4.それは、とても大きな
――最初に目を奪われたのは、その体躯の矮小さでした。
少女というのすら烏滸がましい程に、低い背丈。
その癖、胸元でこれでもかと自己主張する巨きな双球。
無論、クラリッサからの報告を疑う訳では有りません。
彼女は、エルトリスはそんな矮小な体躯でありながら、アルルーナの分体を見事討ち果たしてみせたのでしょう。
それが彼女の携えている魔剣に依るものだとしても、それ自体が彼女の実力であるという事には疑いの余地はありません。
そして、それは彼女の連れている二人にも同じ事が言えました。
アルルーナの分体との戦いの中で生き抜いた二人もまた、その実力は本物なのでしょう。
無論、それは人間という枠の中での話ではありますが――ああ、それでも私は、この胸の高鳴りを抑える事ができませんでした。
まだ、ゴツゴツとした原石のような三人。
それを磨き上げたのならば、それは果たしてどれほどの輝きを放つのか。
……特に。
矮小でありながら、同時に強者としての風格を――そして、幼子のような雰囲気を入り混じらせた彼女は、とても、とても興味深く。
嗚呼。
彼女達は一体、どんな輝きを私に見せてくれるのでしょうか――
「……で。こういう部屋割になった、わけか」
「はい。宜しくお願いしますね、エルトリス」
話がまとまった後。
俺達はそれなり高級そうな宿を――アルケミラの支払いで――取れば、二部屋に別れて泊まる事になった。
片方は、アリス、アミラ、リリエル、クラリッサ。
そしてもう片方は、俺とアルケミラ、と言った形で。
アリスは唇を尖らせながら文句を口にしていたけれど、アルケミラとは日替わりで交代する、と言った方向で落ち着いたらしく。
ともあれ、アルケミラはベッドの縁に軽く腰掛ければ、俺の方に視線を向けたまま淡く笑みを浮かべつつ、ベッドのシーツに手を添えると――ごぽり、と。
何やら粘土のような、液体のような乳白色の何かが、アルケミラの掌から溢れ始めた。
『……面妖な。何じゃそれは』
「これは、私の持つ能力。創生の水と名付けて居ますが――まあ、それはどうでも良いことでしょう」
「あんまりベッドを汚すと後が面倒だぞ?」
「ご心配なく。私もその辺りのルールは知っていますから」
ごぽり、ごぽりと湧き出した創生の水はベッドに軽く沈み込み、まるで軽い沼のようになりながらも、染み込む事はなく。
俺達の言葉にアルケミラは軽く苦笑しながら……不意に、視線だけを俺の方へと向けて。
「ところで、エルトリス。貴女から見て私はどの程度に見えますか?」
「ん?そうだな、15歳くらいか?」
『いいや、こういうのは若作りしておると相場が決まっておる。30は越えておるな』
「……そちらではなく、実力的な意味です」
ルシエラの言葉に軽く眉をぴくりと動かしながらも、アルケミラが言葉を続ければ――ふむ、と俺は口元に指を当てた。
実力……要するに強さ、という事だろう。
正直なところ、まだアルケミラとは刃を交えたわけでもなければ、戦った所を見たことが有るわけでも無い。
判断できる材料がほとんど無いが……まあ、それはアルケミラ自身も判っている事だろうし、そこまでの正確さは求めていないのだろう。
「――はっきり言うと、純粋な実力で言うなら俺よりも下に見える、な。底知れない感じは有るが、負ける気はしねぇ」
なので、第一印象を俺は口にした。
六魔将の一人であるアルケミラと、こうして相対して抱いた印象は「怖いけれど強くはない」。
何とも奇妙な事ではあるが、底が見えないというのに勝つ事自体は然程苦労するようには思えなかったのだ。
無論、アルケミラは六魔将の一人。
アリスと肩を並べられる存在なのだから、そんな筈は無い、のだけれど。
ただ、アルケミラは俺のそんな言葉を聞けば、何処か嬉しそうに笑みを零してみせた。
「正解です。この身体の性能は、本来の20分の1まで抑えられていますからね」
『……成程、そう言えばそうじゃったな。アリスが自然と居るから忘れておったが』
「ええ、光の壁を通過するにはそれくらいまで性能を落とさなければならなかったので」
成程、そう言えば光の壁は強い魔族を通さないんだったか。
……いや、待て。
20分の1とアルケミラは気軽に口にしたが、ということは――本来のアルケミラは、この20倍強い、という訳で。
「……っ」
そう考えた瞬間、背筋が軽く震えた。
無論それを全て信じる訳ではないけれど、もし本当だとするのなら。
目の前のアルケミラに負ける気はしない、が……もし本体が相手だったのなら、それこそ俺は歯牙にすらかけられずに殺されるだろう。
……勝てる、とは言っても今目の前に居るアルケミラは、少なくともクラリッサよりは強いように見えるのだ。
その20倍だなんて、正直言って想像も出来ない。
「エルトリス、髪の毛を一本拝借しますね。そのままベッドに腰掛けて待っていてください」
「え……っ、いやまあ、良いけども。何するつもりだ?」
そんな事を考えている内に、ぷつん、と。
アルケミラが割と遠慮なく、俺の髪の毛を一本だけ引き抜けば、何処か楽しそうに、鼻歌交じりにベッドに溜まっている創生の水にそれを沈み込ませた。
