5.死線(お試し用)
「ふむ。初日はこんなものでしょうか」
「――っ、……っ」
『ぐ、うぅぅ……っ、おのれ、おのれおのれ――ッ』
――遥か頭上から、声が聞こえる。
上から押さえつけられ、身動き一つ取れないまま……俺は、強烈な圧迫感に声さえもろくに上げる事が、出来ずにいた。
渾身の力を込めて起き上がろうとしても、もう手も足もろくに動かす事が、出来ず。
「ふふっ。まだ抵抗する意思が残っているのは、とても好ましいですね。時折これだけで発狂してしまう方も居ますから」
『この……っ、エルトリスから、足を退けんか……っ!!』
「……こういった苦境からは、自らの力で脱してこそですよ?」
ルシエラの声に、アルケミラは軽く笑いながらも、俺の上に押し付けていた足裏をゆっくり、ゆっくりと持ち上げれば――圧迫感から開放された俺は、荒く、荒く息を吸い、吐いて。
何とか、何とか立ち上がらなければ、と身体を動かしはするものの。
最早、辛うじて四つん這いになるのが精一杯、という有様で――胸元の大きな膨らみが、余りにも、余りにも重く、上体を起こす事さえ叶わずに。
そんな俺に淡く笑みを浮かべれば――アルケミラは、俺の身体をつまむようにして持ち上げてみせた。
――その手は、小指と中指が欠けていたものの。
その傷口からは血が溢れることさえなく、どろり、と――そう、丁度創生の水のような液体が零れ落ちている、だけで。
俺が与えられた大きな傷といえば、精々がその程度。
掌や足にも切り傷を与える事は出来たものの、軽く皮膚と肉を裂いた程度でしかなかった。
「さて、では限界のようですし、今夜はこれでお開きにしましょうか」
「……っ、お開き、だと……?」
「――ああ、その死んでいない目。ふふ、明後日の夜が楽しみです」
アルケミラは俺と視線を合わせるようにしながら、ふぅ、と。
少し甘い香りのする吐息を浴びせかけるようにすれば――
『……!!エルトリス、鎖を伸ばせ!早く――』
――落ちていく。
アルケミラが指を離せば、それだけで俺の身体は空中に投げ出され――実際は大した高さではないのだろうけれど――目も眩むような高さから、落ちて、落ちて。
「――ん、ぐっ!?」
そして唐突に視界は失われ、全身を柔らかな何かで包み込まれた。
全身を襲う圧迫感は先程の比ではなく。
みちっ、みちぃ……っ、と、柔らかな壁は、俺の全身を包み込んだまま、押し潰す、ように、して――
「ん、む……っ、ん、うぅぅ……っ!~~~~……っ!!!」
「……くす。まだ抵抗するのですね……本当に、大した精神力です」
――潰れたカエルのような体勢になりながらも、必死に抵抗しながら。
そんな俺を、何処か嬉しそうな声色で笑いつつ。
「ですが、これ以上は非効率。私の胸で潰れなさい」
まるで子供でも寝かしつけるかのような優しさで、厳しさで、そんな言葉を口にすれば。
左右からの圧迫感はより強く、強くなって――……
「――……っ、は、ぁ……はぁ……っ!!」
……目を、覚ます。
身体を起こせば、そこは昨晩アルケミラと共に泊まっていた宿の一室で。
呼吸を荒くしながらも、周囲を見れば――何のことはない。俺は、いつもの大きさに戻っていた。
ルシエラも目を覚ましたのか、壁にもたれ掛かるようにしながら。
まるで悪夢を見たかのように、全身にじっとりと汗をかいたまま、顔を青褪めさせていて。
『……夢……夢、だったのか……?いや、それにしては、余りにも生々しい――』
「おはようございます。エルトリス。それにルシエラ」
「……っ!?」
――不意に、ぽんぽん、と頭を撫でられれば、俺は思わず身体をびくん、と跳ねさせてしまった。
俺のベッドの脇に腰掛けていたのは、昨晩――あの悪夢のような体験をする前と、何ら変わりないアルケミラ。
指がかけている訳でもなく、皮膚が裂けている訳でもない、何一つ変わらないその姿に、もしかしてさっきまで見ていたのはただの悪夢だったのか、と思いつつも。
「これからは一日置きに、昨晩のようにしてもらいます。期待していますよ、二人共」
『昨晩の、よう、に……』
「おや、まだ寝惚けているのですか?駄目ですよ、寝起きはしっかりしていないと夜襲に対応できませんから」
「……は、は」
そんな逃避をアルケミラ自身の言葉でぴしゃり、と断ち切られれば。
俺は、思わず笑いながら……昨晩の完膚無きまでの敗北を改めて思い出し、ぴしゃり、と自分の頬を軽く叩いた。
……どういう能力を使ったのかはわからないけれど。
昨晩の、小さくされた挙げ句一方的に蹂躙されたあの経験は夢ではないらしい。
無論、最後の……為す術もなくすり潰され、絶命したあの一瞬さえも夢ではないのだろう。
だが、それでも何故か、俺は死なずにここに居る。
死ぬような経験をしながら、為す術もない強敵と戦い、殺されながら、しかし何事も無かったかのように、目覚めている。
それはきっと、アルケミラの能力に依るものなのだろう。
死線をくぐり、死につつも――そんな経験を何度も、何度も繰り返せるというのなら、それは成程、確かに強くなるのには丁度いい。
なら――ああ、精々利用させてもらうとしよう。
ルシエラを十全に使いこなし、あの悪夢を勝利で終わらせてやろう。
「――あ」
「……ん?どうした」
そんな事を考えていると、不意にアルケミラが小さく声を漏らした。
俺に……というよりは、俺の身体の方に視線を向けつつ、何やらちょっとだけ気まずいような、そんな表情を浮かべていて。
『何じゃ、何を見て……あ』
「……?」
ルシエラも、その視線を気にしたのか。
釣られるように俺の方を見れば、軽く硬直しつつ――何やら、笑いを堪えているかのような、そんな顔を、見せて。
一体何なんだ、と思いながら身体の方に視線を下ろせば。
「――ぁ」
そこにあったのは、汗でびっしょりと濡れたせいで、身体に……大きすぎる二つの膨らみにぴったりと張り付いた寝間着、と。
「……っ、~~~~……っ!!」
――ぐっしょりと。
それはもうぐっしょりと、濡れてしまっているシーツと、下半身、で。
『ぷ……ふふっ、ふふふっ、あはははっ。まあ仕方ないのう、エルちゃんはまだまだ子供じゃからな!安心せい、リリエル達には黙っておくからの♪』
「その……そうでしたね、お手洗いに行ってもらってからやるべきでした。配慮が足りず、申し訳有りません」
「っ、~~~~っ、う、うぅぅぅ……っ!!!」
我慢しきれずに笑うルシエラに、流石に気が咎めたのか、ちょっとだけ申し訳無さそうにするアルケミラ。
見る見る内に、頭が、顔が、熱く、熱くなっていく。
俺は、ぎゅううっと、強く強くシーツを握るようにしながら――
――感情が爆発しそうになるのを既の所で堪えつつ。
しばらくの間は、顔の熱も、頭の熱も取れることはなかった。




