き来してる事が知れ渡ったら、大混乱じゃろうな』
「木っ端魔族が来ただけで大騒ぎなんだから、返って嘘扱いされるんじゃないかしら」
そんな事を話しながら、暫くすればリリエルが冒険者ギルドから戻ってきた。
その手には紙が一枚。
恐らくは賞金首について書かれている手配書か何かなのだろう。
特に問題を起こすこともなく、ちゃんと戻ってきたリリエルに感心しながら、俺は立ち上がって――
「――テメェこのクソメイド!!待ちやがれ!!」
――直ぐにその考えを撤回した。
冒険者ギルドからは、後を追うようにガラの悪い――顔に朱がさした酔っ払い達が出てくれば、リリエルを取り囲んで。
見れば、その内の何人かは腕が白く、白く凍りついており。
痛覚さえなくなり、亀裂が入った腕を抑えるようにしながら、血走った視線をリリエルに――そして、リリエルの仲間とでも判断したのか、俺達に向けてきた。
「……何をしたんだ、リリエル?」
「いえ。手配書を調べていた所、絡まれまして……余りにしつこかったので、こう」
『ちょっと手足を凍らせたくらいで大げさだわ。直ぐに溶かせば大丈夫なのに』
アミラの問いかけにしれっとそう答える、リリエルとワタツミに小さく息を漏らす。
……そう言えば、よく考えたらリリエルは最初からこういう手合には容赦なかったっけ。
普段ならまあ、俺も別に気にはしないんだが……今は同行者が同行者。
アルケミラやアリスにこいつらが絡んだ場合、余波でどうなるか判ったものじゃないってのに。
そんな俺の心配など露知らず、酔っ払い達はリリエルだけではなくアミラに――は、強者の気配というか、外見で少し強そうだと悟ったからか。
俺とアリス、それにアルケミラの方へと近づけば、何ともいやらしい視線を此方に向けてきた。
「へへ、メイドの不始末は主の不始末、だよなぁ」
「お嬢ちゃん達の従者か何かなんだろ?詫びをしてもらわなきゃあ」
「……コレは、何を言っているのでしょうか?」
「リリエルちゃんは、私のメイドじゃないんだけど……?」
「あー……」
何という命知らずか。
俺とアリスとアルケミラを、良いところのお嬢様とでも勘違いしたのかはわからないが、俺達に近づいた酔っ払い達は、牽制するかのようにリリエルとアミラに視線を向けて。
いかにも、手を出したらこのお嬢ちゃん達がどうなっても知らねぇぞ、と言わんばかりの態度を見せつつ――その、余りにも滑稽な姿に、アルケミラの従者であるクラリッサでさえも呆気にとられてしまっていた。
『……どうやら、人質のつもりらしいぞ?とんでもない阿呆じゃな、こやつら』
「人質?誰が、誰の?」
「……多分ですが、その。アルケミラ様を、そうしているのかと」
まだ状況が飲み込めていないアルケミラは、キョトンとした様子で首をひねりつつ。
そして、クラリッサの言葉を聞けば、ようやく事態を理解したのだろう。
……アリスは相変わらず不思議そうに首を傾げていたのは、まあおいておいて。
「へへ、安心しろよ。ちゃんと誠意を見せてくれれば俺達だって――」
アルケミラは、男達の様子に、ああ、と何かを納得したかのように小さく頷けば。
「――這い蹲りなさい」
ただ静かに、小さく。
呆れたような声色で、そう呟いた。
「へっ」
「ひゅっ」
アルケミラがしたことと言えば、ただそれだけ。
刹那、凍えるような冷気が場を支配したような感覚こそあったが、俺もリリエルもアミラも、そしてクラリッサもそれに動じる事はなく。
ただ、それだけの事が酔っ払い達には何か、致命的だったのか。
短く息を切らせながら、ぺしゃん、とその場に這いつくばるように――地面のシミにでもなるかのようにべったりと伏せれば、アルケミラは特にそれに興味を示す事さえ無く。
「それでは行きましょうか、エルトリス。賞金首とやらに興味があります」
「あ、ああ」
「あ、ずるい!私も、私も行くっ!」
『ええい待たんか三人とも――すまんリリエル、後の始末は頼めるかの?』
「お任せ下さい。いらぬ心配かと思いますが、お気をつけて」
そのまま、アルケミラに軽く手をひかれれば。
俺はアルケミラとアリス、そしてルシエラと共に手配書に書かれていた場所へと向かった。
その後のことは、言うまでもない。
特に賞金首に苦労することもなく、手早く片付けてしまえば俺は賞金首を金貨袋と交換し。
俺が人魔合一を扱おうが、息を切らす事はおろか振り切られる事も無く、平然としているアルケミラ達はそれを興味深そうに、楽しそうに眺めていた。
――そして、またアルケミラとの夜が、訪れる。




