1.青い少女との出逢い
「――うん、おいしい」
『中々悪くはないのう』
穏やかな日差しの下。
俺は屋外にある椅子に並んで腰掛けながら、手のひらサイズの菓子を齧りつつ、足をパタパタとさせていた。
隣には肉を挟んだパンらしいものを口にしているルシエラと、その隣で静かに茶を淹れているリリエル。
「……アリス様、お願いですから大人しくしていてくださいね?」
「うん、解ってるわ?エルちゃんにも言われてるんだもの――あ、あれは何かしらっ」
「ちょ――こら、一人でどこかに行こうとするんじゃあない!」
そして、俺の隣に腰掛けて……たった今、遠くで何かを見かけたのか、駆け出そうと椅子から飛び降りたアリスと、それを慌てて遮るクラリッサとアミラ。
クラリッサは当然人の姿に擬態したまま。
アリスはいつも通りのエプロンドレス姿だけれど、まあ外見だけなら魔族だなんて――六魔将だなんて分かる奴は居ないだろう。
アリス、という名前だってまあ決してありえない名前でもないし。
「アリス。もうじき来るだろうから、もうちょっと我慢できるか?」
「ん、勿論大丈夫よっ。えへへ、エルちゃんのちょっと頂戴っ♥」
「え、あ――も、もうっ」
ここに来る筈の人物を待ち始めてから十数分。
いい加減じれてきたアリスに声をかければ、アリスはにっこりと嬉しそうに笑みを浮かべながら……気づかぬ程に一瞬で、俺が手にしていた菓子をぱくり、とかじり取って。
余りにも早い、というか速度なんて関係なさそうなその動きよりも、自分が食べていたものを横から齧られた事に眉を潜めつつ。
……こんな事で怒ってたら子供っぽいか、と俺は既の所で出そうになった怒りを喉元で抑え込んだ。
うん、うん。
大丈夫だ、ちゃんとオトナな対応が出来ている。
「あ、エルちゃんお菓子零してる。ふふ、ちゃんと綺麗に食べなきゃダメだよ?」
「え」
そんな事を考えていると、不意にアリスがそんな事を口にしながら、微笑ましげに笑みを浮かべつつ。
……最近また、ちょっと重くなってきたような気がする膨らみに、ポロポロと溢れていたらしい菓子の破片をひょいひょいと指で摘んで、口元に運んで、来て――
「……ん。あ、む」
「えへへ、エルちゃんったら可愛いんだから♥」
「わ、ひゃっ!?」
ぽよん、と。
指先でつんつん、と胸元の大きな、足元を見ることさえ困難な膨らみを突かれてしまえば。
俺は久方ぶりに、口から素っ頓狂な声を漏らしながら――無駄に大きな胸元のそれを、だぷっ、だぷんっ♥と、重たげに弾ませて、しまった。
こんな事をしていれば、当然ながら周囲からも視線は集まって、いて――
『これ、アリス。そういうのは私の役目じゃぞ、後で楽しみにとっておいたと言うに』
「えー」
「……っ、えーじゃないっ!もう、もう、もう――っ!!!」
――顔を熱く、熱くしながら。
俺はとうとう我慢しきれずに、二人に向けて声を荒げてしまって――だと言うのに、二人は反省するどころか、それをどこか微笑ましげに眺めていて。
「エルトリス様。こちらをどうぞ」
「う……ん、あ、ありがと、リリエル」
肩で呼吸をしながらも、リリエルが淹れたお茶を受け取れば。
それを軽く口にしながら……はぁ、と俺は大きくため息を吐き出した。
――ランパードの一件から、一週間程。
クラリッサが受け取った手紙に書かれていた内容に従って、俺達は今、ランパードから遠く離れたテラスケイル公国に居た。
光の壁から一番近い位置にある大国であるテラスケイル公国は、クロスロウドと比較しても遜色ない程に発展していて。
つい昨日、テラスケイル公国に到着した俺達は、手紙に指定されていた場所に腰掛けながら、のんびりとアルケミラが寄越すという使いを待っていた、のだが。
「そういやクラリッサ、どうやって……えっと、アルケミラだったかと連絡を取り合ってたんだ?」
「アルケミラ様、よ――それ自体はそんな難しい事じゃないわ、飼ってる鳥の足に手紙を括り付けて送ってるだけだもの」
