9.近すぎて、見えないもの
「――っ、はぁ、はぁ……っ、ひゅー……っ」
息が、荒れる。
一体何分、或いは何時間、おもちゃ達との鬼ごっこは続いているのだろう。
一時間か二時間か、或いはまだ一時間すら経っていないのかも、もう解らない。
始めの内は、問題はなかった。
人魔合一によって動かせるようになった手足が、俺が思うよりも動いてくれたお陰で、問題なくおもちゃ達から逃れる事が出来たのだ。
おもちゃ達の動きはその外見からは想像も出来ないほどに機敏で――若干コミカルではあるが――気を抜いたなら、直ぐに掴まってしまいそうだったけれど。
それでも、俺はこの身体でも大丈夫だ、ちゃんとやれると思っていた。
それが崩れたのは、一体どの程度時間が過ぎた頃だっただろうか。
「は、ひゅ……っ、ひゅーっ、ひゅー……っ」
『大丈夫かエルトリス、来るぞ――!』
「……っ、く、ちょぉ……っ」
身体が、きつい。
元の体――あの弱い身体よりも更に輪をかけて弱いこの身体は、瞬く間に体力が尽きてしまった。
力が入るようになった筈の手足は鉛のように重く、肺は今にも破裂しそうなくらいに痛く。
それとは対象的に、おもちゃ達は疲れなど微塵もなく俺を追いかけて、きて。
伸ばされた手から身体を翻しながら、俺は何とか距離を取ろうと床を蹴り――
「――ぁ」
――蹴ろうと、して。
かくん、と。
まるで糸が切れた操り人形のように膝が曲がってしまえば、俺はその場にぺたん、と尻もちを付きながら。
そんな状態の俺を、俺達を、おもちゃ達が見逃す筈もなく。
ぴと、と、おもちゃの手が、身体が、俺に触れてしまえば――……
「……ふ、ぇ?」
……刹那、視点が唐突に切り替わる。
疲れ果てて座り込み、おもちゃに囲まれていた筈の俺は、いつの間にかアリスの前で座り込んでいて。
「はい、エルちゃんとルシエラちゃんの負け♥」
『ぬぐ……ぐぬぅ……』
「ん……ぅ……」
アリスは軽くかがみ込むようにすれば、俺の頭を優しくなでながら。
そうされるだけで、不思議と疲れ果てていた筈の身体が癒やされていくのを感じつつも、俺はふと、奇妙な違和感に気がついた。
何か、こう……身体を包んでいる物に、違和感がある、ような。
さっきまでは、縮んで弱くなった身体に合わせるように服も縮んでいたと思うのだけれど――……
「……っ、~~~~っ!?」
……視線を下ろしてみれば、俺はその違和感の正体が何なのかを理解した。
俺が身につけていたのは、先程まで着ていた物とはまるで別物。
ピンク色の、フリルがいっぱいついた――それはそれは、俺から見たって幼稚なデザインの服、で。
そんな服に身を包んでいると思うと、俺は耳まで熱くしながら、声にならない声をあげてしまう。
「えへへ、エルちゃんったら可愛いっ♥」
アリスはそんな俺に心底嬉しそうに笑みを浮かべれば、立ち上がり――再び、ぽんぽん、と虚空からおもちゃを作り出していった。
……いや、待て、ちょっと待って欲しい。
「……っ、あい、しゅ……っ、まら、やうの、あ?」
「ん?うん、だってまだ時間は一杯あるもの」
『これに一体何の意味が有るというのじゃ?鬼ごっこをした所で、エルちゃんに体力がつくわけでもあるまい』
そう、そうなのだ。
アルケミラとの夜はまだ、特訓の意図が理解できた。
圧倒的な強者との死線、死闘を何度も繰り返す事での強制的な力の底上げ――あれに意味があるのは、よく分かる。
俺も今まで強者と何回も何回も戦ってきたのだ、それの効果は俺自身が一番理解している。
でも、アリスとの特訓はその意図がわからない。
小さな赤子にされて、その状態で人魔合一をして、追いかけっこをする。
まあ、その後こんな格好にされたのはアリスの趣味だとかそういうのだろうけども、それは置いておいて――この追いかけっこに何の意味があるのかが、俺には判らなかった。
そんな俺とルシエラの疑問を感じ取ったのか。
アリスはキョトンとした様子で、首を軽くひねり――
「――エルちゃん。さっきは追いかけっこしてどうだった?」
「ふ、ぇ?」
――そして、そんな言葉を投げかけてきた。
疑問に疑問で返されてしまうと、俺は間の抜けた声をあげてしまう。
どうだった、と言われれば……ただ疲れた、としか言いようがない。
慣れない身体でする鬼ごっこは苦痛なほどに難しく、人魔合一をしていても体力など微塵も存在しないこの身体では直ぐに疲労困憊になってしまうし。
「んー……もうとっくに答えは見えてる筈なのに、近すぎて見えてないのかなぁ」
「こた、ぇ……?」
『何じゃ、どういう意味じゃ?謎掛けは正直あまり好かんのじゃが』
「んーん。なぞなぞとかじゃないの、これはもうエルちゃんがたどり着いてる筈の答えだもの。だって、だからこそエルちゃんは今まで戦ってこれたんだから」
アリスの言葉の意味が、解らない。
とっくにたどり着いている。答えは見えている。アリスはそう言っているけれど、俺はそれが一体何なのかが判らなくて。
「――大丈夫、エルちゃんならきっと出来るよ。私、信じてるから」
ただ、アリスは優しく――酷く大人びた声でそう口にすれば。
ぽんぽん、と優しく俺の頭をなでてから、立ち上がった。
「さ、それじゃあまた鬼ごっこしよっか、エルちゃん♥次捕まえたら何を着せちゃおっかなー……」
「……っ、る、るちえりゃっ」
『ぐ――ええい、訳が判らんが、エルちゃんにこれ以上手出しをさせるものか――!!』
――そうして、アリスとの夜は更けていく。
動くことさえ、喋ることさえままならない身体で、おもちゃから逃げて、逃げて。
何時間過ぎたのかも解らない程に、鬼ごっこを何度も何度も繰り返し。
結局、アリスとの……おもちゃとの鬼ごっこが終わったのは、アリスが着せたい物がなくなった頃の事だった。
何を着せられたのか、どんな格好をさせられたのかは、もう思い出したくもない。
思い出すだけで恥ずかしくて、恥ずかしくて、泣きそうになってしまう。
「……すぅ……すぅ……」
「……くそぅ」
隣で穏やかに、静かに寝息をたてるアリスに、小さく呟きながら。
まだ火照ったまま冷めやらぬ頬が早く冷めるように、心を落ち着かせつつ――次のアリスとの夜までに何とかしてみせる、と強く決心して。
……クラリッサ達が異常に疲れた顔をしていた訳だ、と納得しつつ。
俺は眠りに落ちるまでの間、アリスが口にしていた――俺がもう知っている、見えている筈の答えが何なのかを考え続けた。