正直、さっきから何をしてるのかさっぱりわからない。
特訓だか何かをするのかと思ったけれど、連れてこられたのは宿屋だし。
部屋に入ったかと思えば、今度は良く判らない事をしながら雑談してるし。
……もしかして、からかわれてるんじゃなかろうか。
言われるままにベッドに腰掛けつつ、アルケミラに疑いの視線を向けながら――
「うん、よしよし。それじゃあ始めましょうか」
「え」
『ぬ――何じゃ、これ、は』
――急に、身体からガクン、と力が抜けた。
腰掛けていたベッドに勝手に倒れ込む身体をどうすることも出来ないまま、何が起きているのか、と声をあげようとしても、声をあげる事さえ敵わない。
「ご心配なく。クラリッサからの報告を元に、貴女に最適な方法を考えておきました」
耳に届く、アルケミラの声を聞きながら。
俺は、急速に――何かに頭を鷲掴みにされて、眠りの底に引きずり込まれるような。
そんな、奇妙な感覚を覚えつつ……意識を、落としてしまった。
――ふわり、と。
底に引きずり込まれた意識が、まるで真綿でも突き抜けるかのように、柔らかな感触に受け止められる。
まだ重たい、まるで何十時間も眠っていたかのような瞼を上げれば、俺は身体を起こしつつ、小さく息を吐き出した。
「……っ、何だ……何が……?」
『ふ、ぁ……む、何じゃ、もう朝か……?』
ルシエラも眠りに落ちていたのか。
俺の隣で欠伸をするルシエラを見れば、ちょっとだけ安心しつつも……眠る前の事を思い出して、冷水でも浴びせられたかのように意識が一気に覚醒する。
周囲を見れば、そこは嫌に広い、柔らかい地面……いや、布地の上で。
目の前にあるのは、白っぽい色の大きな岩のような何か。
いつの間に脱がされたのか、俺は一糸まとわぬ姿になっていて――思わず顔を熱くしつつも、周囲に身体を隠せるようなものもなければ、ルシエラ以外に誰も居ないようで。
「――さて。それでは始めましょうか、エルトリス」
「っ、アルケミラか!?おい、ここは何処だ!」
「何処、と言われましても。特に移動はしていませんよ?」
『……戯けた事をぬかしておると喰らうぞ、小娘が』
突然頭上から響いてきた声に、俺もルシエラも即座に身構える。
聞こえてくるアルケミラの声には敵意もなければ悪意も感じない。
だが、口にしている事が戯言なのだから、警戒を解くわけにはいかなかった。
突然眠らされて、服を脱がされて、見知らぬ場所に連れてこられたのだから、そうしない方がおかしい。
「……ああ、まだ気付いていないのですね。ほら、此方ですよエルトリス」
「此方って――……え」
そんな俺達に、アルケミラは少しだけ可笑しそうに笑いながら。
その声に釣られて視線を上にあげれば――俺は、ルシエラは、言葉を失った。
――そこに居たのは、アルケミラだった。
俺達よりも遥かに高く、高く――頭上という事さえ烏滸がましい程の上から言葉を投げかけてくる、アルケミラの顔。
その手前には、その顔を隠さんばかりに膨らんだ双球が、重たそうに揺れて、いて。
『な……な、なっ』
「はい。これで私はエルトリスの10倍は強くなりました――いえ、貴女が10分の1になった、というべきでしょうか」
「な、に――ッ!?」
そこでようやく、俺は目の前にあった白い大きな岩が、アルケミラの身体だったという事に気付かされた。
正確に言うのであれば、膝。
要するに今の俺は、アルケミラの膝とそこまで変わらない大きさに、されてしまっている、という事、で――つまり、今俺が立っている、のは――!?
「――ほら、驚いてばかりではなく対応しなければ、訓練になりませんよ?」
「……っ、人魔合一!!」
『人魔合一――』
アルケミラの巨体が動けば、俺は咄嗟にルシエラを身に纏いながら、両腕を交差させた。
眼前に迫るのは、アルケミラの手。
指先は、まるで何かを弾くような――そう、丁度デコピンをするかのような形に、なっていて。
――刹那、意識が白く、白く、飛びそうになった。
まるで巨大な何かを叩きつけられたかのような、衝撃。
アルーナのユグドラさえもが矮小に感じるようなそれに、俺の身体は白い布地の上を二回、三回と跳ね回り。
「――っ、か、ひゅ……っ」
『ぐ、ぅ……っ!い、いかん、立てエルトリス!!来るぞ!!』
肺から全ての空気が抜けたかのような感覚さえ覚えれば、口を大きく開いて空気を吸い込みながら。
「ほら――早く起きなさいエルトリス。踏み潰してしまいますよ?」
「……っ!!」
眼前に迫るアルケミラの白い足裏に、俺は全力で――胸元がばるんっ、ぶるんっ、と揺れる事を恥ずかしく思う暇さえなく、跳んだ。
背後で地面が――ベッドのシーツが沈み込んだのを感じ、視線を向ければ、アルケミラはベッドの上で腰掛けたまま、立ち上がってさえおらず。
「ふふ、それでこそです。強敵との戦いこそが、貴女の場合は最適解――さあ、心ゆくまで楽しんで下さいね、エルトリス」
「……は、はっ」
――一瞬だけ見えた、遥か彼方の光景。
ずっと遠くで眠っている俺自身の姿に呑気なもんだ、なんて思いつつも。
何が負ける気がしないだ、と……先ほど口にした自分の言葉を思い出して、笑ってしまった。