『鳥女が鳥を飼っておるのか、中々愉快だのう』
「……バカにしてるかもしれないけど、ウチの子は超優秀よ?ええ、喰う事ばかりな何処かの誰かより余程」
……二人が視線で殺気を飛ばし合っているのを無視しつつ、成程、と俺は軽く頷いた。
そう言えば光の壁が遮断しているのは強い魔族であって、弱い魔族は普通に通り抜けてきているらしいし。
それこそ、鳥を躾けたりすれば光の壁の向こう側とも普通に安全に連絡を取り合ったりも出来るのか。
「ですが、クラリッサさんも通り抜けられたのですし直接連絡に戻られても良かったのでは?」
「ん。あ、それはできれば避けたいわね」
リリエルの至極もっともな言葉に、クラリッサは一旦ルシエラから視線を逸しつつ、それは出来ないと言うかのように胸元の前でバツ印を作ってみせた。
……リリエルの言う通り、確かに確実に連絡を取り合うっていうのなら一旦戻るのも有りな筈だけど。
何よりクラリッサはそこらの鳥よりは速い訳だし、アルケミラを慕っているクラリッサからすれば報告にかこつけて戻ったり……なんて事、しそうなものだ。
それをしない、という事は――
「光の壁を超えるのは準備が居るのよ。それでも通り抜ける時滅茶苦茶痛いし――」
「それなら、壁を通らないで抜ければいいのに」
「――アリス様みたいな事を誰でも出来ると思わないで下さい」
――まあ、やっぱりそういう事なんだろう。
クラリッサとは直接やり合った事はないけれど、コイツも一廉の魔族だ。
六魔将の配下って事はヘカトンバイオンと同格と見ても良いだろうし、そんな強い奴が壁を超えるにはそれなりに制約も有るという事。
『ふむ?であるなら、アルケミラの使いとやらは誰が来るのじゃ?』
「んー、そうね。アシュタールかイルミナス、かしら……ああいや、もっと下の子かも」
「そう言えば勢力争いじみた事をしてるんだった、か?」
「ええ。だから――まあ、アルケミラ様のご趣味も多分に混じってるけれど、エルトリス達みたいな戦力が欲しい訳」
ルシエラとアミラに軽く返しつつ、クラリッサはどこかソワソワしながら、雑踏を見る。
きっとアルケミラの使いとやらも擬態してくるのだろうけれど。
よくよく考えれば、クラリッサからしてみれば久方ぶりに会う仲間なのだ、きっと嬉しいんだろう。
そんなクラリッサの様子を、微笑ましげに眺めながら。
不意に……何故だろう。
雑踏の中を歩いている、一人の少女に視線を奪われてしまった。
湖のように青い髪に、血の気を余り感じない白い肌。
深い水底のような色をした瞳をこちらにまっすぐ向けながら、たゆん、たゆん、と胸元を揺らしながら。
白いワンピース姿の青い少女は、雑踏の中を特に誰かを避ける事もなく、まっすぐにこちらに向かってきて。
ああ、多分コイツがアルケミラの使いなんだろうな、と思いつつ。
「クラリッサ、アイツが――」
「――嘘」
『何じゃどうした、鳥が豆鉄砲を食ったような顔をしおって』
クラリッサの方に視線を向ければ。
顔面蒼白になりながら、クラリッサは慌てた様子でまだ食べかけだったパンをアミラに押し付けつつ、ビシッと背筋を伸ばし。
そんなクラリッサの様子を見れば、青い少女は微笑ましげに笑みを零しながら――
「――任務ご苦労さまです、クラリッサ。良き人材を揃えてくれたようですね」
「……お久しぶりです、アルケミラ様」
『は』
「な」
「あれ、アルケミラちゃんだ。お久しぶりだねっ」
「ええ、久しぶりですね、アリス。とは言えこの身は仮初ですが――」
――さも当然のように、クラリッサの主であろう六魔将の名を口にしつつ。
アリスとも至って普通に言葉をかわしながら、青い少女……アルケミラは、その水底のような瞳をこちらに向けて――淡く、微笑んでみれば。
「――初めまして。クラリッサから良く聞いていますよ、エルトリス」
まるで何処かの令嬢のように。
普通の人間と何一つ変わらないような所作を、ぞくりとする程に綺麗にしてみせた。




