8.アリスとの空想遊戯
大浴場でゆっくり身体を温めた後。
アルケミラ達は何やら顔を真っ赤――とは言っても羞恥ではなく、まるでのぼせたよう――にしながら、心地よさそうに外の風を浴びつつ。
俺はその後ろを、ルシエラと軽く手を繋ぎながらのんびりと、宿までの道を歩いていた。
俺も俺で、まだ足腰にうまく力が入らないから、少しフラフラとしてはいたけれど。
少なくとも、湯船に浸かっていた時みたいに、ルシエラに抱いていて貰わないと腰が座らなくて沈みそうになる――みたいな状態ではなくなっていて。
……あの状態が長続きしなかった事に安堵しつつ、俺は小さく息を漏らし。
「――ねえねえ、エルちゃんっ」
「わ、ひゃ……っ、何だアリスか、どうしたんだ?」
耳元でふぅ、と吐息を浴びせられれば、思わず声を上ずらせながらもその声の主に視線を向けた。
アリスは俺の反応に笑みを零しつつ、隣に並ぶようにすれば、軽く手を握って。
「ルシエラちゃんもだけど、二人の戦い方ってどんな感じなのかしら?」
『む……そうか、そう言えば今日はアリスとだったのう』
そして、そんなアリスの問いかけに、俺もルシエラも少し驚いてしまった。
こう、何というか。
アリスはその実力はさておいて、どうしてもこう、純粋無垢な子供というイメージが強かったし――今夜も何だかんだ言って、アリスと遊ぶだけになるのかな、なんて、そんな事を考えていたから。
アリスはそんな俺の心でも読み取ったかのように、ぷぅ、と頬を膨らませれば、唇を尖らせながら、ぎゅうっと俺の掌を握りしめて。
「ちゃんとやらないとエルちゃんが危ないんだから、ちゃんとやるもんっ。今のエルちゃんだと、アバドンにはぜーったいに勝てないんだから」
「ん――」
……絶対に、勝てない。
アリスのその言葉に、反感を覚えないわけではない。
まだ戦ってすらいない、それどころか面と向かったことさえない相手だと言うのに、最初から決めつけられるのはやはり、気分がいいものではないから。
ただ――同時に、昨晩のことを思い出せば、やはりそうなのだろうと納得する事も出来た。
本体よりも遥かに弱い状態のアルケミラを相手に、あのざまだったのだ。
アバドンの集団がどの程度強いのかは未だに未知数だけれど、六魔将として数えられている以上、今の俺が勝てる見込みは殆どないのだろう。
「――悪かったよ。今夜は宜しくな、アリス」
「えへへ、うんっ。大丈夫、私とアルケミラちゃんがエルちゃん達をしっかり強くしてあげちゃうんだから――♥」
俺の言葉に、アリスは心底嬉しそうに笑みを零しながら。
その屈託のない笑顔に、どこか微笑ましいような気分になりつつ、宿につくまでの間、俺とルシエラがどう戦っているのかを分かる限り言葉にして、伝えてみせた。
そして、夜。
宿での食事を終えた後、予定通りアルケミラはアリスと交代するように入れ替わり。
「それじゃあ今夜は宜しくね、エルちゃんっ♥」
「ああ、宜しくな」
満面の笑みで、俺の手を両手で包むように握るアリスにつられるように笑みを零しつつ、俺とアリス、それにルシエラはベッドの縁に腰掛けた。
宿の一室で一体何が出来るのか、とはもう思わない。
アルケミラはまだしも、アリスに関してはどういう事ができるのかは、もう俺もルシエラも身を以て知っているのだ。
アリスがやろうと思えば、この宿どころか下手をすればこの国自体を花畑に変えたりも出来てしまうだろうし――いやまあ、しないと信頼しては居るのだけど。
「えっと、さっきエルちゃんとルシエラちゃんから聞いて、考えたんだけど――二人の強さの源は、多分エルちゃんの方に有ると思うの」
『ふむ?まあそれはそうじゃろう、エルちゃんは私の所有者だからの』
「んーん、そういう意味じゃなくて」
アリスの言葉にルシエラが当然のように首をひねれば、アリスはふるふると軽く頭を振った。
強さの源が、俺の方にある……というのは、ルシエラを扱うのが俺だから、という事だろうか。
ルシエラは当然のようにそれを肯定したけれど、考えてみれば少し違う気もする。
元の体の俺であるならまだしも、今の俺の体は余りにも脆く、幼く、そして弱い。
ルシエラと離れれば戦えなくなると言うのに、強さの源が俺だ、と言われてしまうと少し微妙な気持ちになってしまって。
「ルシエラちゃんを扱ってるのがエルちゃんだから、っていうのもあるんだけど。戦い方を決めてるのは、エルちゃんでしょ?」
「……ん。それはまあ、確かに」
『まあそうだの。私が勝手に動く事もままあるが、基本的には』
ただ、続くアリスの言葉に成程、と納得させられてしまった。
確かに、俺とルシエラが戦う時にどう動くかを決めているのは俺の方だ。
最近では人魔合一という領域を体得したのもあって、更に細かく――文字通り、手足のようにルシエラを動かせるようになってきたし。
前のようにルシエラを武器としてぶん回したり、そういう風に扱ってた時よりは間違いなく強くなっているのだから――そう考えるのなら、強さの起点は確かに俺にある、のか。
納得した俺の顔を覗き込みながら、アリスは微笑ましげに笑みを浮かべれば、ぽんぽん、と優しく頭をなでてきて。
そんなアリスの様子に少しドキっとしつつ……同時に少し安らぎを覚えながら。
「――だから、ね。私と一緒の夜は、そこを重点的に鍛えましょ♥」
『重点的に……っと、とっ!?』
刹那。
アリスの優しげな声と共に、宿の一室がぐにゃり、ぐにゃりと溶けて、歪んで行く。
まるでお茶にミルクでも混ぜるかのように、現実味がまるで無い風景の切り替わりにルシエラは声をあげつつも、俺は軽く身構えて――
「――あ、ぇ?」
――ぽてん、と。
膝に力が入らず、その場で尻もちをついてしまった。
まだ大浴場の時の余韻でも残っていたのか、と立ち上がろうとするものの、立てない。
いや、そもそも――おかしい。
「あい、しゅ――っ、あ、りぇ?おりぇ……っ!?」
違和感に声を上げれば、俺はその声にゾッと背筋を凍らせた。
何だ、これは。
舌が、うまく動かせない。声をあげようにも息苦しくて、とぎれとぎれにしか口に出来ない。
それ以前に――なんで、どうして。
『な――え、エルトリスか……!?』
……どうして、俺は。こんなにも、ルシエラを見上げているんだ――!?
「んふふ。というわけで、エルちゃんには可愛い可愛い赤ちゃんになってもらっちゃいました♥」
「あか、た――っ!?あ、あいしゅ、なに、おー……っ」
「あ、大丈夫だよエルちゃん。頭の中はそのままだから、ルシエラちゃんともちゃんと意思疎通出来るし」
「そう、う……もんあー、ら、りゃいぃ……っ」
――そういう問題じゃない!
そう口にしようとしても、どうしても辿々しくて呂律の回らない……いや、それ以前に意味のある言葉にすらならない。
自分がそんな声を出していると思うと、恥ずかしくて、恥ずかしくて顔を熱くしてしまって。
そんな俺の様子を文字通り見下ろしながら、アリスは微笑ましげに笑みを零せば。
「ほらほら、エルちゃんもルシエラちゃんも準備して?これから鬼ごっこをするんだから」
『……はっ。いかん、見惚れている場合ではなかった……鬼ごっこじゃと?』
「ん、ぁ……るち、えりゃぁ……っ」
俺はルシエラにひょい、と抱き上げられながら。
……何やらルシエラが何とも形容しがたい、うっとりとした表情を浮かべていたのは見なかったことにするとして。
アリスの口にした単語に、俺もルシエラも揃って首をひねってしまった。
アリスはそんな俺達に軽く頷きつつ、指先をくるくると空中で回してみせれば、そこから現れたのは何やら可愛らしいおもちゃの数々で。
おもちゃの兵隊、クマのぬいぐるみ、乗り物のようなおもちゃ、エトセトラ、エトセトラ。
ぽん、ぽん、と可愛らしいピンクの煙と共に生み出されていったそれは、床に立つと可愛らしく、俺達に向けて手を振ってみせた。
「ルールは簡単。エルちゃんには今夜一晩、この子たちから逃げてもらうの。あ、ルシエラちゃんが抱っこして逃げるのは禁止ね?」
「あ、ぇ――そんら、の……!」
「無理じゃないよ?だってエルちゃん、ルシエラちゃんと合体出来るんでしょ?それをうまく使えれば大丈夫、大丈夫♥」
合体――つまりは人魔合一、という事だろうか。
俺が余りにも無茶な事をいい出したアリスに非難がましく声を上げれば、アリスは事も無げにそう言って、俺の方を見る。
その視線にあるのは、決して以前のような物ではなく――俺の、エルトリスという友人への、信頼のようなもの。
――ああ、そんな風に見られたなら、俺だって無理だ無理だとは言えないじゃないか。
「……っ、るち、えりゃっ」
『ぬ……え、ええい、仕方あるまい』
舌っ足らずな、自分のものとは思えない程に幼い、たどたどしい声でルシエラに呼びかける。
ルシエラはまだ戸惑っていたようだけれど……大丈夫、大丈夫、きっと出来る筈だ。
元より、弱くて脆い体でもあそこまで戦えるようになったのだ。
赤子の身体になったからと言って、そこに大きな違いが有るわけでもない筈、なのだから。
「――いんま、ごーい、ちゅっ」
『人魔合一――っ』
――俺を抱いていたルシエラの体が解け、まとわりついていく。
起き上がることはおろか、立ち上がることさえ出来なかった筈の体に、力が入る。
小さくて短い、未熟にも程がある手足にルシエラが絡みつけば、俺はなんとか立ち上がって、みせて。
「たっちできたね、エルちゃん♥」
「~~~~……っ、あい、しゅっ、もお……っ」
「ごめんごめん♥それじゃあ始めよっか。上手にルシエラちゃんを使うんだよ、エルちゃん」
アリスのそんな言葉に、俺は顔を真っ赤に染めながら。
ぱん、と軽くアリスが掌を叩いた瞬間。
床に置かれていたおもちゃ達がゆっくりと、しかし次第に生き物のように動き、歩き――そして、走り出した。
『来るぞエルトリス!アリスに目にものを見せてやれ!』
「ぅ……んっ」
俺もなんとか動けるようになった手足を動かせば。
まだ俺のことを赤子扱いするアリスを驚かせてやろうと、意気込んで――
――そうして、アリスとの初めての夜が始まった。




